正直に言うと、カンボジアへの強い思い入れというのはなかった。
昨年の12月24日。もはや私にとって、その日付には何の価値もなかった。ただ、翌日まで二日間フリーだったので、何か仕出かしたくなった。
ふと、かねてから宿坊というものに関心があったことを思い出す。調べたところ、自宅から電車で一本の御岳という山に、宿坊街があるのだと知る。そのうちの適当な宿に電話をかけまくる。急いで登山の支度をし、夕方の電車に飛び乗る。
御岳山は東京・奥多摩に位置する。日本にはすばらしい山がいくらでもあるが、この位置だからこそ、東京の夜景が見渡すことができる。もしもっと遠くへ向かっていたら、これは見られなかった。私の愛する人は皆、この狭くてちっぽけな明りのどれかの下にいるのだ。そこで、幸せを祝っているのだ。
ふと気づけば、新宿のあたりに心が奪われている。私の人生ではいつでも「新宿」が大前提になっていたことを悟った。引越しても、どこにいても、心の地図にはしっかりと、幼いころを過ごした新宿・渋谷に鋲が刺さっていた。そしてその鋲は今、別の意味でより深く深く刺さり、先端が埋もれ、もはや刺さっていることすら忘れていた。これからの人生で、ここを離れるなんて考えたこともなかったのだ。
九段下にある内定先を辞退しようと思いついたのは、年が明けてしばらくたってからだった。とても晴れやかだった。今の私なら、どこへでも行ける。どうせなら日本を出よう。
真っ先に考えたのは、インドだ。私はずっと、寺院にこもってヨーガの修行をするのが夢だった。ところがそんな放浪人まっしぐらなプランには、生産性も説得力もない。
海外にいながら、滞在費をまかなう方法を考えた。ワーキングホリデー圏は、物価が決して安くないし、就職までの初期費用がかかる。では東南アジアはどうか。物価が安いので、正直、丸腰でもなんとかなりそうだ。日系企業に信頼があるおかげで、日本人の求人も豊富だ。
ひたすらググった結果、フィリピンのフリーペーパー編集者の求人を見つけた。フィリピンには日本人駐在員が多いので、日本語で現地情報を提供しているというわけである。なにより、編集業に携われば「手に職」である。私が当たり前のようにできることが、他の人にとってそうでない場合もあることに薄々気づいていた。長所は伸ばすべきだ。
フィリピンでもよかった。大学で家族社会学を学ぶにあたり、大家族かつ、働く女性の多いフィリピンの文化には関心があった。日本の介護の現場に、お年寄りの扱いがうまいフィリピン人女性が多く活躍していることも知っていた。ただ、フィリピンはキリスト教国であり、そこそこ都市化も進んでいる。
でもどうせなら、もっとぐちゃっとして、不思議なところへ行きたい。今度は、海外で発行されている日本語誌、の基準で探しだした。
カンボジアとの出会いは、たぶん運命だと思っている、四月にならないとわからないけど。