2000年の秋
高島屋でバイヤーをしている時
元気の良いバイヤーに会いたいと
その人は大阪へやってきた
夕方の5時に心斎橋の日航ホテルで
待ち合わせた
噂にたがわずパワフルなその人は
思ったより、背が低く
思ったより、小太りだった
伊勢丹で
リスタイルや解放区、BPQCなどを作ったその人は
大阪でも知る人ぞ知るだった
大阪でも知る人ぞ知るだった
その日
夕方の5時から、朝の3時まで、うどん屋で
語り合った
長く長く語り合った
長く長く語り合った
当時、高島屋を辞めようと
起業の準備を進めていた自分は
起業の準備を進めていた自分は
圧倒的なエネルギーを持つ、その男に白旗を上げた
「参った、こんな男には、まだまだ勝てない」
自信過剰だった自分の鼻をへし折られた
瞬間だった
その時
こいつと必ず一緒に仕事をしよう
そう誓った瞬間でもあった
結果、準備していた起業を断念し
高島屋で、更なる修行することを決意する
圧倒的な存在感と影響力
どちらも自分には持っていないものだった
彼が伊勢丹を辞め、エステスという会社の役員を
やっている時の事だ
藤巻幸夫が40歳の時のことだった
それから3年間、更なる交流を深めた
彼から学ぶ事が多く
様々な世界を見せてもらった
その3年後、彼から・・・
様々な世界を見せてもらった
その3年後、彼から・・・
「一緒にバッグメーカーの立て直しをやって欲しい」
そう言われた
一言で「やります」そう言った
一言で「やります」そう言った
その数ヶ月後
13年勤めた高島屋を退職し
単身で横浜に移住し
彼と一緒にビジネスをスタートした
しかし、このプロジェクトはたった半年で瓦解する
苦しい6ヶ月だった
自分達の未熟さを嫌というほど知らせれた
苦しい6ヶ月だった
自分達の未熟さを嫌というほど知らせれた
訳あって
彼と僕は袂を分つ事になったが
その後も、ことある事に僕の仕事に協力をしてくれた
「兄弟だからな」いつも、そう言って助けてくれた
それから、11年、彼とは色んな事があった
楽しい思いも、嬉しい思いも一杯した
悲しい思いも、嫌な思いも一杯した
彼のお陰で今の自分があるのは間違いない
自分を狭い社会から解放してくれた恩人である
今の交友関係の一部も彼が作ってくれたものだ
そんな彼が昨夜・・・逝った
昨年末から体調が悪く、入院していると聞いていたが・・・
1年前、些細な外部的要因で彼と連絡を絶ったが
先日、再会し、話し合い、誤解が解けた矢先の事だった
彼は詫びてくれた
それも、良い思い出となった

