鎮座地:新潟市西区黒鳥
御祭神:誉田別尊
旧社格:村社
参拝日:平成28年7月、令和2年2月10日
創建年月は不詳であるが、元文3年(1738年)作成とされる「黒鳥八幡宮略縁起」なる資料が現存するという。当地の産土神で明治5年(1872年)村社に列す。今日「緒立八幡宮」と称される。
当社周辺には緒立遺跡、的場遺跡があり、縄文・弥生時代から人々が暮らしていたとされ、緒立遺跡は八幡宮を中心に細長い形となっており、八幡宮は古墳時代前期の円墳の上に建っている(新潟市有形文化財に指定)。
源義家により追討された黒鳥兵衛(安倍貞任の残党)の首が塩漬けにされ埋めた場所に首塚が造られたと伝わり、この地に鎮護のために建てた祠が当社であるという。黒鳥兵衛を祀ると記載されるHPも見受けられますが、神社明細帳、社頭の案内板では御祭神は誉田別尊である。
宝暦年間(1751~1763年)以前より境内に湧き出る水を「霊水」と呼び、兵衛が埋められた所より塩漬けの首により、塩分を含んだ水が地中から湧き出したと伝わる。
江戸時代の文久3年(1863年)、ある娘が悪性の皮膚病にかかり、医者にも見離されたところ「緒立八幡宮から湧き出ている霊水に浸れ」という夢を三晩続けて見た。これは八幡様のお告げであろうと、娘を連れた母親が急いで緒立を訪れると夢知らせの通りなので、早速この霊水に浸ること三日、皮膚病が完治した。この噂が広がり、人々は八幡宮お授けの湯として湯治場を作り、これが現在の緒立温泉となる。
時折空に轟音が轟くことがあり、人々は首を切られた黒鳥兵衛の胴が首を求めて咆哮すると言い、「胴鳴り」と呼んで恐れた。
上記の「塩泉」、「霊泉」、「胴鳴り」など、八幡山七不思議が存在し、境内に解説がある。
参道、太鼓橋、一ノ鳥居
かつては太鼓橋の手前に煉瓦細工の塀が有ったが、今は無い
二ノ鳥居から拝殿を望む
拝殿
向拝の彫刻、拝殿の扉の細工は細やかで見事
拝殿・本殿
覆屋の中の本殿
境内には八幡山七不思議の説明がある