鎮座地:新潟県柏崎市剣野町

御祭神:大山積命

  配祀:大日本根子彦太瓊命(第七代孝霊天皇)

      吉備津彦命(孝霊天皇皇子)

式内社:三嶋神社 三嶋郡六座のうちの一座(論社)

旧社格:県社

 

 社伝によれば、奈良時代の天平13年(741年)、伊予国越智郡の三島大明神(伊予国一宮 大山祇神社)を勧請し創建。
 室町時代の応安元年(1368年)には宇佐美氏が崇敬、明応9年(1500年)に長尾為影が参拝し額一面を寄進。文禄4年(1595年)に上杉景勝が兜を、慶長3年(1598年)に三条城主堀直政が田地三反を、元和8年(1622年)に高田藩主松平忠昌が四石五斗を、元禄6年(1693年)に高田藩主稲葉正通が三十石を寄進したと伝わり、武将らに篤く崇敬された。
 宝徳年間(1449~52年)、雷火で社殿焼失、永禄7年(1564年)戦火により神宝類焼失、明治6年(1873年)県社に列し、郷社を兼ねる。昭和5年(1950年)全焼、同6年、本殿造営。同7年拝殿竣工現在に至る。
 新潟県神社庁のHPや社号標、境内の石碑や案内板では「三島神社」とあるが、明治16年の神社明細帳では「三嶋神社」とある。
 『越後野志』によると、高田藩主稲葉正通が、元禄年中(1688~1740年)に三島谷町の三島神社を現在地(柏崎市剣野)に移したと記され、長岡市大積三島谷町の三島神社を当社の旧地とし、式内三嶋神社の論社とされるが、元和8年(1622年)の松平忠昌安堵状に「刈羽郡大窪村内三嶋大明神」と記されており元禄以前から三嶋神社は柏崎市剣野町に鎮座していたことになる。