鎮座地:新潟県十日町市犬伏(旧松代町)
御祭神:奴奈川姫命、大山咋命
式内社:阿比多神社 頸城郡十三座のうちの一座(論社)
五十君神社 頸城郡十三座のうちの一座(論社)
旧社格:村社
参拝日:2019年12月1日(遥拝)、2022年10月21日
松苧山(365m)の山頂に鎮座しする。現山頂より北東の頂、高松の地に鎮座していた社殿を大同2年(807年)、坂上田村麻呂が蝦夷からの帰途、奴奈川姫を祀るために現在地に移したと伝えられる。現本殿は、明応6年(1497年)建立で茅葺き屋根木造建築物では新潟県内最古として、国の重要文化財に指定されている。本殿の内陣には、宮殿と神輿があり、御輿は安土桃山期の作とされる。源義家、足利義尚、上杉謙信らが祈願したと伝えられ、上杉謙信寄進の小刀(備前長船兼光)、日の丸の軍配が伝わっている。江戸時代には、松之山郷六十六ヶ村の総鎮守「松苧大権現」と呼ばれ「麻織物の神」として信仰を集めていた。
『由緒御神号書上帳』(慶長四年(1599年))によれば、景行天皇40年(110年)、日本武尊が東夷征討の後、信濃より越後に吉備武彦命を遣わされた。命は筑摩川を下ってこの清地に来り、天照皇大神、素盞嗚尊、天津彦根命、大国主命を崇め夷狄を退せた。 そして平彦別命が五葉の松の種を山中に、青苧の種を麓の苧島その他の熟地に蒔き、四海姫命がその苧を紡いで機を織り、今の縮布の元祖となった。 その後、吉備武彦命、平彦別命、四海彦命、四海姫命が当社に合祀され、先の四神とあわせて松苧山八社五十君神社と称して崇められたという。
式内社阿比多神社、式内社五十君神社とする説があるが、それぞれ上越市の阿比多神社、五十君神社が有力であ。しかし、式内社に劣らない歴史ある古社である。
令和元年11月20日まで、屋根茅葺き替え工事が行われました。
参道(登山道)入口 徒歩20分と書かれた看板があります。
ここには車数台の駐車スペースと山小屋(トイレ)があります。
初参拝の時は熊出没注意の看板がありました。
少し進むと鳥居があります。道中は普通の登山道と変わりありませんが
社殿に向かう最後の道は、こちらの急な階段か
こちらの鎖を伝って登る必要があります。
葺き替え工事後の画像です
かなり奥行があります。
2019年、御朱印を戴いていながら、訳あって参道入口で遥拝となってしまいましたが、3年振りに訪れ、参拝することができました。
現在(2022年10月)御朱印のご対応はないようです。
【更新履歴】
2020年1月8日 初稿
2022年11月12日 画像追加