鎮座地:新潟県上越市五智

御祭神:大国主命、奴奈川姫命、建御名方命、事代主命

式内社:居多神社 頸城郡十三座のうちの一座

旧社格:県社

 

 創建は不詳であるが、弘仁4年(813年)に従五位下を、貞観3年(861年)に従四位下をそれぞれ朝廷よりたまわった。式内社居多神社の比定社である。古代には能登・越中の気多神社と同様「けたじんじゃ」と呼称されていたが、今日「こたじんじゃ」と称しており、出雲勢力の北陸進出を物語る。
 承元元年(1207年)に親鸞が越後国府に流罪になった際に参拝したという。南北朝時代以降は、守護上杉家からの崇敬を受けて越後国一宮に位置づけられたとされる。戦国時代には戦乱にまきこまれ、天文2年(1533年)、反長尾為影派により社殿が焼かれ、同年、為影(上杉謙信の父)は内乱鎮定を祈願し、社殿造営を約束した。
 慶応2年(1866年)まで現社地の北西約1キロメートルの身輪山に鎮座していたが、社地、境内が海岸浸食により崩壊し、明治12年(1879年)現在地に社殿造営、遷座した。この社殿は明治35年(1902年)に火災で焼失し、明治40年(1907年)に仮社殿が造営され、平成20年(2008年)に本社殿が造営され現在に至る。

 

 令和となり、再び参拝し、御朱印を戴きました。

 

 平成30年、約3年振りに参拝し、御朱印を戴きました。

 

 

 

 

逆光でうまく撮れませんでした。

 

 

古事記に記されている大国主命が沼河姫命(奴奈川姫命)に求婚するために詠んだ歌の石碑と説明板(クリックで大きく表示されます)。

 

【更新履歴】

2018年3月2日 初稿

2018年8月21日 御朱印追加

2019年12月22日 御朱印、画像追加

2020年6月1日 画像追加(差替有)