鎮座地:新潟県柏崎市西山町別山(旧西山町)

御祭神:高龗神

式内社:多多(多岐)神社 三嶋郡六座のうちの一座(論社)

旧社格:村社

 

 文禄年間(1592年~95年)の大火で古記録が焼失し由緒の詳細は不明であるが、大国主命八世の孫・稲田多彦命が当地を開拓するにあたり、高龗神を奉斎したと伝わる。一説には延暦12年(793年)の勧請ともされる。
 明治16年の神社明細帳によれば、永承6年(1051年)源頼義が安倍貞任追討の際、当社に祈願して社殿を造営したという。また、弘安4年(1281年)の蒙古襲来の際には、勅命により討滅を祈願し、社領の寄進を受けたという。
 江戸時代は「高家明神」、「多々大明神」とも呼ばれ、多々神社として近郷の一之宮であった。明治2年(1869年)、柏崎県知事より「多岐神社」の社号を賜り、以後「「多岐神社」と称し現在に至る。社殿は、別山字多岐ノ入(通称「宮平」)にあったが、のち通称「やどりの宮」に遷り、次いで現在地に遷座したといいう。
 御祭神は高龗神で、大山祇命、稻田多彦命、健御名方命、伊邪那岐命、伊邪那美命、誉田別命、菅原道眞、大國主命を配祀する。明治40年(1907年)、近隣の5社を、昭和27年(1952年)、4社を合併し、多くの神を祀る。
 平成28年に参拝した際に戴いた御朱印には、第37代宮司との御墨書があり、式内社の歴史を感じました。令和となり、再び参拝し、第38代の宮司様による御朱印を戴きました。

 

 

 

 

 

【更新履歴】

2017年11月23日 初稿

2019年12月30日 記事全文差替、御朱印、画像追加