一人の人間に対する長期間に渡る生活の妨害や不必要な干渉や攻撃が延々と続いていることに対して思うこと:


今のご時世、様々な問題があることは理解できる。その為に微力でも何らかの働きかけが行えればという気持ちは最初からあったのだが、そこから10年以上経過しても同じ状態が続いている。普通に問題の解決の為には現状を知ることがなければ何も問題は解決しない。それにも増して、被害に遭うまでの環境は人それぞれに違っている。各個人がそれまでにどのような生活状態だったのかによってもその後は違ってくる。


全てはそこからの始まりだと思う。

普通にその想いがあれば、目の前の困窮した人間を放置することなど人として出来ない。


それが何らかの理由で人間らしさが失われていることには危機感を隠せない。そう感じてからも長期間が経過している。


複雑な生存の危機に直面した人間にとっては、この事が伝わらないことがもどかしい。

そう思っている間にも時間は経過している。


この長期間の待ち時間にも既視感がある。


書けば、どれだけの文字になるのか想像できない。既にブログでは、もう書くことがないというほどに伝えてきた。


この長期間の待ち時間が人間に齎すものは、被害者加害者双方のみならず、その関係者間にも広がってゆく。その暗い影で覆われた状態が何を齎すのか…。


恒久的な平和のための取り組みの中で、長い待ち時間は誰にとっても人間としての不利益にしかならない。


そして、もう、人間らしさが失われてゆく過程は見たくない。