ジョーンズは僕より酒飲みであった(笑)第2外人歩兵連隊のキャロン軍曹はまだ若くてなかなかのいい奴であった。僕は、前の小隊の付き添いで第1外人連隊(オバーニュ)には行かなくて訓練終了と同時に2週間の休暇に入った。だから、誰がどこの連隊に配属になったかは休暇が終わるまで知らなかったけれど、訓練軍曹であったチムランが第2外人落下傘連隊、シュミット軍曹が第2外人歩兵連隊、僕が第6外人工兵連隊から来ているので大体この3つの連隊に分かれたそうだ。小隊長のアンドレス曹長はびっくりしたそうだ(笑)。休暇が終わって連隊に行くと、中退付き曹長に立場が変わったアンドレス曹長に教えてもらった。

 

小隊長がポルトガル人のトレス曹長に代わって新しい小隊が始まった。僕はいつしか古株の新兵訓練軍曹になっていた。そりゃそうだ。もう教える小隊は3つ目だからだ。なので、訓練のやり方などを残りの2人の軍曹たちにどんな具合にやったかなどを教えた。しかし僕は軍曹になって3年目なので、CM2という小隊長基礎訓練があった。これは上級軍曹になるために必要な資格であった。まず最初に簡単な試験があり、訓練を受けるのに必要な知識があるのかどうかテストされた。この試験は厄介者で、同僚のイギリス人のケネディーはすでに3回落として資格消滅していた。特に数学はみんな大変そうであったけれど、僕は日本の高校生レベルであったけれど楽に問題を解く事が出来た。連隊でこの受験生用に期間を設けて授業をやっていた。僕は既に配属されていて第4外人連隊の軍曹という立場であったので、この受験生プログラムに入っていた。そのおかげで試験用に過去に出された問題を何度もやらされた。

厄介だったのが、題目を既にもらっていて、それについて自分の意見を述べるというものがあってそれが厄介者であった。それも全てフランス語でだ。僕がもらった題目は「外人部隊の歴史はなんの役に立っているか???」というものであった。それは訓練用のスライドにまとめて、スライドごと皆の前で発表するのだ。僕の番が来た!試験官は訓練部長ではなく、僕に中隊副官のトペー大尉であった。しゃべる部分はなるべく減らし、写真を多めにスライドに多用した。同じ中隊だからというわけではなく、発表はうまくいき、いい点数をもらった。それは訓練部長の耳にも入り、連隊の最上級下士官からも「いつか下士官候補生にも聞かせたい」と言われた。

この中退付き曹長という役職はあまり誰でもなりたがる職種ではなく、僕もそうであった。ただ、僕の場合は上官であったロッソ上級曹長に気に入られていたので、「オレの後釜はオイカワガいいでしょう。」と中隊長へ進言したお陰で、無理矢理に中隊付き曹長にさせられたのであった。その間1年以上中隊付き曹長をやらせられた事があった。EODチームに配属になる前で、僕はEODの資格は全て持っていて、あとはEODチームへの配属を待っている時であった。中隊付き曹長というのは、中隊の規律から、勤務中隊になった時に各勤務の割り振り、下士官の統率、中隊の建物の修理や、中隊配属前の人員の宿泊の管理、毎日朝昼の中隊集合など忙しかった。その時は、あまりの忙しさに、夕方ごろには、タバコが3箱目に手をつけるという時期があった・・・。部下たちにもその事を指摘されるぐらいであった。その頃の中隊事務の軍曹はまだ新人の軍曹であったけれど、流石に中隊事務だけあって色んな中隊の事を知っていて、彼は色々と助けてくれた。何しろ僕が直属の上官なのであったからだ。それに、中隊長も元第2中隊の小隊長をしていた頃からの顔見知りで、いい人であったので、仕事はしやすかったというのがある。それに今では中隊付き曹長ということが連隊中に知れ渡っていたので、新米の士官連中でも、僕の事を「曹長殿」と階級で呼ばれることが多くなった。

読んでくれた人、ありがとう。