(1)宮城刑務所と六郷堀の形成

 宮城刑務所周囲の「六郷堀」は、宮城刑務所が過去に若林城として建設されるとき、伊達政宗が若林城周囲に堀を設けるとわがままを言い造らせたようで、大昔の地図(というより絵)を見てみると、城の周囲には堀が設けられており、これがのちに「六郷堀」として活用されている。

 

 しかし、歴史上は「1627年に伊達政宗が若林城を築く」となっているが、1645年の絵には若林城が掲載されていない。・・・・というより周囲の道も何も表現されていない。まあ・・・、歴史は基本的に信用してないのだが・・・・・。

 また、1645年の絵は、広瀬川から「七郷堀」の分岐がなく「六郷堀」のル-トが途中から「七郷堀」のル-トとなっている。

 ただし、これについては1789年の絵で、「六郷堀」と「七郷堀」をつなぐ「堀」が描かれており、このつなぐ「堀」がなければ広瀬川からの分岐は個別であるものの現況の「七郷堀」と「六郷堀」のル-トなので当初のルートが変更されたのだと考えることにしよう。

 なお、1789年の絵では、若林城まで「六郷堀」が接続されていないように表現されているが、これについてはあとで考察する。

 そして、1878年には、警視庁が伊達家から城跡の土地を買い上げて宮城集治監を建設し、1922年に「宮城刑務所」に改名されたようである。

 その後の「宮城刑務所」の改良については、めんどうくさいので以下の上空写真のみで紹介する。

 という事である。・・・以上。

 

(2)六郷堀線形の想作

 七郷及び六郷の用水供給については、1645年に仙台城下を描いたとされる絵図があり、「自然の流路で取水した水は、地形の高低差だけで東へ流れ、どの地点から取水すれば水田地帯にくまなく水を供給できるのかを判断した」と書かれた書籍はあるようだが、本当のところは「水害によって生まれた河川を農業用水路として利用した」であろう。

 これ以降については個人の想作であるが、過去に幾度となく訪れた水害(広瀬川の氾濫)によって「七郷堀」や「六郷堀」はある程度形成され、その氾濫河川をもとに農地を形成し、村ができ、農業が繁栄した・・・という事なのだろう。

・・・・とりあえずそういうことにする。

 

 そして、問題の六郷堀の線形についてである。

 まずは、広瀬川の形状と、取水元の愛宕橋付近、それと若林城との位置関係について着目することとする。

 先ほども想作したが、「六郷堀」は広瀬川の氾濫河川であるとする。

 そして、各所の位置関係は以下上空写真の通りである。

 こう、ぐねぐね――っと流れている広瀬川が大雨で増水し、もーーーうがまんできねえーーーーーって、ドウわ-----っとゲロゲロゲロゲロやってしまう場所が愛宕橋を超えた直線区間なのである。

 広瀬川のこのぐねぐね――っとなっている区間は高い丘となっており、ちょっとやそっとじゃ崩れない状況であるが、愛宕橋を超えた付近は若干もろく、現在は堤防の建設によって問題ないのであるが昔は地形的にゲロするのに都合の良い場所だったのである。

 そして、ゲロした場所の直線上にあるのが「若林城」・・・。

 なんでこんなところに「若林城」・・・・・。

 実は、「若林城」建設について、伊達の政宗はこう言っている、「若林城周囲に堀を造れ」と・・・。城内に侵入する敵に対し、攻めにくくする、水にぬれ動きにくくするなどいろいろあるのだろうが・・・・。

 

 そして造る者はこう考えるのである。「穴は掘れるが水はどうしよう・・・・。」

 そうだ、昔できた最寄りの河川から水を曳こう。

 そして形成された状況が以下の絵である。

 絵より、現在はない「A地点」から「B地点」の区間の堀は、大昔の絵図からのみ確認できる堀である。

 その後「七郷堀」は、広瀬川から直接取水し「B地点」で接続する。

 「六郷堀」はというと、絵が薄くて見えないが「堰場」から「A地点」までは昔からある堀で、「B地点」で「七郷堀」と合流する。

 この状況から、若林城の建設において、若林城周囲の何とかしなければならない水は、若林城に通ずる道と並行して「A地点」から取水しよう・・・となるのである。

 こうして建設当初にはさらに欲が出て、「堀を使って船で移動できるようにしよう」となり、若林城周囲の水は若林城留めとしていた。流れはないため船の移動(舟曳)は容易で、「A地点」から「B地点」の区間の堀の水を開閉し、水位調整などしていたのであろう。

  しかし、この「A地点」から若林城まで接続してしまったことがあだとなり、再びやってきた広瀬川の大氾濫により、よりによって水みちとなってしまった人口堀は若林城に向けて突進してしまったのであ~~~~~る。

 現代では、このように訪れる「何十年確立」や「何百年確立」を考慮し建設を考えるのであるが、この時代は・・・・まあ、「できるのか」「できないのか」「大丈夫なのか」の問いに「打首」覚悟で「できるでござる」「大丈夫でござる」と言ってのけたのだろうか。

 そして、溢流が突進し若林城に激突し通過したであろう「六郷堀」は、通過後3本の幹線に分裂し、以下上空写真(1965~1969年)の通りわけのわからない線形と併設を繰り返す構造になってしまったのだろう。

 

 ちなみに、若林城を通過後3本に分かれた堀は、当時、右から「館中堀」「二郷堀」「日辺堀」と呼ばれていたようで、写真中央で「沖野堀」が分けている堀は、現況の「中目堀」(用水路)に置き換えられている。

 上空写真でもわかる通り、いくら当時の人間でも人工的にこのような線形で堀を造ることはしないだろう。特に「中目堀」の線形は異常で、写真から外れた下流側はもっと異常な線形である。さらに雨水幹線として利用することとした近年は、この線形のままコンクリ-ト化している。施工業者には拍手したい。

 私が小学生であった1980年代は、「中目堀」は、まだ素堀状態で雨水幹線として扱われていたが、堀はかなり深く、転落すると大けがになるような状況で放置されていたため、いろいろと検討され今の構造となったのだろう。

 その反面、「中目堀」に対し「日辺堀」は浅く、1980年代当時は既に用水路として活用されてはいなかったが、湿地帯のような場所がちらほら残されていた。

 現在でも仙台バイパスを超えた付近は、以下写真の通り当時の面影が残されている。

 

(3)宮城刑務所周囲の六郷堀の流れ

 近年、過去の詳細地図が売りに出されていた。

 そのため、宮城刑務所周囲の「六郷堀」の流れを見てみると、上空写真ではぼやけてわからなかった部分が、地図上では明確に表現されている。(ウソでなければ)

 少し角度は違うが、以下のとおりである。

 地図の「六郷堀」を水色で着色すると以下のとおりである。

 

 水色の着色ラインは、地図の堀幅に合わせてみたのであるが、まず左(西)から宮城刑務所に侵入してすぐ、「六郷堀」は二股に分かれ、直進した方はトンネルで下(南)の堀とつながっているように見える。

 さらに、二股に分かれたもう一方は現況の「六郷堀」と同一経路なのであるが、別れてすぐに船泊のような場所が描かれている。

 これはぜひとも確認したいところであるが、なんせ刑務所内なので進入すると捕まってしまう。

 実は、他のブログでも紹介しているが、1979年後半の雨天止水時、私はザリガニを獲るためこっそりこの場所まで侵入しているのである。しかし、船泊の合流部付近に「人間の頭部」らしきものがあったため、びっくりして捕獲を断念し逃げ帰ってきた経緯があり、その時のこの部分の印象は、なんとなくであるが草木が生い茂っており船泊など確認できなかった記憶しかない。

 まあ、そんなことはさておき、注目すべきは「六郷堀」は宮城刑務所入口付近で二股に分かれ、そして出口付近で合流していたと思いきや合流しておらず、3本の堀はすぐに2本となって、おそらくこの先で再び別れ3本(「沖野堀」「中目堀」「日辺堀」)となっていたという事である。(地図がウソでなければだが・・・・)

 

次回へ続く・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(1)旧御舟曳堀の分水跡の謎

1)1970年代後半までの概要

 第二次世界大戦の軍備施設集積により苦竹に陸上自衛隊駐屯地が建設され、終戦後の高度経済成長の煽りで田園地帯が商用施設へと改良されるまでは、現在の「荻野町」「卸町」「六丁の目」一帯は田園地帯であった。

 この田園地帯の幹線ともいえる用水路が「高砂堀」(旧呼称「七郷堀」)で、途中複数の用水路を分岐しこれら地区に農業用水を供給していた。

 旧「御舟曳堀」も「高砂堀」(旧呼称「七郷堀」)からの分岐用水路の一つで、「御舟曳堀」は陸上自衛隊駐屯地が建設される前の苦竹付近に至る田園地帯に用水を供給し、「御舟曳堀」の舟曳区間に接続していた。

 「御舟曳堀」舟曳区間は、江戸時代に蒲生地区から七北田川を遡り、上流で七北田川に接続する梅田川の水位では舟曳が困難な理由から、伊達政宗の指導で現在の国道45号沿いに建設した人工堀であり、苦竹付近までが舟曳区間として建設されている。(ただの素掘りであるが・・・)

 「御舟曳堀」の舟曳時は、舟曳のため必要水深を確保しなければならず、この水は「高砂堀」(旧呼称「七郷堀」)から分岐し給水していた。

 その後、江戸幕末に近づくにつれ、舟曳より馬車運搬が早く人手も不要なため、「御舟曳堀」の舟曳区間はそのまま排水路となり、「御舟曳堀」は用水のみ活用されている。

 

 さらに、詳細地図は以下のとおりで、苦竹船泊(赤枠)から東側(右側)が舟曳区間である。

 「御舟曳堀」は舟曳区間の接続まで、「新堀」など複数の用水路を分岐していたが、陸上自衛隊駐屯地が建設され周囲も商用施設へと改良された1970年代には、既に用水の供給を停止している。

 

2)旧御舟曳堀の分水(跡)の構造

 現在の「高砂堀」(旧呼称「七郷堀」)の農業用水供給範囲は、岡田地区、田中地区、蒲生地区のみとなっているが、当時陸上自衛隊駐屯地が建設される前までは、東苦竹付近の梅田川の南側一体すべてに用水を供給していた。

 そして、「御舟曳堀」と「高砂堀」の現況の分岐跡が以下写真のとおりである。

 写真は、環境用水時期に撮影された高砂堀の状況であるが、当時建設された本体の分流構造は、両堀の堀底のレベルの差から、圧倒的に「高砂堀」側に水が多く流れるよう作られ、堀の深さも「高砂堀」の方が深く、通常水量であればすべての用水が「高砂堀」側に流れてしまうといった構造で造られている。

 また、コンクリ-ト化されたときに設けられた角落しゲ-トに、角落し(止水仕切)を設置すると、「高砂堀」と「御舟曳堀」には堀幅分の比率(御舟曳堀4:高砂堀6)で水が流れる(双方の堀に越流する)構造となっている。

 

 わかりやすく図で説明すると、まず、角落しゲ-トがない場合のゲート上流側と下流側の水の流れは以下の通りとなる。

 

 そして、角落しゲ-トを設置した場合のゲート上流側と下流側の水の流れは以下の通りである。

 

 構造より、角落しゲ-トを設置すると、角落しゲ-トを越流するまでゲ-ト手前はダムのように水が溜まり、いよいよ角落しゲ-トを越流するレベル(ゲート上部)で堀幅分の比率(御舟曳堀4:高砂堀6)で水が流れるといった具合である。

 

 実は、本ゲートがコンクリ-ト構造となった時代は1970年代であるが、東苦竹付近までの田園地帯は1950年代に陸上自衛隊駐屯地ができて激減し、1969年の分岐箇所がまだコンクリ-ト化されていない時代には田園地帯は残りわずかといった状況で、1970年代には既に田園地帯がないため用水の活用を停止しているのである。

 それなのに・・・、用水用途がないにもかかわらず御舟曳堀の角落しゲートをコンクリ-ト構造としているのであ~~~~る

 要するに、既に用水利用価値のない御舟曳堀までコンクリ-ト化する必要はなかったのではと疑問に思ったのである。

 

 

3)旧御舟曳堀と高砂堀のルート変更

 上空写真より、1970年代初期に、旧御舟曳堀と高砂堀は上空写真よりさらに下流側(右側)で大きなルート変更を行っている。

 ル-ト変更は、「旧御舟曳堀」は用水の活用がなくなったこと、「高砂堀」は卸町や六丁の目の商用施設計画により土地を有効活用するため線形改良が必要であったこと、大和町など周囲の田園地帯がなくなったため用水排水を受ける必要がなくなったこと、などが理由として考えられる。

 

 しかし、以下写真の「A地点」から「B地点」の間のうち、大きな線形改良がおこなわれたのは「B地点」付近のみと見受けられる。これは、1969年の田園地帯が1978年には宅地化された状況を見ると、民地改良の都合上、土地の買収や予算がなく、ルート変更などの改良ができなかったのではないかと考える。

 さらに、1974~1978年の上空写真は、「高砂堀」の一部区間は暗渠化され、「御舟曳堀」は用水の利用用途がなくなったにもかかわらず残されている。そして、暗渠化されているため定かではないが、「B地点」では再び「御舟曳堀」は「高砂堀」と合流しているように見える。この見解は、この先(下流側)で「御舟曳堀」の別ルートがまったく確認できなかったことによる。

 

4)小学生のときの記憶

 実は、「A地点」から「B地点」の区間は、小学校4年生の時に同級生だったABE氏と一緒に「ザザ川探検隊」などと称し、学校帰りに「高砂堀」を仙台バイパスまで辿ったことがある。「ザザ川」とは、通学途中にあった「仙台堀」のことであるが、その時の記憶はかなり鮮明に残っており、ABE氏は軽い気持ちで誘ったのであろうが、私はかなり本気であった。

 なぜかというと、当時の仙台市の地図は、仙台バイパスを超えた時点で経路が途絶えており、さらに大きな地図では、「高砂堀」など掲載されていなかったので、「高砂堀」がどこまで流れてこの先どうなっているのかがわからず非常に興味が沸き気になって気になってどうしようもなくなってしまったからである。(はっきり言って、当時の地図は改良が多かったせいか手抜き地図が多く販売されていたのである。怒怒怒・・・)

 

 当初の「ザザ川」探検隊の任務は「七郷堀がどこから流れてきているか」というものであったが、これについては距離も比較的近かったため、あっさり「広瀬川」から流れてきているということが解明でき任務は完了してしまった。

 「広瀬川」が流元であったことの当時の衝撃は、「地球は丸かったのだ・・」などという自分では確認できない非現実的な衝撃よりも大きかったため、これに味をしめてしまった僕らは、「広瀬川」に向かう途中に「七郷堀」が「仙台堀」と「高砂堀(当時は七郷堀)」を養種園(現 若林区役所)で分けていたことを確認していたため、次回の任務は「高砂堀」の流末調査がお約束事となっていたのである。

 そして、調査の当日、いとこのおじさんからもらった当時貴重な写ルンですより一回り小さいポケットカメラを片手に「高砂堀」の調査を開始した。

 「高砂堀」については、当時は白萩町を超えた付近からは未見の地であり、「広瀬川」までの調査とは比べ物にならないほどの高揚感であった。

 

 そして、「御舟曳堀」との分岐箇所に到達する。調査は私が先陣を切っていたため、分岐後は「高砂堀」側を追うことにしたのであるが、ABE氏は「あれ-、別れちゃってるよ-、どっちに行くの?」と聞いてきたので高砂堀側の「こっちに決まってんじゃん」と言い返すと、「おれ、こっちの方を辿ってみるよ」と言ってわけのわからない抵抗を見せ、ABE氏は「御舟曳堀」側をたどるというように調査は「高砂堀」側と「御舟曳堀」側に2分されたのである。

 一人になって、その後の「高砂堀」の状況はというと、上空写真では道路のない民家の隙間を流れているように見えるが、実は田んぼのあぜ道程度ではあるが、「高砂堀」沿いに自転車でも通れる道が存在していた。

 「高砂堀」とあぜ道の間には柵がなかったため、よそ見をすると「高砂堀」に転落してしまう恐れがあったため、「高砂堀」の状況については時折チラ見する程度であったが、堀は浅く、幅は狭く、流れは急で・・・・・、なぜここだけこんな貧相な状況になっているのだろうと不思議な思いであった記憶がある。

 1970年代の上の写真でもわかるが、「高砂堀」と「御舟曳堀」の堀幅はほぼ同じというより「高砂堀」の方が狭い気さえする。

 

 白萩町付近の「高砂堀」の堀幅は比較的広く、側道との高低差は5m以上、堀幅も5m以上はあったかと思うが、本区間の堀幅は2.5m程度で3mはなかったような記憶がある。(飛び越えられそうな堀幅であった)

実はABE氏と別れて10分後ぐらいに、たまたまであるが「B地点」でばったりABE氏と合流したのである。

 「あれ、もう一方の堀は何処へ行ったの?」とABE氏に聞くと、ABE氏は、「ずっと追っかけてたんだけど、途中でトンネルになってそのままここに着いた」と言い返してきた。??????????????????????・・・・・。

 その時私は「「何言ってんだ-こいつ-・・・・」」と思ったのであるが、今になって1970年代の上空写真の状況を見ると、当時の発言は、まんざら嘘ではないようである。(ハハハハ・・・・反省)

 とにかく日が暮れかかってきていたので、急いで「高砂堀」の暗渠出口を探していたのであるが、なかなか見つからず自転車でうろうろしていると、「あったあった見つけた見つけた・・・」と、100m以上も離れた場所からABE氏が大声で叫んでいたため、近くへ行ってみるとまだ相当先の方らしく、「こっちこっち・・」「こっちこっち・・」としばらく誘導され付いていくと、以下写真の場所へたどり着いたのである。

 近年柵(ネットフェンス)が設けられているが、それ以外は当時と何も変わっていない。

 「よく見つけたなあ・・・」とABE氏を褒めると、「なんかこっちの方へ流れて行ってる気がして・・・・・ハハハ」などと子供自慢していたような気はしたが・・・・、そんなことはどうでもよく、日が暮れないうちに先へ進むことに専念したのである。

 そして、その後は仙台バイパスを超えたところで日が暮れてしまったため、捜索を断念したというのが当時の記憶である。

 この過去の記憶でポイントとなりそうなところは2点あり、まず1点は「堀幅は2.5m程度で3mはなかった」という「御舟曳堀」を分けたあとの「高砂堀」の小型化であり、もう1点は「ずっと追っかけてたんだけど、途中でトンネルになってここに着いた」というABE氏の発言で、「御舟曳堀」と分岐後の「高砂堀」は、再び暗渠内で「御舟曳堀」と合流している可能性が高いという部分である。

 

5)線形改良前の上空写真

 線形改良前の「高砂堀」の上級写真でも何かわかるかもしれないと思い、よ~~~~く見てみることにした。

 そして、上の上空写真(1969年)をよ~~~く見ていると、「御舟曳堀」を分けた後も「高砂堀」は盛んに用水の分岐を繰り返しているが、写真中央付近から東(右)は、逆に田園地帯からの排水を取り込んで、「高砂堀」はどんどんどんどんどんどんと堀幅を広げ、その先の下の上空写真では、さらに堀幅は広くなり、右上のダムのような堰場の堀幅は、梅田川と同等の幅にまで拡幅されている。

 おそらく、当時の七郷堀は、水害による広瀬川の反乱河川を利用していた関係と、当時建設機械が開発されていなかった時代の整備であったため、七郷堀は「用水」と「排水」を繰り返しながら海までちゃんぽん水路として延伸させ、現在のように専用の「排水路」を設けていなかったものと想定する。

 つまり、先ほどの「民家付近の高砂堀の小型化」は、最初の用水供給エリアで「高砂堀」の用水分岐により、「高砂堀」の水量が極端に低下した状況で整備されてしまったため、「堀幅は2.5m程度で3mはなかった」という事ではないかと・・・・。

 その場合、1970年台となって田園地帯は宅地へと変わり、「高砂堀」は用水分岐の必要がなくなったため水量は減少せず、「高砂堀」改良に必要な民地確保が地主の関係で買収できず、開発を優先する仙台市の予算の都合上、堀幅は2.5mのまま整備しなければならない状況ではなかったのかと想定される。

 

 

(2)謎の解明

 ここまで解明されると、利用用途がない「御舟曳堀」を継続利用した理由と、「B地点」で合流させていた理由の想像がつき、「謎」は解明されてしまったと思うが、既に用水利用価値のない御舟曳堀までコンクリ-ト化する必要性は、高砂堀増水時に一時的に「御舟曳堀」へ「高砂堀」の水を分水して水量を減らし、民家付近の高砂堀が小型化している場所の溢水を防止するための予備ゲ-トだったのではなかったのだろうか。

 東地区の用水路は、「高砂堀」に限らず「角串堀」や「柳堀」でも雨水の増加によって溢水しそうな箇所は複数存在するが、その部分を深くすると非かんがい期には残水箇所となって悪臭が発生し、江戸時代からある用水路のすべての区間の堀底のレベルを把握(測量)するには多大な費用が必要である。これらを考慮すると、予備ゲ-トの建設など大した費用ではないのである。

 

(3)もう一つの謎

 実は、当時調査していた中で、足を止めてとどまってしまったほど「けたたましい滝のような水音」を発していた場所があり、

その水音の正体はいったい何だったのだろうかと今になって気になってしまったのである。

 その場所は「御舟曳堀」を分岐して100m程度下流側に進んだ場所なのであるが、「高砂堀」は止水期(非かんがい期)であったため、高砂堀の水音ではないのは確かである。

 そして、その場所の現況は、以下写真赤枠の場所である。

 

 雨水排水の場合、そのまま斜めに進むと「高砂堀」に合流する方向であるが、「高砂堀」の橋の下の状況は、以下写真のとおりである。

 橋の下の「高砂堀」の擁壁には雨水を吐き出す開口はなく、橋の少し下流に擁壁を後からコンクリ-トで埋めたような痕跡(赤枠)がある。しかしこの痕跡の位置とその上のマンホ-ル蓋の位置関係はずれておりまったくリンクしておらず、当時堀内を覗いた時も雨水を吐き出す開口は無く、橋の下にも開口は無かったような記憶である。

 そして、以下写真(赤枠)の「高砂堀」暗渠入口付近の例のアレである。

 この写真の開口位置は、先ほどけたたましい音がしたマンホ-ルから50m程度下流の位置にある。

 

 

次回へ続く・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(1)七郷堀の止水概要

 七郷堀は、広瀬川に愛宕堰を設けて堰手前で分流させている。

 七郷堀の止水は、分流先の愛宕堰\取水樋門によって実施され、止水時は愛宕堰取水樋門の手前にあるバイパス河川により再び広瀬川に戻す構造となっている。

 

(2)通年通水の概要

 用水路は、稲や作物を育てる春先から秋にかけてのみ水を必要とし、その時期は年間を通して雨が多い時期(出水期)である。そのため、雨が少なく稲や作物に水を必要としない時期は、取水元の河川の水が渇水しないよう、生物を含む河川の保護を目的に用水路には水を流さないようにするというのが基本的な考え方であろう。

 しかし、本地域は七郷堀など歴史が古く、取水停止後の残水による悪臭は周辺住民から苦情も出されていたようで、残水は数日間、場所によっては年中滞留する場所も多く散見され、風で飛ばされたごみの蓄積場所となったり不法投棄も後を絶たないなど問題が続いていたようである。

 七郷堀を含むすべての堀は、遠い昔に広瀬川の氾濫などによって水みちができ、それを利用して用水路を開削したものと想定されるが、地質、地盤状況、及び水の流れや屈曲により数百年かけて堀底には凹凸が生じ、止水後も残水が各所で散見された。

 さらに、輪をかけて合流式下水管の破損防止対策として実施された雨水合流下水の七郷堀(用水路)への放流は、予算の都合上止むを得ない処置だったのだろう。

 しかし、これらゴチャゴチャとした対策は、簡単に広瀬川が渇水しやすい冬季に七郷堀へ水を流すことが望ましくない、つまり「広瀬川が渇水したらどうするんだ」という事なのだろう?

 それであれば「子供の意見」であるが、「渇水しそうになったら七郷堀を一時的に止水すればいいだろう」とか「木流堀を使って名取川や笊川と水位調整できないの」とかの渇水防止を考えてしまうが、そんなのは廃案なのであろう。(近年は、縮小した田園地内に地下水をくみ上げる揚水ポンプ場を建設しているが)

 

 このようなことが考慮され「環境用水」と称されているようであるが、最大水量は広瀬川から冬水として最大 0.3㎥/sを通水することとされているようで、かんがい用水と併せた年間取水パターンは以下のとおりとなっている。

 環境用水は、かんがい用水最大時水量の約1/20~1/25と少ないが、9月10日~10月15日を除き、約6か月間とかんがい用水期間と合わせてほぼ通年通水化が可能となっている。

 

(3)通年通水の対象範囲

 通年通水の対象堀と流量は、以下のようになっている。

 そして、Web上では以下の概要図が複数公開されているのであるが、この中で「大江堀を経由する概要図」と「大江堀を経由しない概要図」が存在したため気になってしまったのである。

 

1)大江堀を経由する概要図

2)大江堀を経由しない概要図

 いずれのルートも、高砂堀系は七郷堀雨水幹線を経由して梅田川へ放流。

 仙台堀系、鞍配堀系及び六郷堀系は、霞目雨水幹線を経由して名取川へ放流する経路で、田園地帯へは環境用水が流れない経路としている。

 この大江堀を経由する経路と経由しない経路については、現地を確認すれば何か解かると思うので、確認するまでのお楽しみにしておこう。

 

(4)通年通水に伴うゲート操作

 Web上には、「通年通水に伴うゲ-ト操作業務 対象施設位置図」というものがあり、本図は何かの管理図を利用したものらしく混乱してしまうが、よ~~~~~く見れば見るほどわからなくなる。

 凡例は赤色「番号」の3箇所のみで、白色「□番号」の3,5,6を除く7箇所を含め計10箇所のゲートに番号があり、いまひとつゲートの操作目的がわからない。というのは六郷堀系が非対称であり、操作しなくともよいのではないかと思われるゲートも対象となっているようで不自然だからである。

 もしくは、六郷堀系は、仙台市もしくは直轄管理団体が対応するものなのだろうと考えれば納得できるのであるが・・・。

 ん~~~~~。しかし、環境用水は、非かんがい期のみ実施するものだし、水量も乏しいのだから、かんがい期の終わりに一度ゲ-トを制御すれば終わりではないのか?

 仮に非かんがい期に季節外れの大雨が降ったとしても、田んぼに水が流れてないよう止水されているのだから制御は不要で、わざわざ業務委託する必要はないのではないだろうか?

 それに、取水元の広瀬川が渇水した場合、愛宕堰取水樋門を止水して終わりではないのか?

 まあ、とりあえず、番号のゲートの開閉状況について現地を確認すれば何かわかるかもしれない。

 

(5)操作ゲートの調査

 それでは、お楽しみの各所の操作ゲートを調査してみることとする。

 とりあえず、調査の順番は施設対象位置図の「□番号」順で10箇所を調査してみることとする。

 

□1)愛宕堰取水樋門の調査

 愛宕堰取水樋門については、「七郷堀の止水概要」でも説明した通り広瀬川の取水樋門であり、この取水樋門ですべての用水が止水できる。

 また、環境用水の水量0.3㎥/sは、この樋門制御で実施されるはずである。

 七郷堀は、現在、唯一の用水元であり、全ての用水をこの1か所で止水できるため、広瀬川が渇水した場合は、これを止水しておしまーーーーーいである。

 

□2)六郷堀・七郷堀分水堰の調査

 通年通水量0.3㎥/sを七郷堀0.21㎥/s、六郷堀を0.09㎥/sは、この場所で制御するのであろう。

 単純計算だと、七郷堀3に対し六郷堀1となるが、以下写真(写真上側:七郷堀、写真下側:六郷堀)の状況では単純にこの比率になっておらず、七郷堀0.09㎥/s、六郷堀0.21㎥/s程度になると思う。(たしか撮影時期は環境用水の時期だったと思うが・・・・)

 なお、当時の試験通水時に0.2㎥/sで実施したとき「高砂堀」の水が流れなかったため0.3㎥/sにしたとどこかに描いてあった記憶があるので、以下の開閉状況だと高砂堀に水は流れないんじゃないのかな?。

 

□3)鞍配堀取入ゲートの調査

 鞍配堀取入ゲートは、近年更新されたようで電動化されている。

 カメラがないため現地で制御になると思うが、電動なのにわざわざ現場で制御するなど非効率である。 一応、赤の番号の3か所のうちの1箇所に該当している。

 七郷堀川にはゲートがないため、本ゲートは止水または水量制御しかできない(水量が少なすぎて水量制御もできない)のではないかと思う。

 あまり見かけない方式であるが気圧式なのかな?

 

□4)鞍配堀切換ゲートの調査

 実はこの場所についての調査がまだ未定で、上空写真からの確認ではゲートは電動化されているようである。

 その先の地下での「霞目第1号雨水幹線」との接続状況も、地上からはいまいち確認できないが、おそらく、さらに下の写真で、震災の影響による道路の盛り上がりや「佐久間堀雨水幹線」との交差部分の状況より、「鞍配堀」が「佐久間堀雨水幹線」をサイフォン構造かなにかで交わし「霞目第1号雨水幹線」に接続しているものと想定する。(「霞目第1号雨水幹線」の起点もよくわからないが・・・・)

 左ルートは水質悪化に伴う薬注施設かな?

 かんがい期初期や環境用水期の雨水等残水による水質改善施設かも?

 環境用水期であればほかでまとめてやればいいと思う?

 苦情が多かった地域だったのだろうか、施設を設けざるをえなかった・・・・・とか。

 震災の影響なのだろうか、ボックス埋設部分が沈下せず、道路がモッコリモコモコになっているではないか。

 ん-ん。確かに「佐久間堀雨水幹線」をスルーーーしているようだねえ。

 でもサイフォンだとすると残っている水はどうするんだろう。定期的にポンプアップするのかなあ。

 そうしないと「大学堀」みたいにとんでもないことになるよねえ。

 ウォ―エ――――――――ッ。

 ドュウ―――――ォ――――ッ。

 なので、「佐久間堀雨水幹線」手前でレベルを下げたあと、そのレベルで「霞目第1号雨水幹線」に接続している可能性が高い。

 

□5)仙台堀分水ゲ-ト

 ええっと・・・、これは「七郷堀」が「仙台堀」と「高砂堀」を分岐した後の「仙台堀」側のゲートなのであるが・・・・分岐は、おそらく七郷堀幹線(雨水合流式下水の一時貯留地下施設)しかなく、七郷堀幹線の定期清掃でもやるのかな?

 番号は一応、赤の番号で3か所のうちの1箇所となっている。

 環境用水時期で「仙台堀」に環境用水が流れていない時があったので、「それ」をやっている時なのかな?

仙台市が管理する2024年の七郷堀

 

□6)高砂堀のラバ-ダム(七郷堀ラバ-ダム)

 「七郷堀雨水幹線」側のゲ-トは、気圧でゴムを膨らまし止水するゲ-トである、止水する時はかんがい期のみと想定する。

 分流構造は、ラバ-ダムで止水しないと「岡田堀」(用水路)に水が流れない構造となっている。

 かんがい期の状況は以下写真のとおりである。

 非かんがい期に行ったことはないが、おそらく上空写真を見る限りラバ-ダムはぺったんこになり水中に隠れてしまうようである。

 

□7)岡田堀止水ゲ-ト

 岡田堀止水ゲートは、非かんがい期に止水して終わりである。

 ただ、岡田堀に止水ゲートを設置しなくとも(開放状態)、よほどの大雨にならない限り「岡田堀」の水位まで到達することはないと思うが・・・・ 「岡田堀」側に止水ゲートは必要なのだろうか。水位制御するのであれば必要であるがそうなのだろうか。そういえば非接触の水位計が「岡田堀」側に設置されていたような気がするので水位制御しているのだろう。この先の角串堀や田中堀もかんがい期は溢水寸前だし。

 ただし、環境用水は流さないので、環境用水時に本ゲ-トの制御は不要だと思う。

 

【左写真:非かんがい期の角串堀  右写真:かんがい期の角串堀】

 

□8)第一分水堰ゲート

 いわゆる「仙台堀」と「大江堀」の分岐ゲ-トである。

 環境用水時は両ゲートとも解放されていたと思うが・・・・。

 しかし、第一分水堰ゲートの制御って必要なのか?

 保守用(下流側工事などの止水)であれば必要なのであろうが・・・・。

 

□9)(仮称)仙台堀排水ゲート

 てっきり□8と□9は同じ第一分水堰ゲートのものかと思っていたら予想外、とんでもないものを見つけてしまった。

 以下写真の右は、「大江堀」を分けて約1/2の水量となった「仙台堀」であるが、どこへ分流しているのか摩訶不思議なゲ-トを発見!!!。

 しかも遠隔制御可能な高価な電動ゲ-トではないか-。

 このゲートの場所は、当時、並行して流れていた「第9号用水路」が、荒井地区の田んぼへ向けて南へ90度旋回する地点である。

 本ゲート(以下写真)の向きは、「仙台堀」の北側に併設しており、本ゲ-ト北側には用水を供給する田園地帯はなく、唯一近くに存在する「大江堀」が用水を供給している学童研修用の小さな小さな「蒲っ子田んぼ」のみである。

 まままままままままままま・・・・まさか!!!、もしかしてこれは「霞目雨水幹線」への放流場所なのか----。んんんんんんんん----、もうそれしか考えられないではないか。

 てっきり「霞目雨水幹線」は、廃止した「第9号用水路」をそのまま地下で延伸しただけで途中の路面排水をかき集めて大きくなっているものと思っていたのだが・・・。

 しかし、「霞目雨水幹線」へ放流するのであれば、「大江堀」の暗渠入口ゲ-トにも「荒井第1号雨水幹線」(その先で「霞目雨水幹線」と合流)への放流場所があ---るのではないか-?。(上写真青丸)

【以下写真:環境用水及び雨天時の状況】

 

【以下写真:かんがい用水供給時の状況】

(右からニョロっと出ているホ-スのようなものは、おそらく「蒲っ子田んぼ」への用水供給管)

 

 という事は、環境用水で「仙台堀」と「大江堀」との分岐箇所(第一分水堰ゲート)において、「大江堀」を開放し「仙台堀」を止水するという器用なゲ-ト制御ができなかったのかなー。または、その制御を行うための制御盤改造費が高価であったのかー、はたまた「大江堀」の既設ゲートが老朽化していたため更新が必要であり、既設ゲ-トの更新費と制御盤改造費の合計費用が既設ゲ-トの更新費用と「仙台堀」にゲ-トを新設した方が総合的に経済的であったとか?・・・・・、なんてなにがなんだかよくわからなくなってきたが、「そ・の・方・が・よ・か・っ・た」という事なのだろう。

 そういえば、先ほどの「第9号用水路」が廃止となった「大江堀」と「仙台堀」の分流ゲートの写真を振り返ると、写真は環境用水時期の撮影であり、「大江堀」、「仙台堀」とも環境用水が流れているではないか----ちょろちょろちょろちょろちょろちょろと-!!!!!!!。(微妙にゲ-トの高さの違いが気がかりであるが)

 

 「な!ん!で!」こんなことに気づかなかったのだろうか俺は!・・・。

 どう考えても両方の堀に環境用水を流しているのは、「お!か!し!い」に決まっているではないか。

 この時点で気付かなければならなかったのは、「仙台堀」に水が流れてしまうとゲートが設置されていない「広瀬堀」にも環境用水が流れ、田園地帯に環境用水が流れ込んでしまうと考えるので・・・おかしいと思わなくてはならないはずなのである。

 しかも、現地視察時は、「仙台堀」も「広瀬堀」もカラッカラ・・・環境用水どこへいったの?状態であった。

 また、仮に写真の「広瀬堀」にゲートを設けたとしてもだっ・・・、途中分岐する「御蔵堀」「屋敷堀」といった複数の分岐用水路のゲ-トも制御しなければならず、これらゲ-トはすべて手動ゲートであるため現地で止水制御を実施?・・・。な-んて馬鹿げた話になるのである。(管理者がたいへんたいへんたいへんよー)

 しかーし、こーれではっきりした、はっきりくっきり分かったのである。

 

 そして、もう一度「仙台堀」環境用水制御ゲ-トをじっくりじっくり見てみることにしよう。

 んん・・・・?むむむむむむむむむむむむむむむむむむ・・・・?

 ゲ-トが1枚・・・だーけーーーーー?

 だーーーーけーーーーーって、これではゲートを解放してもほとんどの水はその先の「仙台堀」に流れてしまうんでねえのけーーーーーーーーー?

 もうどーーーなってんのこれーーーーーー。

 んんんん・・・、そうか、写真では隠れて見えないが「仙台堀」の底に段差がついていて環境用水のようなびびびび微々たる水量はその段差を通過できずに環境用水放流側へ流れてしまうってことかー。

 そうとでも思わないと、今夜は眠れなくなってしまう~~~~。

 

 しか――し、ゲート番号はないが、六郷堀系の「中目堀」の環境用水制御場所は、たしかゲートが2枚設置されていたなーーーなーー。

 おおおおおおおおおおおおおおおおおおお・・・・っ。2枚2枚2枚2枚2枚2枚・・・・ゲートが2枚あーるではないか---。

 まさかこれは不経済な設計ミスなのか-?。

 いや、しかし、この浅さでは底上げして止水して・・・・この区間に水を溜め込むには、集中豪雨などで異常水位となった時に溢水の恐れがあり、ちょちょちょちょっち・・・・ちょっとだけ安全面でリスクが大きいのかも・・・しれない。

 よしっ、とりあえず、これで今日は眠れるっ・・・・・・・・。

 

□10)大江堀分水ゲート

 大江堀については、2枚のゲ-ト開閉によりかんがい用水供給と環境用水及び雨水排水のルートを変更することができるようになっている。

 

【以下写真:環境用水】

 

【以下写真:かんがい用水】

 

 その場合、かんがい期と非かんがい期の年2回ゲートを制御すれば終わりとなる。

 

次回へ続く・・・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(1)対象位置概要

 仙台市が発注しているスクリ-ン清掃及び点検業務の対象位置が気になったので、調査してみることとした。

 以下に示す位置図は、Web上で一般公開されている、スクリ-ン清掃及び点検業務の発注資料に添付されている概要図であるが、若干、堀の名称やルートが現地と異なる部分があり、気になる気になる・・・「気になる病」になって眠れなくなってしまったので少し確認してみることとした。

 基本的に清掃及び点検業務なので、概要図はさておき、実業務は対象箇所がわかれば業務発注において特に問題ないと思うので、その点については特に気にしないことにしよう。

 

 まず、位置図の左下凡例表の管理番号であるが「○付番号」と「○なし番号」があり、備考欄に「○なし番号」は「水路または雨水集水桝」と記載があり「○付番号」は「N水路」とある。おそらく、水路は雨水排水路、N水路は農業用水路であるのかと想定する。それに伴い、位置図中の青線は農業用水路で、緑線は雨水排水路(雨水幹線等)であると想定するが、この種別については、対象場所の水路が重複している場所で対象スクリ-ンがどちらの水路のものであるかがわかるようにしているものと想定する。

 しかし、対象の水路が代表的なもののみで全てが記載されておらず、水路のない場所の対象位置が不明瞭であったため気になる気になる・・・「気になる病」になってしまったのである。

 また、住所と番号が一致しない部分もあったが、これについてはすぐわかるので問題ないと判断した。

 以上の内容を踏まえ、凡例表を正とした番号で別図の経路図(追記途中)にその位置を落としてみたところ、以下のようになった。

 

(2)対象箇所のまとめ

 まずは、概要図において明らかに住所と番号が異なる場所などは概要図の番号を移動させたが、凡例表においても少し追記したくなってしまったので、以下のように修正してみた。

 ただし、先ほど○なし番号の水路は雨水排水路と想定したが、用水路の場所もあったためその部分は用水路の名称とした。

 

 それでは、現地の各スクリ-ン等設置状況写真をまとめてみたので、凡例表順に下表に整理する。

 

 その他、気になった場所として以下表の場所にもスクリ-ンが設置されていたのであるが対象外なのだろうか。

 その場合、考えられるとすれば、「ゴミが比較的少ない」や「他の管理」などが考えられる。

 

(3)各所の状況

 それでは、各場所の状況についてコメントする。

 

1)①六郷堀(堰場)

 六郷堀が七郷堀より分岐し、長距離の暗渠区間となる入口(下図赤丸)である。

 暗渠区間は、河原町から南小泉3丁目にかけて約1kmの暗渠区間で、過去4~5回にわたって暗渠化延伸工事を実施している。

 当然であるが、中がどうなっているのか気になる気になる・・・・・気になる病になってしまったため、試行錯誤し入手できた暗渠内の写真が以下の写真である。

 

 こ・こ・こ・これは・・・・・・・思わず写真を見た瞬間絶句してしまった。おそらく場所は宮沢橋付近の暗渠内で、カーブ線形の部分がトンネル構造となっている部分であるかと想定する。

 上部は大型車両も通過する道路であるが、定期的に点検及び補修工事を実施しているようなので、本体老朽化による陥没などの心配はしていないのだが、どうしても途中区間を見てみたいと思って自分が中に侵入した時のことを想像してしまう。

 そして、「想像の中で恐怖」するのである。まずこの場所に侵入するためには、入口にはスクリ-ンがあるため進入できない。また、写真左上のマンホ-ルは、カギが掛かっていること、カギが入手できても上部は車道のため道路を交通規制しないと進入できないことから、同然であるが出口から侵入し、1km程度の距離を歩いて来なくてはならないなあ。そのあと、ふと写真の壁面の水跡を見るのである。水跡は奥のトンネル上部付近まで汚れがあり、おそらくかんがい期初期には一番薄い部分の汚れのレベル、その後は下の少し濃い部分の汚れにまで水位があると想像でき、ブ・ル・ル・ル・ル・・・・・・・・・・・・と恐ろしさのあまり気が遠くなってしまうのである。

 写真の区間は、六郷堀の通常区間に比べ堀幅が拡幅されているようである。

 それでは、その後の区間はどうなっているのかと、気になる気になる・・・・・気になる病になってしまったため、やっとこさの思いで探し当てたのが以下の写真である。

 

 おそらく、現況の六郷堀暗渠区間の1/2まで完成していて、その後の東北本線までの区間を建設している写真であろうと想定する。左上の歩行者がジャンパ-を羽織っているので非かんがい期であると想定するが、湧水雨水の残水であろうか若干水が溜まっている。その非かんがい期でこの天上の高さだとすると、かんがい期の水位はほぼ天井・・・、ブ・ル・ル・ル・ル・・・・・となってしまう。

 また、暗渠内の堀底が全てコンクリ-ト化されているとは思えないし、高砂堀のように途中ごみ溜めか生物保護のためかに設けられた大きな桝(以下写真)が堀底に設けられていてはまってしまうかもしれない。さらに、はまって長靴の中にヒルなんかが入り込んでしまったら・・・・・・・、「ウ・キィ-----」となってしまうではないか。

 な・の・で、暗渠内への侵入はあきらめることとした。

 

2)②鞍配堀(南小泉)

小泉堀ってとんでもないとこ流れちゃってんのねの巻を参照

 

3)③高砂堀

仙台市が管理する2024年の七郷堀を参照

 

4)④大谷地3号堀

 「大谷地3郷堀」は、荒井地区の田園地帯に用水を供給するため、荒井地区の宅地化及び商用施設化に伴い、ルートを変更し、現存する田園地帯の用水を供給している。

 用水供給エリアは「柳堀」と同一地域であり、「柳堀」のみから供給するようにも改良できるのではないかと思うが、将来は雨水幹線として活用することを考慮すると、道路改良時にとりあえず農業用水路として整備しておくことが得策であると判断したのであろう。

 「大谷地3号堀」の開削区間はほぼ0に等しく、地上から「大谷地3号堀」を把握するためには、「大江堀」の暗渠区間の少し手前に存在する以下謎のゲートを発見し、このなぞなぞを解き明かさなくてはならない。

 写真のゲ-トは、「大江堀」が暗渠区間となる約100m程度手前にある止水ゲ-トである。

 内部は以下写真のとおりで、左のゲ-トはそのまま再び「大江堀」と合流するゲートである。

 右は、「大谷地3号堀」への用水を止水するためのゲートである。

 どうやら、「大谷地3号堀」の用水制御は、この2枚で実施されているようである。

 「なぜゲートが2枚必要?」の疑問については、「荒井地区田園地帯の長距離暗渠区間の高低差で、水が流れてゆかない」、「かんがい期当初など水量が足りない時期がある」、「大谷地3号堀を将来雨水幹線に切り替えた時、大谷地3号堀雨水幹線の一部区間は大江堀側へ流れてくるよう建設されている」、「水量が多い場合に手前のスクリ-が持ち上がらないため止水するための保守用ゲ-ト」などが考えられる。

 そして、ゲ-トの上流側には、以下写真のように「大谷地3号堀」側へそのスクリ-ンが設置されている。

 ここで、現地では見落としていたのであるが、写真右側に角落しゲ-トが設置されている。

 拡大すると以下写真のとおりである。

 ゲートと壁面の間に隙間があり、保守用ゲートなのだろうか。

 もしかしたら、スクリ-ン清掃の際に、2台のゲートを止水しなければスクリ-ンが持ち上がらず、かんがい期に必要な「大谷地3号堀」へのバイパスル-トとなるのだろうかと想定してしまう。

 また、「そんな大変ならスクリ-ン清掃は非かんがい期にやればいいんじゃないの」と思うが、水のない非かんがい期にたまったゴミは、かんがい期の水によって流されスクリ-ンにゴミが溜まるため、やはり、スクリ-ン清掃はかんがい期直後に実施しなければならないと判断する。

 んんんんんんんん・・・・・、あああああああ・・・・、もう手が込みすぎではないのか?

 もっと「スカーーーッ」といかないもんなんかなぁー。

 

 スクリ-ン部分を背面から見てみると、左側にバイパス経路のようなものがある。

 そして右側には、何かを巻き取り引き上げるものがある。

 んんんん・・・、これらを推測すると、以下の通りとなる。

①     水量が多いかんがい期のスクリ-ン清掃時は、まず、「大谷地3号堀」に用水が流れなくなるため、バイパスゲートを解放する。

②     その後、スクリ-ン後方のゲート2台を止水し、水の流れを停止させる。

③     水の流れが停止するとスクリ-ンにへばりついているごみのへばりつき強度がなくなり、そのごみは「大江堀」側へ流れだす。

④     そこをすかさず仕掛けておいた巻き取り機の網ですくい上げる。

 

・・・・ってな感じかな。ハハハハハ・・・・・・。

 もうどうでもいいや、次へ進みましょう。

 

 「大谷地3号堀」の暗渠ル-トは、以下の通り永遠と歩道下の暗渠内を荒井駅前に向けて通していく。

 この辺は、植栽の下を通しているようである。

 いや~~~長いですな-。

 ちなみに、所々に見受けられる空気抜きのグレ-チング蓋は、砂利も通さない目の細かいものを使用している。

 ようやく荒井駅前の交差点に到着。

 そして、荒井駅前の「大谷地3号堀」分岐箇所であるが、グレ-チング上に分岐方向がわかるようプレ-トを嚙ませている。

 この先はつまらないので、機会があったら紹介する。(完)

 

5)⑤大江堀

「大江堀」は、1980年台に六丁の目付近の宅地化及び商用施設化に伴い、用水供給を停止している。

その後、途中分岐する「大谷地堀」は、荒井地区の田園地帯へ用水を供給するため、改良過程によるル-ト変更で「大谷地2号堀」、「大谷地3号堀」と名称を変えているが、「柳堀」に至っては、「大江堀」との分岐箇所を変更して以来は、当時のままのルートを現在も残している。

 現在「大江堀」は、蒲町中学校付近から暗渠化され地上部からはその詳細ルートが確認できず、暗渠化位置は、新たに整備された「荒井第1号雨水幹線」への放流箇所が設けられている。

 「荒井第1号雨水幹線」への放流は、非かんがい期の雨水、及びかんがい期に用水を停止している時間帯の雨水を、暗渠入口の止水ゲ-ト2枚で切り換え制御しているようである。

 写真のうち、ゲートの開閉状況から、右のゲートが「大江堀」、左のゲートが「荒井第1号雨水幹線」である。

 スクリ-ンは見受けられないが、ごみを入れるためのカゴが置いてある。

 余計な話であるが、右のかんがい期の写真の向こうに見える田んぼは、学業用に利用している「蒲っ子田んぼ」なるもので、田んぼの用水は、右写真の右下にニョロっと下がっているホ-スから給水しているようである。(左の非かんがい期写真では上部に引き上げられている)

 「大江堀」は、この先暗渠区間で分岐は行わず、開削区間から「柳堀」となるのであるが、「荒井第1号雨水幹線」は、その手前で右へ旋回する。

 それであれば、右ゲートを「荒井第1号雨水幹線」、左ゲートを「大江堀」とすることが合理的ではないかと考える。

 また、当時「中倉堀」が仙台バイパスを越え、排水路(中倉堀雨水幹線)となって「大江堀」に放流されていた経路は、「荒井第1号雨水幹線」が右へ旋回する地点で「荒井第1号雨水幹線」に合流させているようなのである。(以下写真「中倉堀雨水幹線」の大江堀合流付近)

 そして、当時の「大江堀」は、2014年代まで一部開削区間が残されており、この開削部分と「柳堀」との関係も気になるところである。

 ちなみに、「柳堀」の開削区間が始まる部分の「大江堀」終端部(2014年9月)の状況は、以下写真のとおりである。

 もうこの時点では、用水路として活用しておらず、妻壁端部に見える雨水排水路を取り込み逆流させ、「荒井第1号雨水幹線」に合流させる計画であった可能性が高い。

 現況、この部分は埋設され、どのようになっているのか確認できないが、まずは「上流側から見た年度ごとの道路改良写真」、そのあとに「下流側から見た年度ごとの道路改良写真」を以下に示す。

 

 

 

 

 

6)⑥仙台堀

 

七郷堀の環境用水制御ってど~~~なってんの?

 

 

 

次回へ続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(1)梅の木堀の概要

 「梅の木堀」は、現在の若林区役所で「七郷堀」が「高砂堀」と「仙台堀」を分けたのち、すぐに「仙台堀」が遠見塚付近の田畑に用水を供給するため分けていた堀である。その後は、以下写真のように「仙台堀」と並走し、徐々に「仙台堀」と「梅の木堀」の堀底の高低差は大きくなっていく。その関係で、当時の記憶であるが「梅の木堀」の流速は30cm/s(1秒間に30cm)程度、「仙台堀」の流速は1m/s(1秒間に1m)程度であった。

 南小泉中学校付近の1966年と現況(2025年)の状況は、以下写真のとおりである。

 現在は、(写真右)「梅の木堀」が車道下に埋められ、こ~~~んなに変わっちゃったのおってくらい当時の面影は一切残っていない。

 1966年の写真は、当時1962年から始まった健康都市づくりの一環として実施された住民総出のまちぐるみ清掃の風景であるが、「梅の木堀」は、定期清掃の対象として泥を浚うようにしていたようである。

 この活動は、私が生まれる(1967年)前から小学校高学年になるまで実施されたが、掻き揚げた泥はしばらくのあいだ写真のように路側に放置され、殺菌材のような白い粉を上から振りかけるといった、今では考えられないようなことをやっていたのである。

 おそらくは紫外線殺菌効果や巡回時間などが関係し、しばらく放置していたのだろうが、記憶では1,2週間放置され、清掃員らしき人たちがどこともなく持ち去っていた。

 この運動は、ほかにも堀底がまだ土工や砂利の状態の「中倉堀」や「六郷堀」も実施していたが、「梅の木堀」の横の「七郷堀」は実施されていた記憶はなく、その理由ついては、今思えばこの区間の「七郷堀」は合流式下水道の吐き口から汚水が流れる区間になっていて、健康に害を与える可能性があったなどの理由かもしれない。

 「七郷堀」の合流式下水道の吐き口については、現在「蔵前橋雨水吐き口」や「愛染橋雨水吐き口」が有名であるが、当時は現在宮城の萩大通りと「仙台堀」が交差する場所にも吐き口があって、雨が降るたびにゲロゲロゲロゲロ吐いていた状況からすると、よほど当時の下水幹線は乏しく、おパッパカパなパイセンたちに計画ミスったんじゃないの~~って言ってしまいたくなるが、当時は当時の考え方と●●●●があったのだろうから言わないでおこう。

 なお、合流式下水道から吐かれた水量は比較的少なく、「梅の木堀」の分岐部まで到達した記憶がないため、ぼくらの「梅の木堀」にその汚れは到達していなかったものと思う。

 当時の「梅の木堀」は、現在の宮城の萩大通りの場所で90度南(写真下方向)に旋回し、すぐにまた90度東(写真右方向)に旋回して用水の供給を開始していた。

 「梅の木堀」は、仙台バイパスを超えてもなお梅ノ木地区に至るまで用水を供給し続けていたのか途中どこで排水路に化けたのかは不明であるが、同様に、「梅の木堀」より北の「高砂堀」から分岐した「中倉堀」や、「梅の木堀」より南の「鞍配堀」より分岐した「佐久間堀」なども、この付近から用水を供給し、仙台バイパスを超えた先まで続いている。

 要するに「仙台堀」や「高砂堀」は、「中倉堀」や「梅の木堀」の用水供給エリアよりもさらに先の南の方まで、用水路を分岐しながら水を運ぶための幹線として設けられていたという事である。

 1960年代まで以下写真のの部分は、霞目飛行場の建設の影響により「佐久間堀」と「霞目堀」が「梅の木堀」付近まで追いやられ、合流することはなく霞目飛行場を迂回している。

 現在、「梅の木堀」と「佐久間堀」は雨水幹線として活用されているが、雨水幹線となっても以下用水路時代(1965~1969年)の写真のの部分は、下から「霞目堀」「佐久間堀雨水幹線」「梅の木堀雨水幹線」として個別に並走させている。

 なお、「梅の木堀雨水幹線」は、現在、歩道下の暗渠内にある。(おそらく・・・・)

 部分の現況は、以下写真のとおりである。(おそらく・・・・)

 現在、地上からは、「佐久間堀雨水幹線」はいったいどこから流れてきているのかわからない状況で、「梅の木堀雨水幹線」は存・在・す・ら・把・握できない。

 その後「梅の木堀」は、終着ともいえる梅ノ木地区の田園地帯に到達する。

 

 

(2)現況の梅の木堀(梅の木堀雨水幹線)

 それでは、現況の「梅の木堀雨水幹線」がどうなっているのか、「仙台堀」との分岐箇所から下流側(東)へ追ってみることとする。

 以下写真は、当時「仙台堀」と「梅の木堀」が分岐していた箇所であるが、「梅の木堀」はあとかたもなく埋められている。

 「梅の木堀」の分岐は、上の写真のとおり「仙台堀」のカーブ内側から分岐を開始し、分岐部分は「仙台堀」の横断勾配によって「梅の木堀」側の堀底のレベルが若干高かかかったため、写真のような「環境用水」程度の水量では、「梅の木堀」まで水位が到達せず、雨天後などの止水時には「梅の木堀」に水はなく流れていない時期が多かった。(だから当時から魚もいなければザリガニもいない)

 

 以下の写真は、宮城の萩大通りの南側である。現在「梅の木堀」の名残として把握できる「梅の木堀雨水幹線」の起点は、この位置からと言っていいかと思う。

 「梅の木堀」があった位置は、集水した雨水(路面排水)を流すため、歩道レベル付近まで底上げし、コンクリ-トU字溝に置き換えられている。

 さらに、先へ進むと、人通りがない場所は、経済的に効率良く雨水を集水するためか、蓋掛けがなく開削構造となっている。

 そして、当時「佐久間堀」から分岐した用水の残水が合流する区間から、1970年代当時の「梅の木堀」と同様の幅となり再び蓋掛け区間となる。

 人が通らない場所になって、蓋掛けがなくなっている。

 ようやく蓋掛けの中がこんな風になっていたのか~~~~と判る状況。

 子供のころであれば、秘密基地になっていたかもしれない。

 宅地ごとに塩ビのドレン管を設け、雨水を取り込んで取り込んで取り込んで取り込んで---って取り込みつくす状況である。

 おそらく屋根の上の雨水集水管であろうか。

 昔の用水分岐の名残がある。

 んんんん・・・、名残などではない。角落し(仕切)が入っていないという事は、まさかこの付近の畑は雨水を活用しているのか? 七郷堀側から見ると、以下写真のとおりである。

 この時点で、「仙台堀」と当時の「梅の木堀」は、これだけ高低差があったということがわかる。

 そういえば、写真は非かんがい期で都合上「仙台堀」には環境用水を流していない状況であるが(高砂堀は流れていた)、「梅の木堀雨水幹線」は雨が降っていないときはカラッカラであった。(あたりまえであるが)

 しかし、六郷堀系の「中目堀雨水幹線(通称:横堀)」は、どこからともなく水が流れてきていて、晴れの日は、かんがい期も非かんがい期も同じような水量である。1970年代の記憶であるが、「中目堀雨水幹線(通称:横堀)」は、宮城刑務所からの経路が埋め立てられたにもかかわらず水が流れていて、晴れの日でもかんがい期も非かんがい期も同じような水量があった。

 

 そのため1970年代当時、中目堀雨水幹線には、お化けのようにでかいザリガニが豊富に生息しており、その大きさ(30センチ程度)は一体何十年生きているんですかといった状況で、まるで伊勢エビやロブスタ-のようなアメリカザリガニであった。釣り糸を垂らすとものの数十秒で釣れるようなほど生息していたため、あまりにも釣れすぎて面白くなくなるのも早く、せいぜい1時間程度の遊びであった。当時のザリガニ釣りは、カエルを1匹捕まえてそれを餌にザリガニを釣ると、そのザリガニを使って次のザリガニを釣るといった友釣りならぬ共食い方式であった。

 

 住宅地をすり抜ける区間は、近年転落防止のためかネットフェンスが増設されている。

 実は、この場所に至る間に、「佐久間堀雨水幹線から分岐した雨水幹線」が合流し、さらに当時の「荒井堀」を分岐しているが、私有地のため立ち入って確認することができない。

 当時「梅の木堀」から分岐していた部分の「荒井堀」は、上の上空写真の点線区間を見るとおそらく埋設されているが、下の写真の実線区間が雨水幹線として利用されているように見える。「荒井堀雨水幹線」は、仙台バイパスを横断後、最終的には「梅の木堀雨水幹線」と合流し「荒井西雨水幹線」となる。

 

 そして、また「梅の木堀雨水幹線」の現地の状況に戻るが、その後の区間も安全対策としてネットフェンスが増設されている。

 ただ、以下の写真の場所から、「梅の木堀雨水幹線」は長距離の暗渠区間となるのだが、スクリ-ンを設置していない。それにスクリ-ンを設置する場合は、正面のネットフェンスを維持管理用に佐久間堀雨水幹線のような構造としなければならないのではないだろうか。

 

 余計なこと言わんでもいいから早く先に進めと聞こえてきたので、さらに先へ進むと、ようやく仙台バイパスが見えてきた。

 仙台バイパス横断手前で、「梅の木堀雨水幹線」が左から右へ位置変更しているのは、昔の経路を継承しているためであろうか。

 そして、仙台バイパスを横断する。

 先ほどの開削部と同じ大きさの断面でバイパス部を横断しているのだろうか。

 現在であれば高密度ポリエチレンなどを使うが、当時はなかったであろうからどうなっているかグレ-チング蓋を開けてみてみたいところであるが・・・今度開けてみよう。

 仙台バイパス横断後は、ちょっと写真に記載の「梅の木堀雨水幹線」ル-トに自信がない。

 というのは、記載ル-トは過去の「梅の木堀」ル-トであるが、そのル-トの場所には現在「雨水」の蓋が見当たらず「汚水」の蓋ばかりが存在し、かつこの先、道路左側に存在する市営バスの霞目営業所付近には、大きな路面排水用のグレ-チング蓋が2枚存在しているため、写真の車道右ル-トではなく、写真から外れた左ル-トの可能性もある。

 とりあえず、過去のルートを継承し、「梅の木堀雨水幹線」は以下歩道下を流れているものとする。

 逆方向から見ると、概要で紹介した以下写真のようになり、「霞目堀」「佐久間堀雨水幹線」「梅の木堀雨水幹線」が並走している状況となる。

 その後、「霞目堀」「佐久間堀雨水幹線」は、霞目飛行場に沿って右へ折れるが、「梅の木堀雨水幹線」は直進する。

 ようやく「雨水」の蓋があり、この先の開削区間まで直進する。

 「雨水」の蓋が車道上にポコポコポコポコ存在するようになり、ようやく開削区間となる。

 ようやく出てきた開削区間は、暗渠前の堀の深さの2.5倍程度の深さとなっている。

 堀の中は雨も降っていないのに若干水があり、おそらく溜水なのだろうか、コケ?、ユレモ?、カビ?のようなものが堀底にあり、長距離暗渠区間を抜けたぼくらの梅の木堀は、一気に年を取った浦島太郎のように見える。

 暗渠内はいったいどうなっているんだろうねえ―・・・。

 

 そして、その先は再び暗渠区間となるのだが、現在は荒井地区の改良が終わって、この先は開削区間が存在しないまま「荒井堀雨水幹線」と合流して「荒井西雨水幹線」となる。

 そのため、この先は荒井地区「改良前」と「改良後」の状況を見比べながら進むものとする。

 

 以下写真は、2011年10月の状況で、「梅の木堀雨水幹線」は田園地帯に到達すると90度南に旋回し、すぐ先で再び90度東に旋回する。もうこの時代は、雨水幹線なので用水路ではないが、堀の深さから排水路として活用されているように見える。

 以下の写真は、上記と同様の個所の2025年3月の状況である。

 地上からは、右のネットフェンスまで来ている開削の「梅の木堀雨水幹線」は確認できるが、その先のル-トが全く分からない状況となっている。

 しかし、次に示す90度東に旋回する場所の写真は、「梅の木堀雨水幹線」の経路と改良過程がわかる、超きちょ~~~~~~な写真なので、ぜひ見ていただきたい。

 上記3枚の写真は、同一場所から撮影した年度の異なる写真であるが、特に興味があるのは2015年11月の写真である。

 こんな状況で建設されてしまっては、地上から経路を確認することはほぼ不可能である。

 また、今後本体の点検は実施していくのだろうが、遠い将来(100年後以降)、これを更新するのはかなり困難であろう。

 まあ、宅地の下に建設しているわけではないので、家をどかすことや移転させられることはないのだろうが、点検を怠ると道路陥没なんてこともあるだろう。100年後以降の話であるが・・・・。

 

 次の写真3枚は、「梅の木堀雨水幹線」の終点の年度ごとの写真である。

 

 この場所で右へ旋回し、対向方面から来る「荒井堀雨水幹線」と暗渠内で合流し、以下写真の「荒井西雨水幹線」となる。

 

 そして、以下は「荒井西雨水幹線」の建設前と建設後の写真である。

 

 (3)現況の荒井堀(荒井堀雨水幹線)

 1)荒井堀の概要

 以下の写真は、現況地図と1965~1969年の上空写真を重ねたものである。

「荒井堀」は、「梅の木堀」同様に当時の用水経路のほとんどがそのまま同一経路で雨水幹線として利用されている。

「荒井堀」は、遠見塚付近で「佐久間堀」から分岐したのち「梅の木堀」と交差及び合流してさらに延伸し、仙台バイパスを越えて最終的に排水路に接続されている。

 さらに、以下の写真は上の合成写真の一部を拡大したものであるが、さらに下の現況上空写真と対比してみると「荒井堀」が雨水幹線として現存しているのは「荒井堀0」「荒井堀1」「荒井堀2」のみで、「荒井堀4」と「荒井堀3」は、15年前までは存在していた形跡はあるが、現在は埋設され消滅している。

2)現況の荒井堀(荒井堀雨水幹線)

 それでは、現況の「荒井堀雨水幹線」が現在どうなっているのか、「佐久間堀」との分岐箇所から下流側(東)へ追ってみることとする。

 以下の写真は現況写真であるが、当時は「佐久間堀」が「荒井堀」を分けていた場所である。

 しかし、雨水幹線となってまで分ける必要はないため、もしかしたら「荒井堀」の分岐部分は埋められ、「荒井堀」が開削区間となる手前のマンホ-ルで、道路下の雨水配管と接続しているだけの可能性が高い。

 さらに、マンホ-ルのさらに手前は、以下写真のように雨水幹線が集約されているように見えるため、おそらく「荒井堀雨水幹線」となってからは「佐久間堀雨水幹線」からの分岐は行っていないと判断する。

 それでは、「荒井堀雨水幹線」を東の方へ進むこととする。

 「荒井堀雨水幹線」は、当時用水路時代のル-トが道路沿いではない関係で、以下写真のように現在は宅地の隙間に開削構造で存在している。基本として、各民家の屋根の上に落ちた雨水を、かき集めかき集めかき集め・・・さらにかき集めて「梅の木堀雨水幹線」に接続する。

 おおおお、目が回ってきた、何でこうも複雑なのだろうか・・・・・、やはり周囲が自分の土地は1cmでも多く持ちたいという状況から当時の経路を継承しなければいけなかったのだろうか。

 そして、「荒井堀雨水幹線」は「梅の木堀雨水幹線」に合流する。

 その後、「梅の木堀雨水幹線」から先の「荒井堀雨水幹線」は、当時「梅の木堀」から分岐していた「赤点線のルートが埋設」され、現在は「荒井堀2」と「荒井堀1」が残されている状況である。

 ここで、「荒井堀1」と「荒井堀2」が接続されているであろう「謎の蓋掛け箇所」があるため、現地の状況を見てみるものとする。まず、2020年の「謎の蓋掛け箇所」の状況は以下写真のとおりである。

 さらに、写真の「荒井堀2」は水が流れており、雨も降っていないのにこれだけの水がどこから流れてきているのか疑問である。

 さらに水の流れている方向は、水面の縞の状況から、向こうからこちら側に流れてきている。

 また、「荒井堀2」の開削終端部に近い「仙台堀」との高低差は以下写真の通りで、この水が「仙台堀」から流れ出ることはないのである。

 まさに、これは「怪奇現象」と言わんばかりの状況。

 

 しかも写真は月極駐車場で、車両はなく洗車もしていないため、水の発生源が不明である。

 水の出どころの可能性としては、駐車場横にマンションの給水槽(写真)があり、飲料水でもある給水槽は、水が使われていない場合でも1日2回給水槽の水を入れ替えるため、その入れ替えされた排水が「荒井堀2」に流れ込んできている可能性はある。

 しかし、その場合のル-トは当時用水路であった時代には存在せず、排水するのであれば給水槽の水なのだから目の前の「仙台堀」に放流すればよいのである。

 なお、この「怪奇現象」については、また現地で確認することとする。

 そして、「荒井堀雨水幹線」をさらに東へ進む。

 その後、「荒井堀雨水幹線」は仙台バイパスに到達する。

 仙台バイパスは、少し斜めに横断しているようである。

 そして、仙台バイパスを横断しきる。

 横断して出てくる手前に集水桝があるため、上の写真は集水桝に接続されている部分しか見えない状況である。

 横断後は開削区間となり東へ進む。

 そして、すぐまた車道下の暗渠区間となる。

 90度左折して、また開削区間。

ちょっとづつ堀幅が大きくなっているようだ。というより、もともと広かった堀を狭くしているように見える。

 堀の中は定期的に清掃されているようである。

 フェンスが老朽化している。もともと鋼製の手すりがあり、その外側にネットフェンスを増設している。

 ネットフェンス(2万円/m)は蓋掛け(7.5万円/m)するより安いことや清掃を考慮すると、経済性やメンテナンス面では開削区間が良いのかもしれない。予算が付いたら蓋掛けするのかも。

 町内会の地図にも表記されているが「荒井堀雨水幹線」の名称は記載されていない。

 しかし、凡例には「排水路」とのみ記載がある。「かすみ堀」とか「みんなの堀」とか名前をつけてやればいいのに-。やはり大雨が降らないと空っぽ、周囲に花もなく生き物が生息していないってのは愛着がわかないもんなのかねえ-。

そして、スクリ-ンがある定期清掃場所に到着する。

 この場所より、「荒井堀雨水幹線」は、長距離暗渠区間となるので、ここからは荒井地区の開発前と開発後の映像を対比しながら先へ進むものとする。

 過去の写真を見ると、「荒井堀雨水幹線」は雨水幹線なのに道路を横断した先にはゲートがある。

基本的に仙台市は「用水路のゲ-トは青」「排水路のゲ-トは赤」で統一しているため、排水路として取り扱っていたのだろうか。 しかし、排水路にゲートを3台も付けて制御とは、少し運用に「謎」が生じるため、当時の状況からこのゲート3台の運用を想定してみることとする。

 それでは、この場所を反対側から見てみよう。

 2013年4月の周囲は田んぼである。

 田んぼで排水路と言われればわかるが、用水はどこから供給していたのだろう・・・・。

 赤の止水ゲ-トが3台あり、土地改良後(田んぼがなくなってから)は止水ゲ-トもなくなっている。

 用水の出所について考えていると、ふと思い立ったことがある。

 「仙台堀」が、仙台バイパスを横断してすぐに「大江堀」を分ける場所で、当時(以下写真)、小さな用水路をもう1本分けていたのである。確かこの用水路の名称は「第9号用水路」であったかと思うが・・・。要するに以下1978年の上空写真のピンク色が「第9号用水路」であった。

 とすると、まず、1978年の上空写真のピンクの用水路と荒井堀雨水幹線の排水路(黄色)の接続位置関係と役割を、先ほどの以下写真に追記すると以下のように変えていったのではないだろうか。

 つまり、3台の止水ゲ-トのうち、左右2台は当初の用水路の経路を継承して残し、中央のゲ-トは排水マス内で「荒井堀雨水幹線」と合流させるゲートとして非かんがい期等に開放。その後、田んぼは宅地化され、左右2台の用水路も雨水排水路としての活用となるため、すべての雨水排水路を「荒井堀雨水幹線」と合流させて完成。というようなスト-リ-だったのだろう。 

 

 次に、用水路の出所である当時の「仙台堀」、「大江堀」、「第9号用水路」の分岐状況は以下のとおりである。

 その後、「第9号用水路」の分岐は廃止しゲートも撤去され(以下写真)、現在は分流後「仙台堀」と「大江堀」の2本のみとなっている。

 「第9号用水路」の分岐箇所は、コンクリ-トで塞がれている。

 その後、「第9号用水路」は雨水幹線として利用され、霞目雨水幹線と合流するのである。

 

次回へ続く・・・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(1)小泉堀の用水供給範囲

 小泉堀は、仙台市街地から最も近い田園地帯に用水を供給している農業用水路で、供給する田園地帯は仙台バイパス(国道4号)に面している以下の上空写真下部の黄色枠のみで、このわずかな田園地帯みのために用水を供給している。小泉堀は仙台バイパス(国道4号)が建設されるはるか昔から存在し、現在も同一ル-トで残されている。

 なぜ、今回「小泉堀」なのかというと、どう見ても歩道用の雨水排水側構ではないかというような構造や、宅地化されたにもかかわらず当時田園地帯だったときの位置がそのまま残された状態で民家の軒先や隙間を縫って流れており、いったい誰の土地なのかよくわからない場所を通過しているので興味があったのである。

 堀幅も40cm程度で水量は少なく、かんがい期の水深は10cm程度といったところであろうか。

 なお、仙台市の管理図面にも一部掲載はあるものの、道路との接続位置や経路に大きな誤りが多く、故意に他のル-トを掲載して面倒事に触れないようにするための策略なのか、本当に把握できていないかもよくわからない状況となっている。そのため、今回はっきりさせてやろうと思う。

 また、当時「小泉堀」から分岐していた堀も、雨水幹線として現在も残っており、かんがい期にはその雨水幹線にも用水が波及し、用水路と雨水幹線の区別がつかなくなっている。

 まあ、大した水量ではないので、環境用水として考えれば割り切れるが、用水供給前に駐車場や歩道などの雨水を大量に取込んでしまっているのはいかがなものかと・・・・・。

 しかし、京都の丹後へ行った際、農家の方に収穫前にイノシシに田んぼで寝転がられると米が臭くて食えないので、田んぼの周囲に有刺鉄線を張り電流を流すという話を聞いたが、ここではそんな心配はないように思う。

 また、稲はホウレンソウと同様に光害に気を付けなければならない農作物で、夜間は稲の発育に影響する1.0(lx)を超える明るさにできないが、バイパス横でもここは防犯灯すらないので問題ないのであろう。

 

(2)鞍配堀の暗渠区間

 「小泉堀」は、南小泉4丁目付近から鞍配堀より暗渠内で分岐するのであるが、分岐後の「鞍配堀」は、仙台市の管理図面では「霞目堀」と称され、地元町内会の地図では「佐久間堀」と称され、名称がよくわからない堀となっている。

しかし、昔はその地域によって堀の名称を勝手に付けていたようで、80年代後半の地図からは、堀の名前は削除されてしまったようである。

 「小泉堀」の経路を追う前に、まずは想像を絶する「鞍配堀」の暗渠区間について知らなければならないので、前座として「鞍配堀」の暗渠区間を紹介する。

「鞍配堀」は、南小泉エリアが早くから宅地化(昭和40年代)し交通量も増えたため、車道の拡幅と歩道の拡張を目的に暗渠化し、現在では南小泉エリアのほとんどの区間が暗渠化されている。

 若い方は、おそらくこの車道下に農業用水路があるなどと想像もできないと思うが、長距離暗渠区間の起点から終点までをざっと平面に示すと、以下地図の赤点線ルートが暗渠区間となっている。

「鞍配堀」から「霞目堀」にかけての暗渠区間は、距離にしてざっと1.3kmといったところであろうか。出入口の形状と暗渠車道部に浮き出ている形状から四角いコンクリ-ト構造物が埋設されているというようなイメ-ジであり、暗渠区間の堀幅は約1.5mといったところである。

 それでは、まず「鞍配堀」の暗渠起点から順を追って紹介する。

 暗渠起点には、ここから長距離の暗渠区間となるため、当然であるが大きなゴミや小動物が暗渠内に入り込まないよう、大きなスクリ-ンが設置され定期的に管理されている。

 暗渠区間としてから歩道として有効活用しているが、「鞍配堀」の線形に合わせて歩道が構築されたといった感じで、蛇行線形を補うよう、かなり無駄な道路幅員が一部に存在し幅員構成もバラバラな状態となっている。

 本区間は1970年代後半に暗渠化したため、時間と予算の関係から当時は線形をそのまま残して改良することしかできなかったのであろう。

 さらに進むと、かつて開削だった時代に「鞍配堀」の橋梁だった場所に差し掛かる。

 この場所も、素直に「鞍配堀」の線形に従って車道を挟み左右の位置が入れ替わるよう暗渠区間で整備され、線形は当時のままのである。

 そして、「鞍配堀」が90度旋回する地点で、当時現役だった「佐久間堀」との分岐箇所に到達する。

 1961~1969年の上空写真は堀なのか影なのかよくわからない状況であるが、交差点分岐部分が暗渠となっていて、2方ではなく3方に分かれていたようにも見える。(写真上の方向にも田んぼはあったので)個人的には、物心ついた時から「佐久間堀」との分岐箇所を含め暗渠化されていたため、高校生になるまでこの場所で「佐久間堀」が分岐していたとは思いもしなかったが、現在は蓋掛けにより「佐久間堀雨水幹線」として利用しているため、本分岐箇所はコンクリ-トなどで固められているのだろう。

 90度旋回して間もなくすぐにまた90度旋回し、再び東の方向に流れる。

 1980年代は、この90度旋回した地点から開削構造であったため、その記憶が少し残っているが、写真などは一度も撮影していなかったのが残念である。

 ちなみに90度旋回した地点から開削起点だった当時(1974~1978年)の上空写真は以下のとおりである。

 うろ覚えであるが、小泉掘りとの分岐箇所は木々が立ち並んでおり、いつの間にか2本になっていたような記憶しかなく、上空写真も木々によって分岐箇所がよくわからない状況となっている。

 再び現況の暗渠区間に戻るが、ここも先ほどと同様に、「鞍配堀」の線形に合わせて道路を拡幅したといった感じで、かなり道路の線形が蛇行している。

 そして、ようやく「小泉堀」の分岐箇所が見えてきた。

 やはり暗渠内ゲ-トを設けているようで、グレ-チングにより蓋掛けされている。

 地上部はごみの収集場所となっているようだ。

 さらに暗渠区間は、「霞目堀」と「小泉堀」が並走する暗渠区間となっている。

 なお、「小泉堀」の上部は歩道である。

 さらに暗渠区間は続き、交差点を横断する。

 暗渠ル-トとしてはこんな感じだろうか、変形十字路を斜めに横断し、さらに東へ向かう。

 交差点横断後は、本当にこんな狭い道路の下を「鞍配堀」が流れているのだろうかと思わせるような状況である。

 「鞍配堀」上部の蓋は、仙台市のマ-クのみで雨水とは書かれていない古い時代の蓋である。

 さらにさらに進むと、震災の影響であろうかアスファルト部分にクラックがあり、やはりこの下を流れているのだという雰囲気がうかがえる。やはり車道は蛇行線形である。

 さらに先へ進む。

 そして、暗渠区間終点のガードレールが見えてきた。

 

 そして、暗渠区間の終点である。

 地図で見るとこんな感じであるが、地上部からは「鞍配堀」の暗渠区間ルートが全く想像できない状況である。

 古い暗渠区間はすでに50年を経過しているが、他の区間もほぼ同様であろう。

 コンクリ-ト寿命100年というが、暗渠内はいったいどうなっているのだろうか。

 

(3)小泉堀の経路

 小泉堀の経路は、1965~1969年の上空写真による経路とほとんど変わっておらず、現在は雨水幹線とも混在しているためわかりにくいが、鞍配堀から分岐後は、⇒(ピンクの矢印)の場所からのみ用水を供給している。

 小泉堀は、仙台バイパスを横断して直後「雨水幹線との分岐」があり、さらに⇒(ピンクの矢印)の供給場所から先は田んぼで利用しなかった「オーバ-フロ-水が雨水幹線として流れ」て、そのまま霞目飛行場周囲の雨水幹線に放流されている。

 この「雨水幹線との分岐」や「オーバ-フロ-水が雨水幹線として流れ」について、供給エリアの田んぼが無くなると同時に小泉堀は、即雨水幹線として利用することを実施しているかのような状況である。

 それでは、小泉堀の経路を、順を追って紹介する。

 まずは、先ほど鞍配堀で紹介した小泉堀との分岐点である。

 少し先の交差点から上流側(逆方向)を見ると、「小泉堀」と「霞目堀」は以下写真のようなル-トになっている。

 さらに先へ進むと、歩道下の小泉堀は分岐後始めての点検口があり、おそらくその横の路面排水を取り込んでいるのだろう。

 そしてこの場所、明らかに歩道アスファルトの色も異なっているが、小泉堀はこの場所で90度旋回し民家の中に入る。

 かなりやばそうなのであまり詳しく紹介できないが、この辺の経路は管理図面と大きく異なっている。

 上空から見ると、以下写真の経路で民家を通り過ぎると、小泉堀は分岐後初めての開削構造となっている。

 さらにその先の小泉堀は、U字構の蓋掛け区間となり、焼き肉キングの駐車場内を突き抜けて再び開削区間となる。

 焼き肉キングの駐車場内で、路面排水幹線が2箇所接続されている。

 まあ、小泉堀本体上部の蓋が数か所グレ-チングになっているので、雨水を取り込む目的なのだろうけど・・・・。

 そして、駐車場を過ぎると、マンションの横をすり抜け道路を横断するが、地上からは全く「小泉堀」の存在がわからない。

 車道横断後にも駐車場内を通り、駐車場を抜けた場所から再び民家の中を土中埋設で通過し、蓋掛けのU字構構造となる。

 なーるほどー・・・・、物置の下を通っちゃっているわけですねへええー・・・・。

 そして、再び開削構造となる。写真は非かんがい期のため、開削部分には雨水の残水程度しかない。

 堀というより排水側構であるが、向こうに石積みの擁壁が一部見え、若干歴史を感じさせる。

 かんがい期の水量はそれなりにあるが、果たしてこの水量で田んぼまでたどり着けるのだろうか。

 そして、さらに民家の隙間をすり抜けすり抜けすり抜けすり抜け・・・すり抜けて、90度旋回(東向き)し、再び道路沿いの歩道下の暗渠区間となる。

 格子て開削区間を見ると、ところどころ雨水の残水が溜まる部分があるようである。

 それにしても、いや~~~~なんともうらやましい人たちであろうか。自分の家の横にこんな用水路が流れていたら一日中眺めてしまうかもしれない。

 投網をかけて魚など捕獲してしまうかもしれないが・・・・、と、ここで、不思議な小学生時代の思い出があった。鞍配堀では、ドジョウやザリガニなど、水中生物は1匹も見かけたことがなかったのである。

 鞍配堀が七郷堀から分岐する箇所の状況は以下写真のとおりであるが、当時この先で誰かが投網でも仕掛けていたのだろうか。

 なので、小泉堀に魚なんかいないはずだから、ぜ~~んぜんうらやましくなんかないのである、・・・と思う事にしよう。

 そして、90度旋回後の蓋掛け暗渠区間をどんどんどんどん先へ進むが、進む途中で見かけるグレ-チング蓋の目が粗いことに気づく。この目の粗さは、まさしく雨水幹線、路面排水と同様の扱いである。

 たばこやガムなんかが投げ入れられてもしょうがない状況。

 確か高砂堀系も仙台堀系も六郷堀系も、以下写真のように用水路の蓋は目がかなり細かく、砂利が入り込まないようになっていた記憶がある。

 という事は、小泉堀はかなりかなりかなーり前から雨水幹線として整備するつもりでいたのだろう。

 それなのに、いまだに用水を供給し続けなければいけないなんて、供給エリアの田んぼの存在は、予想外の予想害となってしまっているのかと思ってしまう。

 さらに歩道の蓋掛け区間を辿っていくと、間もなく問題の場所へと到着する。

 そして、問題の宮城の萩大通りとの横断箇所に到着する。

 何が問題なのかというと、写真左上の「小泉堀A」から右下の「小泉堀B」への接続が、「赤点線」のルートで宮城の萩大通りを3回も横断しているというのである。

 実は、この「赤点線」のルートは、宮城の萩大通りが建設されるはるか昔からの「小泉堀」ルートであり、1965~1969年の上空図と現況地図を重ね合わせると、以下写真のとおりとなっている。

 いくら何でも、このル-トで建設はないと思っていたが、宮城の萩大通り建設途中の1986年の上空写真(以下写真)を見て納得した。

 宮城の萩大通り建設中は、周囲にはまだ「農地」がちらほら残っており、宅地化もままならない状況であった。その場合、小泉堀は、宮城の萩大通り建設中も・・・、おそらく建設後もこれら農地に用水を供給しなければならず、「農地A」「農地B」そして「農地C」に用水を供給し続ける関係上、宮城の萩大通り下の小泉堀ル-トは、3回も横断して用水を供給する必要が生じたのであろう。

 もうこれ以外は考えられないため、そういう事にする。(完)

 そして、この宮城の萩大通りを3回も横断した小泉堀は、この先「人・が・立・ち・入・っ・て・は・い・け・な・い・場・所」へと流れていくのである。

 

次回へ続く・・・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(1)木流堀の流れる方向に疑問

 仙台市太白区を流れる木流堀は、「江戸時代初期に材木を城下まで運ぶ目的で名取川(六郷堰)から広瀬川までの全長約6kmを開削した運河」とされている。その後は、かんがい用水(農業用水)にも利用されたが、現在は主として雨水排水、農業用水・排水用に利用されているようである。

 また、管理上は河川扱いのため木流堀川などと称しているが、しっくりこないのでとりあえず木流堀と称すこととする。

 開削当初は、名取川から広瀬川に流れ込んでいたようであるが、近年、新笊川などが接続されてから、他の川との合流形状やその方位から、どう考えても途中で流れ方向が逆になっているのではないかと疑問が生じたため調べてみることとした。

 また、基本的な流れ方向が分かった時、どの位置から逆方向になり、その場所がどこなのかどうしても知りたくなったのであ~~る。

 

(2)木流堀の河川接続箇所の調査

木流堀は、多くの川と接続されているため、とりあえず、上流の名取川から順番に接続されている川の状況を調べてみることとした。

1)名取川との接続箇所

 ええと・・、まずは名取川と木流堀の接続箇所は・・・っと、あ・ら・ら・ら・ら・ら・ら・ら・ら・・・・・・・・・・。ゑゑゑゑゑ・・・。つ・な・が・つ・て・な・い・で・は・な・い・か!。

 とりあえず上空図を見てみると、上流側に「名取川頭首工」なるものがある。

 さらに過去に遡って、1961~1969年の上空写真は以下のとおりである。

 さらに、さらに遡って1945~1950年の上空写真は以下のとおりである。

 過去の写真より、名取川に堰ができる前(1950年以前)は、直接名取川から分流していたが、名取川に堰を設けてからは、堰の手前から分流後地下で建設されたようである。

 そして「A地点」に何やら怪しい場所があるため近づいてみると、「ゲート」が2台あった。

 A地点の木流堀には、電動式ゲートとカメラが設置されている。

 さらに、その奥にもゲートがあり、こちらは地中ボックス内のため何のための何なのかさっぱりわからない。しかし、こちらのゲートは全て手動ゲートのため、特に緊急性を要しないもの、時期等によってあらかじめ決められた給水ゲートのように見受けられる。

 すると、さらに手動ゲ-トの柵の左側に、「見えないようで見える注意案内板」が設置されていた。内容は次の通り・・・、「この施設は、仙台市民に飲料水を供給する大切なものです。これをこわしたり、よごしたりすると法律で罰せられますのでご注意下さい。」と書かれている。仙台市水道局のものらしい。そのため、これは木流堀とは関係ないといってもいいだろう。

 木流堀電動ゲートの反対側には、水路もないのに止水ゲートのみポツンの存在している。

 近づいてみると、細い管が1本・・・・・。いくらなんでも・・、この管用のゲートでないよねえ・・、立派すぎる・・というか・・そうであるとすると笑い転げそうである。

 ともあれ、これも木流堀とは違うので、まずは木流堀の取水場所を探すことが先決である。

 

 木流堀が電動ゲ-トで遠隔制御とは、集中豪雨などの気象状況や河川の水位状況を見ながら臨機応変に止水制御をするのだろう。そして、名取川との接続箇所としては、現在、名取川頭首工付近に、電動ゲートが1台確認できる。

 しかし、木流堀側は、電動ゲートが2台設置されている。

 よく見ると、【自専道】南部道路から料金所までのランプウェイの路面排水と本ゲートが接続されているようにも見える。

 その場合、電動ゲートは名取川溢水時の排水樋門(名取川から路面排水への逆流を防止するゲート)のようにも見えるが、名取川と道路、路面排水マスのレベル関係から、あまり意味をなさないもののようにも見える。(名取川溢水時は通行止めとなるレベル)でも、【自専道】南部道路本線はさらに高い位置にあり、名取川溢水時は本インタ-入出通行止めを実施し、本線のみ通すような運用があるのかもしれない。

 

 さらに年度ごと見ていると、2021年までは、先ほどのゲートよりさらに上流側に電動ゲートが2台あることを確認した。

 しかし、本ゲ-トは、老朽化(錆サビ)により2022年に撤去しているようである。

 そして、現在2025年はゲートが存在しない状況である。

 現況の上空写真を見ると、電動ゲートを撤去した場所は白く、コンクリ-トで固められたように見える。

 2021年のゲ-トが木流堀のものであるとすると、木流堀側のゲートも同様年度で更新されているのではないかと思い確認してみると、2021年までは手動ゲートで、2022年以降は電動ゲートに更新されていた。

 おそらく、名取川側に設置していた電動ゲートは、機器を管理するたびに道路管理者の許可を得て南部道路(宮城県道路公社管理)の入出路に侵入しなければならなかったため、毎度そのような許可を得なくとも管理できるよう、管理用の手動ゲ-トを主たる電動ゲ-トに変更し統一したのではないかとすれば合点がいく。

 そうすると、とりあえず名取川からは流入ということで、木流堀の流れは「名取川」から「広瀬川」の方向に流れることでよいと思う。

 

2)新笊川との接続箇所

 新笊川は、度重なる笊川の洪水により、当該地域の治水安全度向上のため建設された川のようである。そのため、笊川を途中から線形改良し、直線経路で名取川へ放流する経路を構築してこれを新笊川とし、分岐後の旧笊川はそのまま残したようである。

 旧笊川は、広瀬川と名取川の合流部付近までぐねぐねと蛇行線形で伸び、広瀬川と名取川の合流直前で名取川と合流する。

 過去の上空写真より、新笊川建設前と建設後の状況を以下に示す。

 まず、新笊川建設前(1961~1969年)の上空写真は以下のとおりである。

 笊川は、当時広瀬川と合流していたようである。(かなりきわどいが)

 そして、新笊川建設後(1984~1986年)の上空写真は以下のとおりである。

 新笊川は、悠々と田んぼをブチ抜いて、起点接続の笊川上流部の線形による水流に逆らわず緩い曲線線形により名取川に接続している。

 

 そして、現況の新笊川と木流堀の接続状況は以下のとおりである。

 新笊川への接続線形から、左下の名取川からの木流堀は、新笊川へ水が流れ込むような接続であるが、広瀬川行きの木流堀も接続線形から新笊川へ水が流れ込むような接続であるように見える。

 名取川からの木流堀接続箇所は以下の通りで、間違いなく木流堀は新笊川へ水が流れ込んでいる。

 そして、新笊川との合流部の状況は確認できないが、合流部付近の木流堀橋梁上から広瀬川方面を見た写真は以下のとおりである。

 流れ方向は、広瀬川側から名取川側へ向けて流れており、この時点で流れが逆方向となっている。

 

3)天沼川との接続箇所

 さらに先へ進むと、木流堀は天沼公園(あまぬまこうえん)のおそらく「天沼」から流れてくる天沼川(仮称)と合流する。

本合流部の線形は、名取川方面へ流れる合流線形となっており、流れも名取川方面へ流れている。

 

4)芦ノ口川との接続箇所

 そして、その先の木流堀は国道286号を横断し、金洗沢なる芦ノ口緑地付近から流れてくる芦ノ口川(仮称)と合流する。

 本合流部の線形は、広瀬川方面へ流れる合流線形となっている。

 合流付近は草木が密集しており確認できないが、さらに先の二口街道との交差付近の流れは、上記の広瀬川方面を見る写真において、広瀬川方面への正規の流れとなっていることが確認できる。

 この時点で、木流堀の流れ方向は、「天沼川と芦ノ口川の合流区間の間のどこかで反転している」ことが分かったが、反転位置については、とりあえず広瀬川接続までを確認してから調査するものとした。

 

5)二ツ沢川との接続箇所

 東北工業大学付近で、木流堀は二ツ沢川(仮称)と合流する。

 本合流部の線形は、広瀬川方面へ流れる合流線形となっている。

 以下写真は、広瀬川方面を見る写真であるが、二ツ沢川との合流部においても木流堀は、広瀬川方面に流れていることがわかる。

 

6)広瀬川との接続箇所

そして、広瀬川との合流付近である。

 木流堀の広瀬川合流部の正面写真であるが、明らかに広瀬川へ流れ込んでいる。

 

(2)木流堀の流れ反転箇所の調査

1)木流堀全区間の流れ方向

 木流堀の流れ方向は、河川接続箇所の調査で以下のとおり

①  名取川~新笊川までの流れ方向  :広瀬川方面

②  新笊川~天沼川までの流れ方向  :名取川方面

③  芦ノ口川~広瀬川までの流れ方向 :広瀬川方面

であることがわかったが、「天沼川と芦ノ口川の合流区間の間のどこかで流れが反転している」ことも分かった。

 

2)流れ反転箇所の調査

 木流堀は、名取川~広瀬川間で、新笊川により切断されているが、新笊川~広瀬川間は連続しており、調査箇所ではちょろちょろではあるが水の流れもあった。

 しかし、「途中反転している場所が河川の合流箇所ではないことが確認できたため、流れの反転箇所はいったいどこでどうなっているのだろう」と疑問が生じる。

 そこで、とりあえず天沼川と芦ノ口川の合流区間の間の上空写真を確認してみることとした。

 上空写真は、名取川寄りの天沼川合流箇所から開始する。

 すると、天沼川の合流箇所から少し先に進んだ場所で、上空写真では木流堀に水がないように見える。

 そこで、地点1の場所を見てみることとした。

 地点1において水の流れはあり、その流れ方向は名取川方向である。

 

 そして、さらに広瀬川方面へ移動し、国道286号の交差前までの状況である。

 やはり、上空写真撮影時は渇水していたようである。まあ、今回の調査は流れが逆転する地点はどこかを調査するものなので、水があるときの流れ方向を調査するものとする。

 そして、今度は地点2の状況である。

 地点2の流れ方向は、依然として名取川方向である。

 

 次は、国道286号を横断した地点3の場所の状況である。

 写真右上は、芦ノ口川との合流箇所であり、この地点での流れ方向は広瀬川方面であるため、もうそろそろ流れ方向が逆転する。しかし、上空写真を見ると、芦ノ口川合流箇所まで水がある状況であり、地点3ではすでに流れ方向が逆転している可能性もある。

 

 そして、ドキドキしながら地点3の状況を見ようとした。

 すると、ウッッヘ―――――――って、みれねえじゃん、クッソ----。

 これは自分で見に行けという事か―――、しょうがない。

 そのため、急きょその先の地点4に変更し調査してみた。

 おヨヨヨヨヨヨッ・・・・・・・・・・・、やはり上空写真の水の状況から想定した通り、流れ方向は変わり、地点4では広瀬川方向に流れているではないか-。とすると、「木流堀の流れ方向が逆転する位置は国道286号の交差部分である」ということになる。

 ただし、雨天状況や集中豪雨によっては、本区間の水の流れは逆流する可能性もあるが、基本的に木流堀の勾配は、国道286号をクレストとして名取川方向と広瀬川方向に下っていると考える。

 しかし、ここでまた疑問が生じる。地点4の写真の水量は、すべて国道286号の下から流れてきたもので、その先から流れてきたものではないこととなるが、国道286号の下はいったいどうなっているのだろうか。

 これは、再び調査が必要である。

 

3)国道286号下(流れ反転箇所)の調査

 ようやく涼しくなったので、国道286号下の中を調査してみることとした。

 できれば雨が降っているときの方が流れもあり良かったのであるが、なんにせよ国道286号下のボックス内はどうなっているのか・・・・、まずは、これが第1なのである。

 それではさっそく、名取川側の出口から覗いてみると、以下写真の通りであった。

 かすかに向こう側の開削部分が明るく見える。ということは「つながっている」という事である。・・・・「つながっている?」って・・・「つながっているのに双方から水が出てきているという事か?・・・・」、 これはマジックである。

 中には入れないので、内部の暗い部分がどうなっているのか確認したいところである。

 

 そこで暗い部分を明るく編集してみた。

 おおおおお・・・・・っ、何もないではないか。何もないのに水はあるのか?。壁面から湧水がしたたり落ちているようであるが・・・雨が降ると湧水量が多くなるのか?。

 少なくとも右側壁面に大きな開口は無い。下部は水たまりが数か所あるのみである。

 

 それでは、今度は左側壁面の状況を見るため、反対側の広瀬川側の出口から覗いてみることとする。

 両方が出口とは・・・・・・・。

 

 以下が広瀬川側の出口から覗いた写真である。

 

 

 こちらの方は、向こう側の出口状況がはっきりわかる。

 そして~~、暗い部分を明るく編集してみた状況は以下のとおりである。

 ナンニ-モナイ、ナンニ-モナイ、マッタクナンニ-モナイ♪♪・・・・・、と口ずさんでしまいたくなるほど「何・に・も・な・い」。出口付近右側に雨水排水溝らしきものは見えるが・・・・、実はもっと違うものを想像していたのである。例えば向こう側はトンネル内で左に旋回し国道286号し沿って続いているとか、こちら側も右に旋回し国道286号し沿って続いているとか・・・・・。

 もうこの状況は、雨水によって発生した水は、どちらでもいいから、流れて行ってくれればいいからといった状況である。

 はあ~、・・・・残念であるが終わってしまった。

 

 とりあえず、次回は、国道286号が整備される前の状況から現況について考察してみることとする。

 

次回へ続く・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(1)出水期の仙台堀の調査

 本日2025年6月29日。やってきました七郷。

 出水期の七郷に来たのは小学生以来で、当時は用水路など全く興味がなかった年頃だったため、断片的な記憶しかない。

 特に仙台堀に至っては、夏に深沼海水浴場へ向かうバスの中でしか見たことはなく、当時バスに乗って荒井荒町線(県道235号)を走り始めて霞目飛行場とのY字路を通り過ぎると、「中倉堀」が車道付近まであふれんばかりの用水の状況が見られ、その時の印象は、道路横断の暗渠(サイフォン?)入口の天井にまで到達した用水が、水上のゴミをふんだんに留めている状況を見て、「汚いな」「こんな堀でザリガニを取っているのか(上流側で)」と思いながら、それでもやめられない自分にあきれていた記憶や、仙台バイパスを過ぎて海水浴場が近づくと、道路沿いにどこからともなく仙台堀が併設されてきて(当時は仙台堀とは思っていなかった)、「仙台堀から分岐し流れてきている堀かな」などと思いながら眺めていた記憶である。

 な~んて昔話はどうでもよく、今回は出水期の「仙台堀」の水位が現在どうなっているのか、「広瀬堀」との分岐部分はどうなっているのかが本調査の目的である。

 

(2)仙台堀の水位状況

 「仙台堀」は、仙台バイパス(国道4号)を横断すると用水の供給を開始するが、現在は荒井地区の宅地化が進み、まず長喜城公園付近で「御蔵堀」を分岐する。

 その後、土地改良されたヤマザワ荒井店付近で線形改良した「仙台堀」が「屋敷堀」を分岐し、七郷中学校付近で「広瀬堀」を分岐する。

 分岐後の「御蔵堀」「屋敷堀」「広瀬堀」は、すべて蓋掛けにより暗渠化され、地図上では把握できないため現地視察もしくは上空写真での確認が必要となる。

荒井駅から歩くこと15分、結構早く着いたなと開削部の「仙台堀」を覗いてみると・・・

 んんんんーーん、結構水量あるんだねーー。みたいな状況で、流速は40cm/s(1秒間に40cm進む)程度であろうかと思う。

 ただ、少し生臭いなあ、周囲の空気が・・・。決して「仙台堀」からの悪臭ではなく、ここら辺周囲の空気が生臭いのである。

そして、その先の「仙台堀」と「広瀬堀」の分岐箇所地点Aを調査することとした。

 

 まずは、「非かんがい期の地点Aの状況」は、以下写真のとおりである。

 

 そして、「かんがい期の地点Aの状況」は以下写真のとおりである。

 予想通り堀壁面の水跡どおりに水位はあるが、よく見ると分岐の「広瀬堀」(写真上方向)にはあまり水が流れていないようで、途中区間が詰まっているようにも思える。というのは、水中の葉っぱの動きが普通ではない。「広瀬堀」側に流れていったようでまた戻ってきてを繰り返し、結局流れて行かない状況である。

 まあイメ-ジ通りだったので、ついでにこの先の「仙台堀」分岐ゲートの開閉状況、「霞目雨水幹線」と「荒井西2号雨水幹線」の合流部分でも撮影して帰ろうか、と思いとりあえず「仙台堀」分岐ゲートへ向かう。

 

(3)仙台堀分岐ゲートの開閉状況

 仙台堀分岐ゲートは、十呂盤東と藤田地区の田んぼに用水を供給する「藤田堀」の分岐ゲートと、運用で必要なのか「霞目雨水幹線」への放流ゲート、その先東への「仙台堀」ゲートの3方への止水制御が可能な構造となっている。

 写真の左ゲートは「仙台堀」の下流側、中央ゲートは「藤田堀」、右ゲートは「霞目雨水幹線」への放流。

右ゲートが電柱で見えないため、「霞目雨水幹線」の放流部分から右ゲート正面を撮影したものが以下写真である。

 まあ、新幹線から覗いた名取川は水量が豊富であったのに対し、広瀬川はカラッカラカラ状態で河川中央も水より川底の砂利が目立っていたため、ここで「霞目雨水幹線」へ放流する無駄なことはしないだろうと思っていたが、その通りであった。

 

(4)霞目雨水幹線と荒井西2号雨水幹線の合流部

 前回の非かんがい期に「霞目雨水幹線」と「荒井西2号雨水幹線」の合流部(暗渠部)がうまく撮影できなかったので、今回は上手に撮影して帰ろうと思い、合流部撮影場所へ向かい撮影した。

 まあ、「こんなもんかな」と思っていると。あれれれれ・・・・・れれれれれれれれっ、ぬわあ~んと、逆流してんじゃ~~~~ん。ど~うなってんのこれー。まるで海からの潮の満ち引きを見ているようで、全て「荒井西2号雨水幹線」側に1m/s程度の流速で暗渠内に逆流しており、「霞目雨水幹線」側には逆流していない。

 その状況は「暗黒魔界」にでも吸い込まれていくようで、暗渠内の様子がわからないと住宅地の下にブラックホールでもあって吸い込まれているように見えるであろう。

 そのため、この先の下流側に逆流するだけの水源があるのではないかと思い、ホテルへ行かず、このまま急きょ「霞目雨水幹線」の下流側へ進むこととした。

 

(4)藤田堀と霞目雨水幹線の状況

「霞目雨水幹線」の逆流地点を確認する目的と、ついでに「藤田堀」の水位があまりにも多いため、これについても用水供給供給状況を調査することとした。

「霞目雨水幹線」と「藤田堀」は併設しており、そのため「藤田堀」の水利用状況はあくまで「ついで」である。

 「霞目雨水幹線」は、「ここまで広く深く建設する必要があるのだろうか」と疑問はあったが、壁面の水跡を見ていると、水跡の水深は本体規模の1/2程度まで出ている。

 また、写真を見ると、田んぼの地下水がドレン口によって「霞目雨水幹線」に放流している。

 近年の集中豪雨の水量は、驚くほど河川の水量を増加させるもので、増水時の「霞目雨水幹線」の水位をみることはできないが、現在私が住んでいる埼玉県所沢市の東川(下流は荒川に接続)においても、増水時は以下写真のとおりとなる。

 キャ~~~~~~ッ、おか~さ~ん。どうですかこの水位。恐ろしいですよねえ。でも野次馬根性で見に行ったたくさんの人が流され報道されてますから、見に行かれる方は気をつけてくださいね。

 東川は、所沢市内だけでも多額の予算をかけ複数の地下河川や調整池などを建設しているが、それでも集中豪雨増水時には写真のような水量となり、場所によっては、あと数十cmで冠水するところにまできている。まあ、荒川のスーパ-堤防の整備が周辺住民の都合でままならない状況であることを考慮すると、上流の河川で対策せざるを得ないことも事実であるが、このような増水状況を見ないと整備の必要性が納得できないのも事実である。

 

 ふたたび「霞目雨水幹線」に戻るが、「仙台堀分岐ゲート」の少し先に「霞目雨水幹線」と「荒井西雨水幹線」の合流部がある。

 合流する「荒井西雨水幹線」は、若干水量はあるものの「霞目雨水幹線」を逆流させるほどの水量ではなく合流後の「霞目雨水幹線」も逆流している状況であるが、雨も降っていないのに「荒井西雨水幹線」に水位があることに疑問が生じる。

 そして、この先は以下図のように、→赤矢印に従って「霞目雨水幹線 緑5」と「藤田堀」の水位、逆流状況を南(図の下方向)に向かって見ていくこととする。

 

 続いて、その先の「荒井東雨水幹線 緑13」との合流部である。

 そうだろう、そうだろう、雨水幹線はこうでなくてはいけない。田んぼや畑の地下水がドレン口から流れ出てきても、晴天時に雨水幹線に流れが生じるほどの水量にはならないのである。さらにその先へ行くと、けたたましい音を立てて「霞目雨水幹線」に西側田んぼの排水路から利用し終えた用水放流されていた。

 こ・っ・こ・こ・こ・っ・これが逆流の原因か~?。っと思いきや、相変わらず「霞目雨水幹線」は、放流場所に関係なく左から右へ逆流している。

 「藤田堀」は、田んぼへの分岐と供給はみられるものの、水位は依然パンパン状態で今にも溢れそうといった状況である。

 また、ゲート付近の地下に何やら怪しい施設がありそうで、その一帯は稲が植えられておらず、地下構造物用の空気抜きのような配管が地中から飛び出し、雨水が入り込まないように配管上部を下に曲げている。

 地下貯水施設なのかしめじでも育てているのか、もうこんなものを気にしていては日が暮れてしまうので、残念であるがその先へ進むこととした。

 相変わらず「霞目雨水幹線」は逆流し続けているが、水量が若干増えてきているようである。っとここで疑問が生じる。今日は6月29日。かんがい期は4月25日からなのだから、その時点から排水も始まり、排水が始まってからすでに2か月を経過しているのではないか?。すると、この「霞目雨水幹線」の水量は、2か月分の西側田園地帯の排水とその間に降った雨の排水なのだとすると、いくらなんでも少なすぎる。

 それに、通常河川の水は、3~5日程度放置しておくと、河川にそのまま放流できないほど水質が悪化するため薬中施設を設け水質を改善しなくてはならないが、現況の水は2か月間放置された状態であるとは考えにくい。

 そんなことを考えつつ、さらにその先へ進むこととした。

 そうして、ようやく「霞目第1号雨水幹線 緑12」との合流にたどり着く。

 およよよよよよよよよよ-~。こ~れはまた先ほどの「荒井西雨水幹線 緑11」に比べはるかに水量が多いではないか-。

 しかも、写真でもわかる通り、その流れは正規の流れ方向(左)へは向かわず、合流方向の流れに合わせた構造物の屈曲にも逆らって「霞目雨水幹線 緑5」を右の逆流方向へ旋回して流れていく。こ―れはまさに尋常ではない。しかも「荒井西雨水幹線 緑11」の水は何なのだ。水道管でも破裂したような水量ではないか―。

 さらにこの合流地点で「霞目雨水幹線」は1m程度拡幅し建設されている。

 「藤田堀」はというと、一向に水位はパンパン状態で、その先に「富岡堀 茶3」(排水路)との交差地点が見える。たしか「藤田堀」は「富岡堀」の交差地点までだったような記憶があり、その先を追ってみても一向に水位が低下する気配はない。田んぼはあるのに。

 とにかく「富岡堀」との交差地点まで行ってみよう。

 も~う、このクッソ暑いのに~~、と思いつつも徐々に早歩きとなり、その先の状況がどうなっているかが知りたくて・・・・・。

 おおおおおおおお-っと、「富岡堀 茶3」(排水路)との交差地点がもうすぐそこといった場所の田園地帯であるが、うわあああああああああ-っと「藤田堀」はパンパンの水位状態でもうこれ以上はっっっって、溢れてんじゃねえ――これ―――。といった感じになっている。

  「霞目雨水幹線」はというと、遠目であるが「富岡堀」からの放流はないように見受けられる。

 そして、「着いたっ」。

 うおおおおおおおおおおおおっ。「藤田堀」は、「富岡堀」への止水された状態の止水ゲ-ト上部を越流し、「富岡堀」(排水路)へ流れ出ているううううううううううっ~~。

 さらにその先のゲ-トは・・・・・・・・。

 ダぁぁぁぁぁぁぁ―――――、アントニオ猪木ではないが、ほとんど田んぼに使っていないのねえ・・・・それとも、今の時期は・・・・、もしくは時間帯は田んぼに使われていないのねえ・・・・。な・の・か・よ・く・わ・か・ら・な・い・が、広瀬川の悲しい水位状況を考慮すると、もうちょっと何とかできないの―――といった感じである。

 しかも「あぶない‼ここはきけんですはいらないように」のプラカ-ドの設置主は「仙台市教育委員会」って・・・、もしかして漢字の読めない小学生低学年の生徒が入ってしまったことがあるのだろうか。

 そして、放流後の「富岡堀」はというと・・・。

 元気ですか―――――――――っ、元気いっぱいである。

 ちなみに、「藤田堀」から「霞目雨水幹線」への合流は以下のとおりである。

 「藤田堀」からの放流はないようで、止水ゲートからの漏れ出し程度である。

 

 その先は、上流側からの「富岡堀」の「霞目雨水幹線」放流専用の堀の合流地点があり、止水ゲートからの漏れ出し程度しか水量はない。

 ここで「霞目雨水幹線」は大きく旋回し、またすぐその先で元の方位に旋回する。

 元の方位に旋回する地点では、東側の排水路の合流はあるが、この排水路の対象の田園エリアは「藤田堀」の末端供給エリアの田んぼの排水となっており、ここで排水がないという事は現時点で「藤田堀」の用水供給がないという事になる。

 そして、藤田堀の用水が「富岡堀」に流れちゃっていいんですか?。となるが・・・・・・、

 その先の「霞目雨水幹線」はというと、相変わらず逆流している状況であるが、先ほどの水位に比べさらに増しているように見える。

 その後も排水路からの放流が数か所あるが、相変わらず逆流を続けている。

 そして、ついに「大学堀 茶3」(排水路)との接続箇所に到着する。

 当然であるが「大学堀」は起点なので流れはなく、水の汚れから、いつからこの状態が放置されているのだろうと考えてしまう。しかし、壁面の水跡は恐ろしい位置に達しており、もう2、30cmほどで溢水してしまう水位で、この水位は長い間、毎年定着していた水位であるかのような跡である。しかし、以前掲載した、八丁堀のかんがい期と非かんがい期の水位差(以下写真)からも、特に驚くべき水位ではないのかもしれない。

 過去の年度ごとの写真を見てみたが、壁面の水跡にまで水位が達している写真は見つからず、おそらくこの水位に達していた時代は、「霞目雨水幹線」が建設される前であったのだろうと想定する。

 「大学堀」の下流は「二郷堀」に接続されるが、「二郷堀」の水位は多く、「二郷堀」の水位状況により「大学堀」の水位が影響するものと想定できる。そして、「大学堀」と「霞目雨水幹線」の接続ゲートが解放されることは基本的になく、いずれの系統にも下流側に排水機場が設置されている状況から、いずれかの堀の緊急的な高水位状況を回避することが目的のゲートである可能性が高い。

 

 そして新たな結末へ・・・・

 

次回へ続く・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


(1)気になっていた場所リストアップ

 仙台市内用水路の調査は、出張時期の都合でほとんどが非かんがい期であったが、今回たまたまかんがい期に出張が重なったため、高砂堀系用水路を「ワクワク」しながら調査することができ感無量の思いである。

 調査対象は、以前非かんがい期に調査したとき気になる個所が多く存在した高砂堀系用水路の以下に示すエリアで、近い将来宅地化され田園地帯がなくなり、廃止されるのではないかと思われる用水路である。

 早速であるが、非かんがい期の調査で特に気になっていた箇所があったため、とりあえず以下にリストアップしてみた。

(2)角串堀と雨水幹線の合流部

1)かんがい期の水位

 かんがい期に、県道23号(仙台塩釜線)横断後の角串堀と雨水幹線の合流部を覗いてみた。状況は以下写真のとおりである。

 うっひょ~~~。こ~~れはすごい。かんがい期は流れは遅く、流速0.3m/sといったところであろうか。角串堀の用水は雨水幹線側に流れ込み、これ以上流れないといった感じで雨水幹線側は流れがない状況となっている。

 以下のように、本地域のかんがい用水は、4月25日~5月10日の間で最も水利用が多くなるが、本日は5月20日。写真(右)の水位は、この水位でピーク時の約81%である。そのため、水深差から最も水利用が多い期間は写真(右)の水位よりもう5cm程度アップするってことかあああ・・・って、これでは天井に到達するではないか。

 さらに、集中豪雨で止水するまでの時間を20分としたとき、車道に到達する(あと30cm)降水量は、雨水の集水範囲はわかないが、雨水側溝の大きさから20分でギリギリといった感じである。

 

2)雨水幹線の集水

 雨水幹線は合流手前の交差点中分に集水桝があり、位置的にこの集水升で東部道路(高架橋の高速道路)からも集水しているようにも見えるが、基本凍結材(塩化ナトリウム)を散布する用水路への排水は設計上避けているためそれはないと思う。

 

(3)田中堀と雨水幹線の合流部

1)合流部の構造

 田中堀と雨水幹線の合流部の構造は、仕切板の止水制御によって2ル-トが存在していた。ただ、その先で再び合流しており、止水用と思われる土留め状況から当時の用水供給分けの一方を廃止し合流させたようにも見える。

 過去の上空写真では、現況ル-トとほぼ変わっていない(上空写真重ね図より)が、拡大すると2本の堀は並走しているが交わっていない。(1969年上空写真)

 要するに、2本の用水路のうち1本は雨水幹線となり、その時点では田中堀が分岐し2本の用水路としていたが、その後1本の用水路に合流するよう改良されている。

 なんとも複雑であるが、上記写真の「分岐」の旗揚げ箇所は、以下写真のとおり用水が2方に分かれており、田中堀側には止水堰(仕切板で止水)が設けられ、もう一方に用水が必要量流せる構造となっている。

 にもかかわらず、その先で以下写真のように「止水」の場所は土のうが盛られ、田中堀との仕切壁がはつられ、再び田中堀に合流するようになっている。

 これは、かんがい期はいったいどういう流れになるのだろう。ぜひとも見たいものである。

 

2)かんがい期の田中堀の状況

 本日は5月20日、晴天、絶好の調査日和である。陸前山王駅から歩くこと50分、待ちに待った現場へと到着した。目的地へは下流側からしか進入できないため、田中堀の水位を見ながら目的地へ向かう。思っていたより水位が高く、この状況でピーク時の約81%だとすると、ピーク時はかなりの水量である。流速は40cm/sといったところであろうか、かなり遅い緩やかな流れである。ここからはまだ目的地の状況が把握できない。

 目的地手前にさしかかる。下記写真を状況を見て「え?・・・・」と絶句し、想像していた状況とはちょっと違うことに戸惑う。雑草で仕切壁の向こうの分岐用水路の水位は見えず、流速も拡幅区間のせいか20cm/s程度と遅い。

 そして、さらに近づき、分岐箇所の状況は以下写真のとおりであった。

 この状況は、分岐もクソもなく水位が堀全体にパンパンパンパン状態となっている。これでは分岐があまり意味をなさず、現況は、分岐用水路廃止に伴う改良の手間を省いて(コスト縮減)そのまま2ルートを放置した状態なのかと思わせるような状況であった。なんとも残念な結果である。もしかしたら「油溜め升の変形構造」なのかとか「雨水幹線からのバックウオーター現象防止構造」なのかとか、いろいろ思いを膨らませていたのだが・・・。

 分岐手前(上写真)には、止水堰の仕切板が分岐手前に浮いていた。おそらく地上に置かれていたものが風などで落下したのだろう。

 あまり意味がないのかとその場で見ていると、上記写真の分流部のところだけ落ち葉が表面に集まっている。一応この付近で混入した用水路のゴミ取りができるようになっているのかな?。それより、以下写真のように雨水幹線側への流入が気になるところである。

 当然であるが、晴天なので雨水幹線の水は雨水ではなく用水の水である。そのため田中堀の用水が雨水幹線のどの範囲まで波及しているのか調査することとした。

 

2)雨水幹線への用水波及調査

 現況場所の田中堀と雨水幹線の合流部は、赤□の地点である。

 波及調査は、まず先に県道23号の横断部緑□から調査することとした。

 流石に雑草が茂っており、よく見えないので近づいてみると、やはり用水がここまで波及している。ん?・・・・・。よく見ると流れがあり、田中堀の合流側に向かって流れている。

 これはおかしい、これでは田中堀との合流部から雨水幹線側に波及しているのではなく、田中堀に向かってどこからか用水が流れ込んできているという事ではないか-‼。

 仙台市の管理図面で雨水幹線の一部が公開されており、省略された雨水幹線は実際紫-のラインで繫がっているのだが、管理図面上の雨水の流れを示す→は、紫-のつながった先で双方を向いている。これについては緑□内の矢印が当初から逆の間違いであると思っており、今回調査でも流れは→と逆であったが、晴天であるため、どこからか用水が流れ込んできていることに間違いはない。

 となると、本雨水幹線経路は、1969年上空図の用水経路とほぼ同ル-トであることを踏まえ、下図の橙□内の雨水升を覗いてみれば何かわかるのではないかと思い、覗いてみることとした。

 横断方向を見た橙□の雨水升は、以下写真のとおりである。

 横断方向を右に90度旋回して撮影した橙□の雨水升内の写真は以下のとおりである。

 流れてる、流れてる、流れちゃってますよ、これ-。しかし、流れている水位はわずかであり、あまりにも水位がないため、上から下にしか流れていない。つまり本用水は横断していないという事である。さらにここにも用水が流れ込んできているという事である。この用水元も気になるところであるが、そうなると先ほどの用水の出どころは、この場所を通過していないとするとどこから流れてきているのだろうか。

 こ~れは困った、「ふりだしに戻る」である。

 

 この一帯の用水路は田中堀しかないため、田中堀から雨水幹線に波及している可能性がある場所をとりあえず道路管理図より推測する。 田中堀は、鶴巻交差点の止水ゲ-トから雨水幹線と田中堀に分岐できるが、用水波及場所は止水ゲ-トの上流側であることは考えられないため止水ゲ-トの下流側をチェックすると、下図の赤枠「止水ゲ-ト」「路面排水側構」の2箇所が考えられる。田中堀止水ゲ-トについては、気になっていた場所3か所目であるため、これら用水の波及については次の(4)で引き続き説明する。

 

(4)田中堀と雨水幹線の分流

 用水波及箇所として考えられる場所は、鶴巻交差点内に用水路(青色)のゲートとして「ポツン」と存在している止水ゲ-トである。

 非かんがい期の調査で、ゲ-ト内は田中堀を止水できるようになっているが、止水によって雨水幹線ルートに水が流れるようになっている。

 非かんがい期の止水ゲ-ト内は、以下写真のとおりである。

 

 田中堀と雨水幹線の底板レベル差は30cmといったところであろうか。

しかし、出水期の田中堀の水深を考慮すると、そのまま雨水幹線にも流れてしまうのではないかと懸念される状況であった。

 そのため、さっそくかんがい期の水量81%時のゲート内を覗いてみることとした。

 「ウオ―――――――――――――――――――――――っ」と、行っちゃってる、行っちゃってる、行っちゃってるう―――――――、流れちゃってますよ―これ―。ダメでしょ管理違うんだから――って一瞬思ったが、だれも雨水幹線であるとは言ってもいないし管理図にも記載されていない。

 だからグレ-な施設・・・、なので【セーーーーフ】ということにしておこう。それとも、もしかして用水路ってことはないですよねえ、この先に田んぼはないんだからー。

 いずれにしても、流れちゃってるものはしょうがないので、とりあえず勝手な理由として写真の雨水幹線は「この先の車道下の田中堀暗渠区間で水量が集中豪雨などで車道上まで上昇し冠水することを防止するための対策のオーバ-フロ-なのだ!」と勝手に考えることとした。

 となると、先ほどののマス内の水は、下図のように田中堀止水ゲ-トから波及していると考えるのが妥当である。

 そして、問題のの波及用水であるが、鶴巻交差点を横断し路面排水の側構升を覗いてみることとした。

 上写真の下部が排水桝である。

 覗いてみる(下写真)と、「あっ・・・・」

 やっぱり、いるいるいる・・・。

 さらにその先の雨水桝の中は・・・・、

 「ふわぁ――――――――――――――――――――。」

 つまり、かんがい期の田中堀の用水は、雨水幹線にまで用水が波及し、下図のとおりとなっているのであ~~る、事がわかった。

 さらに全体は、こうだっ。

 なんだか運用がよくわかんない系統である。

 

次回へ続く・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(1)八丁堀の概要

 八丁堀は、赤沼と大沼の短い区間を結ぶ水路で、延長はわずか700m程度しかなく用途は用水路となっている。

 堀の幅は、若林区役所付近の七郷堀と同じくらい広い。(写真はかんがい期)

 非かんがい期とかんがい期の水位差は1.5m程度もあり、仙台市の用水路の中では最も水深がある用水路ではなかろうか。本水位差は赤沼と大沼を直結している特徴からであろうか。

 現在、用水の供給場所を1か所確認できる。

 非かんがい期の状況は以下写真のとおりである。

 かんがい期の状況は以下写真のとおりである。

 水量の違いに若干怖くなるが、本用水は仙台堀系の柳堀と高砂堀系の角串堀の各用水の残水が合流した用水で、赤沼を経由し八丁堀に到達する。はっきり言って水は汚い。

 下流の大沼周辺には揚水機場が3か所あり、第一と第二は大沼に直結しているが、第三のみ八丁堀と直結している。

 

(2)八丁堀の川魚

 かつて八丁堀は、かんがい期が始まるとき用水供給のため赤沼のゲ-トを解放すると大量の用水が大沼に流れ込み、その際に大沼側から用水の水の色を真っ黒に変えてしまうほどのオイカワ、カワムツ、コイ、タモロコ、フナ、タナゴなどが大量に遡って来てかなり見物となっていたようであるが・・・・、今でもそうなのだろうか。

 これらの魚は、小学生のころ仙台堀や七郷堀(要するに上流の広瀬川)でも見かけたが、ここまで流れてきていたという事か。それとも、昔流れ着いたものが、非かんがい期の水たまりや大沼、赤沼でしのぎきり、今の今まで子孫を残し続けてきたのであろうか。

 小学生(低学年)のころ、八丁堀(たぶん八丁堀)に連れてこられたとき、橋の上から八丁堀を覗くと、お化けオタマジャクシ(大きなオタマジャクシ)が大量に泳いでおり子供心に捕まえたかったが、今思えばウシガエル(外来種の食用ガエル)のオタマジャクシだったのであろうか。

 いまは、「絶」「対」「無」「理」である。見るのも嫌である。なぜ、こうなってしまったのだろうかと考えてみた。やはり、第一にはウシガエルの「ケロケロ」ではない「モワ―ン」という不気味な低温のうなり声であろう。鳴き声ではなくうなり声である。床に置かれたテ-ブルにぶつかり床に足がこすれて「ブ---」と鳴るこの低温で「モワ―ン」とうなるのである。このうなり声は、一瞬驚かされ腹立たしさすら覚える。

 第二に、いつも居るときは大量すぎる(多すぎる)のである。一人(1匹)で行動できないのかと。そして見ないようにしているが見た目がキモイ。こんなところだ。

 ウシガエルは食用の際に、やはり腸は取るようで、天ぷらにするのが良いとされており、オタマジャクシも同様のように作り食すようである。やはり食べている人がいるようである。まあ、天ぷらにすれば「ヒル」でも「カマキリ」でも食えそうであるが・・・。

 

(3)精力剤の効果

 そういえば、カマキリの卵は精力剤になるようである。期間限定の自然食品であるが、実は私が小学生のころ、このカマキリの卵を一度だけ無意識に生でかじってしまったことがある。味はニワトリの卵と変わらなかったような記憶があり、食べたあと母親に自慢した記憶がある。ガキの自慢である。「カマキリの卵ってどんな味がするのか知ってるー」みたいな感じだ。

 しかし、その自慢は後でとんでもないことになっている。小学生なのにかなりやばかった・・・「小学生なのに」である。刺激を受けると歩けなくなるほど、体質にもよるのだろうが若いうちに摂取しないようかなり注意が必要である。

 今なら、「カマキリの卵を食べるとどうなるのか知ってるー」、「足がもう一本生えてくるんだよー」となるが、大人の自慢になるであろうか。

 ちなみに、カマキリの卵(オオカマキリの卵、チョウセンカマキリの卵、ハラビロカマキリの卵)はYオ-クションで1個600円くらいでゲットできる。バイ・・・より安いかも。

 

(4)カマキリの卵の捕獲

 小学生のころ、秋も終盤になると昆虫も魚も捕れなくなるため何をしていたかというとカマキリの卵捕りをしていたのである。 

 当時近所にいたカマキリは、もっぱらチョウセンカマキリだらけで、たまにコカマキリがいた程度であった。最寄りの山(泉ヶ岳)へ行けばオオカマキリもいたのであるが、近所の田んぼに行けば「チョウセンカマキリ」のみ、家の近所の木陰には「コカマキリ」といった感じであった。(仙台でハラビロカマキリは1度も見たことがない)

 「チョウセンカマキリ」は、オスが褐色(黄土色)メスが緑と褐色(黄土色)が存在し、「チョウセンカマキリ」だけといっても何種類も捕まえたような感覚があった。

 20歳代に埼玉へ移住して「ハラビロカマキリ」を見た時にはかなり感動したものだ。ちなみに北海道にはカマキリがいないようで、夜店で売ってたりするのだそうだ。カマキリは、オオカマキリとチョウセンカマキリは大きさでしか見分けにくく、ウスバカマキリ、ヒナカマキリ、ヒメカマキリなどは、一生お目にかかることはないほどレアなカマキリである。

 カマキリによって精力効果に違いはあるのだろうか。

 

次回へ続く・・・・