(1)梅の木堀の概要
「梅の木堀」は、現在の若林区役所で「七郷堀」が「高砂堀」と「仙台堀」を分けたのち、すぐに「仙台堀」が遠見塚付近の田畑に用水を供給するため分けていた堀である。その後は、以下写真のように「仙台堀」と並走し、徐々に「仙台堀」と「梅の木堀」の堀底の高低差は大きくなっていく。その関係で、当時の記憶であるが「梅の木堀」の流速は30cm/s(1秒間に30cm)程度、「仙台堀」の流速は1m/s(1秒間に1m)程度であった。
南小泉中学校付近の1966年と現況(2025年)の状況は、以下写真のとおりである。
現在は、(写真右)「梅の木堀」が車道下に埋められ、こ~~~んなに変わっちゃったのおってくらい当時の面影は一切残っていない。

1966年の写真は、当時1962年から始まった健康都市づくりの一環として実施された住民総出のまちぐるみ清掃の風景であるが、「梅の木堀」は、定期清掃の対象として泥を浚うようにしていたようである。
この活動は、私が生まれる(1967年)前から小学校高学年になるまで実施されたが、掻き揚げた泥はしばらくのあいだ写真のように路側に放置され、殺菌材のような白い粉を上から振りかけるといった、今では考えられないようなことをやっていたのである。
おそらくは紫外線殺菌効果や巡回時間などが関係し、しばらく放置していたのだろうが、記憶では1,2週間放置され、清掃員らしき人たちがどこともなく持ち去っていた。
この運動は、ほかにも堀底がまだ土工や砂利の状態の「中倉堀」や「六郷堀」も実施していたが、「梅の木堀」の横の「七郷堀」は実施されていた記憶はなく、その理由ついては、今思えばこの区間の「七郷堀」は合流式下水道の吐き口から汚水が流れる区間になっていて、健康に害を与える可能性があったなどの理由かもしれない。
「七郷堀」の合流式下水道の吐き口については、現在「蔵前橋雨水吐き口」や「愛染橋雨水吐き口」が有名であるが、当時は現在宮城の萩大通りと「仙台堀」が交差する場所にも吐き口があって、雨が降るたびにゲロゲロゲロゲロ吐いていた状況からすると、よほど当時の下水幹線は乏しく、おパッパカパなパイセンたちに計画ミスったんじゃないの~~って言ってしまいたくなるが、当時は当時の考え方と●●●●があったのだろうから言わないでおこう。
なお、合流式下水道から吐かれた水量は比較的少なく、「梅の木堀」の分岐部まで到達した記憶がないため、ぼくらの「梅の木堀」にその汚れは到達していなかったものと思う。

当時の「梅の木堀」は、現在の宮城の萩大通りの場所で90度南(写真下方向)に旋回し、すぐにまた90度東(写真右方向)に旋回して用水の供給を開始していた。

「梅の木堀」は、仙台バイパスを超えてもなお梅ノ木地区に至るまで用水を供給し続けていたのか途中どこで排水路に化けたのかは不明であるが、同様に、「梅の木堀」より北の「高砂堀」から分岐した「中倉堀」や、「梅の木堀」より南の「鞍配堀」より分岐した「佐久間堀」なども、この付近から用水を供給し、仙台バイパスを超えた先まで続いている。
要するに「仙台堀」や「高砂堀」は、「中倉堀」や「梅の木堀」の用水供給エリアよりもさらに先の南の方まで、用水路を分岐しながら水を運ぶための幹線として設けられていたという事である。

1960年代まで以下写真の□の部分は、霞目飛行場の建設の影響により「佐久間堀」と「霞目堀」が「梅の木堀」付近まで追いやられ、合流することはなく霞目飛行場を迂回している。

現在、「梅の木堀」と「佐久間堀」は雨水幹線として活用されているが、雨水幹線となっても以下用水路時代(1965~1969年)の写真の□の部分は、下から「霞目堀」「佐久間堀雨水幹線」「梅の木堀雨水幹線」として個別に並走させている。
なお、「梅の木堀雨水幹線」は、現在、歩道下の暗渠内にある。(おそらく・・・・)

□部分の現況は、以下写真のとおりである。(おそらく・・・・)

現在、地上からは、「佐久間堀雨水幹線」はいったいどこから流れてきているのかわからない状況で、「梅の木堀雨水幹線」は存・在・す・ら・把・握できない。
その後「梅の木堀」は、終着ともいえる梅ノ木地区の田園地帯に到達する。

(2)現況の梅の木堀(梅の木堀雨水幹線)
それでは、現況の「梅の木堀雨水幹線」がどうなっているのか、「仙台堀」との分岐箇所から下流側(東)へ追ってみることとする。
以下写真は、当時「仙台堀」と「梅の木堀」が分岐していた箇所であるが、「梅の木堀」はあとかたもなく埋められている。

「梅の木堀」の分岐は、上の写真のとおり「仙台堀」のカーブ内側から分岐を開始し、分岐部分は「仙台堀」の横断勾配によって「梅の木堀」側の堀底のレベルが若干高かかかったため、写真のような「環境用水」程度の水量では、「梅の木堀」まで水位が到達せず、雨天後などの止水時には「梅の木堀」に水はなく流れていない時期が多かった。(だから当時から魚もいなければザリガニもいない)
以下の写真は、宮城の萩大通りの南側である。現在「梅の木堀」の名残として把握できる「梅の木堀雨水幹線」の起点は、この位置からと言っていいかと思う。

「梅の木堀」があった位置は、集水した雨水(路面排水)を流すため、歩道レベル付近まで底上げし、コンクリ-トU字溝に置き換えられている。
さらに、先へ進むと、人通りがない場所は、経済的に効率良く雨水を集水するためか、蓋掛けがなく開削構造となっている。


そして、当時「佐久間堀」から分岐した用水の残水が合流する区間から、1970年代当時の「梅の木堀」と同様の幅となり再び蓋掛け区間となる。




人が通らない場所になって、蓋掛けがなくなっている。

ようやく蓋掛けの中がこんな風になっていたのか~~~~と判る状況。
子供のころであれば、秘密基地になっていたかもしれない。

宅地ごとに塩ビのドレン管を設け、雨水を取り込んで取り込んで取り込んで取り込んで---って取り込みつくす状況である。
おそらく屋根の上の雨水集水管であろうか。



昔の用水分岐の名残がある。

んんんん・・・、名残などではない。角落し(仕切)が入っていないという事は、まさかこの付近の畑は雨水を活用しているのか? 七郷堀側から見ると、以下写真のとおりである。

この時点で、「仙台堀」と当時の「梅の木堀」は、これだけ高低差があったということがわかる。
そういえば、写真は非かんがい期で都合上「仙台堀」には環境用水を流していない状況であるが(高砂堀は流れていた)、「梅の木堀雨水幹線」は雨が降っていないときはカラッカラであった。(あたりまえであるが)
しかし、六郷堀系の「中目堀雨水幹線(通称:横堀)」は、どこからともなく水が流れてきていて、晴れの日は、かんがい期も非かんがい期も同じような水量である。1970年代の記憶であるが、「中目堀雨水幹線(通称:横堀)」は、宮城刑務所からの経路が埋め立てられたにもかかわらず水が流れていて、晴れの日でもかんがい期も非かんがい期も同じような水量があった。

そのため1970年代当時、中目堀雨水幹線には、お化けのようにでかいザリガニが豊富に生息しており、その大きさ(30センチ程度)は一体何十年生きているんですかといった状況で、まるで伊勢エビやロブスタ-のようなアメリカザリガニであった。釣り糸を垂らすとものの数十秒で釣れるようなほど生息していたため、あまりにも釣れすぎて面白くなくなるのも早く、せいぜい1時間程度の遊びであった。当時のザリガニ釣りは、カエルを1匹捕まえてそれを餌にザリガニを釣ると、そのザリガニを使って次のザリガニを釣るといった友釣りならぬ共食い方式であった。
住宅地をすり抜ける区間は、近年転落防止のためかネットフェンスが増設されている。

実は、この場所に至る間に、「佐久間堀雨水幹線から分岐した雨水幹線」が合流し、さらに当時の「荒井堀」を分岐しているが、私有地のため立ち入って確認することができない。

当時「梅の木堀」から分岐していた部分の「荒井堀」は、上の上空写真の点線区間を見るとおそらく埋設されているが、下の写真の実線区間が雨水幹線として利用されているように見える。「荒井堀雨水幹線」は、仙台バイパスを横断後、最終的には「梅の木堀雨水幹線」と合流し「荒井西雨水幹線」となる。

そして、また「梅の木堀雨水幹線」の現地の状況に戻るが、その後の区間も安全対策としてネットフェンスが増設されている。
ただ、以下の写真の場所から、「梅の木堀雨水幹線」は長距離の暗渠区間となるのだが、スクリ-ンを設置していない。それにスクリ-ンを設置する場合は、正面のネットフェンスを維持管理用に佐久間堀雨水幹線のような構造としなければならないのではないだろうか。

余計なこと言わんでもいいから早く先に進めと聞こえてきたので、さらに先へ進むと、ようやく仙台バイパスが見えてきた。


仙台バイパス横断手前で、「梅の木堀雨水幹線」が左から右へ位置変更しているのは、昔の経路を継承しているためであろうか。

そして、仙台バイパスを横断する。
先ほどの開削部と同じ大きさの断面でバイパス部を横断しているのだろうか。
現在であれば高密度ポリエチレンなどを使うが、当時はなかったであろうからどうなっているかグレ-チング蓋を開けてみてみたいところであるが・・・今度開けてみよう。

仙台バイパス横断後は、ちょっと写真に記載の「梅の木堀雨水幹線」ル-トに自信がない。
というのは、記載ル-トは過去の「梅の木堀」ル-トであるが、そのル-トの場所には現在「雨水」の蓋が見当たらず「汚水」の蓋ばかりが存在し、かつこの先、道路左側に存在する市営バスの霞目営業所付近には、大きな路面排水用のグレ-チング蓋が2枚存在しているため、写真の車道右ル-トではなく、写真から外れた左ル-トの可能性もある。
とりあえず、過去のルートを継承し、「梅の木堀雨水幹線」は以下歩道下を流れているものとする。

逆方向から見ると、概要で紹介した以下写真のようになり、「霞目堀」「佐久間堀雨水幹線」「梅の木堀雨水幹線」が並走している状況となる。

その後、「霞目堀」「佐久間堀雨水幹線」は、霞目飛行場に沿って右へ折れるが、「梅の木堀雨水幹線」は直進する。

ようやく「雨水」の蓋があり、この先の開削区間まで直進する。

「雨水」の蓋が車道上にポコポコポコポコ存在するようになり、ようやく開削区間となる。

ようやく出てきた開削区間は、暗渠前の堀の深さの2.5倍程度の深さとなっている。
堀の中は雨も降っていないのに若干水があり、おそらく溜水なのだろうか、コケ?、ユレモ?、カビ?のようなものが堀底にあり、長距離暗渠区間を抜けたぼくらの梅の木堀は、一気に年を取った浦島太郎のように見える。
暗渠内はいったいどうなっているんだろうねえ―・・・。
そして、その先は再び暗渠区間となるのだが、現在は荒井地区の改良が終わって、この先は開削区間が存在しないまま「荒井堀雨水幹線」と合流して「荒井西雨水幹線」となる。

そのため、この先は荒井地区「改良前」と「改良後」の状況を見比べながら進むものとする。
以下写真は、2011年10月の状況で、「梅の木堀雨水幹線」は田園地帯に到達すると90度南に旋回し、すぐ先で再び90度東に旋回する。もうこの時代は、雨水幹線なので用水路ではないが、堀の深さから排水路として活用されているように見える。

以下の写真は、上記と同様の個所の2025年3月の状況である。

地上からは、右のネットフェンスまで来ている開削の「梅の木堀雨水幹線」は確認できるが、その先のル-トが全く分からない状況となっている。
しかし、次に示す90度東に旋回する場所の写真は、「梅の木堀雨水幹線」の経路と改良過程がわかる、超きちょ~~~~~~な写真なので、ぜひ見ていただきたい。

上記3枚の写真は、同一場所から撮影した年度の異なる写真であるが、特に興味があるのは2015年11月の写真である。
こんな状況で建設されてしまっては、地上から経路を確認することはほぼ不可能である。
また、今後本体の点検は実施していくのだろうが、遠い将来(100年後以降)、これを更新するのはかなり困難であろう。
まあ、宅地の下に建設しているわけではないので、家をどかすことや移転させられることはないのだろうが、点検を怠ると道路陥没なんてこともあるだろう。100年後以降の話であるが・・・・。
次の写真3枚は、「梅の木堀雨水幹線」の終点の年度ごとの写真である。

この場所で右へ旋回し、対向方面から来る「荒井堀雨水幹線」と暗渠内で合流し、以下写真の「荒井西雨水幹線」となる。

そして、以下は「荒井西雨水幹線」の建設前と建設後の写真である。

(3)現況の荒井堀(荒井堀雨水幹線)
1)荒井堀の概要
以下の写真は、現況地図と1965~1969年の上空写真を重ねたものである。
「荒井堀」は、「梅の木堀」同様に当時の用水経路のほとんどがそのまま同一経路で雨水幹線として利用されている。
「荒井堀」は、遠見塚付近で「佐久間堀」から分岐したのち「梅の木堀」と交差及び合流してさらに延伸し、仙台バイパスを越えて最終的に排水路に接続されている。

さらに、以下の写真は上の合成写真の一部を拡大したものであるが、さらに下の現況上空写真と対比してみると「荒井堀」が雨水幹線として現存しているのは「荒井堀0」「荒井堀1」「荒井堀2」のみで、「荒井堀4」と「荒井堀3」は、15年前までは存在していた形跡はあるが、現在は埋設され消滅している。

2)現況の荒井堀(荒井堀雨水幹線)
それでは、現況の「荒井堀雨水幹線」が現在どうなっているのか、「佐久間堀」との分岐箇所から下流側(東)へ追ってみることとする。
以下の写真は現況写真であるが、当時は「佐久間堀」が「荒井堀」を分けていた場所である。

しかし、雨水幹線となってまで分ける必要はないため、もしかしたら「荒井堀」の分岐部分は埋められ、「荒井堀」が開削区間となる手前のマンホ-ルで、道路下の雨水配管と接続しているだけの可能性が高い。
さらに、マンホ-ルのさらに手前は、以下写真のように雨水幹線が集約されているように見えるため、おそらく「荒井堀雨水幹線」となってからは「佐久間堀雨水幹線」からの分岐は行っていないと判断する。

それでは、「荒井堀雨水幹線」を東の方へ進むこととする。
「荒井堀雨水幹線」は、当時用水路時代のル-トが道路沿いではない関係で、以下写真のように現在は宅地の隙間に開削構造で存在している。基本として、各民家の屋根の上に落ちた雨水を、かき集めかき集めかき集め・・・さらにかき集めて「梅の木堀雨水幹線」に接続する。


おおおお、目が回ってきた、何でこうも複雑なのだろうか・・・・・、やはり周囲が自分の土地は1cmでも多く持ちたいという状況から当時の経路を継承しなければいけなかったのだろうか。



そして、「荒井堀雨水幹線」は「梅の木堀雨水幹線」に合流する。
その後、「梅の木堀雨水幹線」から先の「荒井堀雨水幹線」は、当時「梅の木堀」から分岐していた「赤点線のルートが埋設」され、現在は「荒井堀2」と「荒井堀1」が残されている状況である。

ここで、「荒井堀1」と「荒井堀2」が接続されているであろう「謎の蓋掛け箇所」があるため、現地の状況を見てみるものとする。まず、2020年の「謎の蓋掛け箇所」の状況は以下写真のとおりである。

さらに、写真の「荒井堀2」は水が流れており、雨も降っていないのにこれだけの水がどこから流れてきているのか疑問である。

さらに水の流れている方向は、水面の縞の状況から、向こうからこちら側に流れてきている。
また、「荒井堀2」の開削終端部に近い「仙台堀」との高低差は以下写真の通りで、この水が「仙台堀」から流れ出ることはないのである。
まさに、これは「怪奇現象」と言わんばかりの状況。
しかも写真は月極駐車場で、車両はなく洗車もしていないため、水の発生源が不明である。
水の出どころの可能性としては、駐車場横にマンションの給水槽(写真□)があり、飲料水でもある給水槽は、水が使われていない場合でも1日2回給水槽の水を入れ替えるため、その入れ替えされた排水が「荒井堀2」に流れ込んできている可能性はある。
しかし、その場合のル-トは当時用水路であった時代には存在せず、排水するのであれば給水槽の水なのだから目の前の「仙台堀」に放流すればよいのである。
なお、この「怪奇現象」については、また現地で確認することとする。

そして、「荒井堀雨水幹線」をさらに東へ進む。

その後、「荒井堀雨水幹線」は仙台バイパスに到達する。
仙台バイパスは、少し斜めに横断しているようである。

そして、仙台バイパスを横断しきる。

横断して出てくる手前に集水桝があるため、上の写真は集水桝に接続されている部分しか見えない状況である。
横断後は開削区間となり東へ進む。

そして、すぐまた車道下の暗渠区間となる。

90度左折して、また開削区間。

ちょっとづつ堀幅が大きくなっているようだ。というより、もともと広かった堀を狭くしているように見える。

堀の中は定期的に清掃されているようである。

フェンスが老朽化している。もともと鋼製の手すりがあり、その外側にネットフェンスを増設している。

ネットフェンス(2万円/m)は蓋掛け(7.5万円/m)するより安いことや清掃を考慮すると、経済性やメンテナンス面では開削区間が良いのかもしれない。予算が付いたら蓋掛けするのかも。

町内会の地図にも表記されているが「荒井堀雨水幹線」の名称は記載されていない。
しかし、凡例には「排水路」とのみ記載がある。「かすみ堀」とか「みんなの堀」とか名前をつけてやればいいのに-。やはり大雨が降らないと空っぽ、周囲に花もなく生き物が生息していないってのは愛着がわかないもんなのかねえ-。

そして、スクリ-ンがある定期清掃場所に到着する。

この場所より、「荒井堀雨水幹線」は、長距離暗渠区間となるので、ここからは荒井地区の開発前と開発後の映像を対比しながら先へ進むものとする。
過去の写真を見ると、「荒井堀雨水幹線」は雨水幹線なのに道路を横断した先にはゲートがある。
基本的に仙台市は「用水路のゲ-トは青」「排水路のゲ-トは赤」で統一しているため、排水路として取り扱っていたのだろうか。 しかし、排水路にゲートを3台も付けて制御とは、少し運用に「謎」が生じるため、当時の状況からこのゲート3台の運用を想定してみることとする。

それでは、この場所を反対側から見てみよう。

2013年4月の周囲は田んぼである。
田んぼで排水路と言われればわかるが、用水はどこから供給していたのだろう・・・・。
赤の止水ゲ-トが3台あり、土地改良後(田んぼがなくなってから)は止水ゲ-トもなくなっている。
用水の出所について考えていると、ふと思い立ったことがある。
「仙台堀」が、仙台バイパスを横断してすぐに「大江堀」を分ける場所で、当時(以下写真)、小さな用水路をもう1本分けていたのである。確かこの用水路の名称は「第9号用水路」であったかと思うが・・・。要するに以下1978年の上空写真のピンク色が「第9号用水路」であった。

とすると、まず、1978年の上空写真のピンクの用水路と荒井堀雨水幹線の排水路(黄色)の接続位置関係と役割を、先ほどの以下写真に追記すると以下のように変えていったのではないだろうか。


つまり、3台の止水ゲ-トのうち、左右2台は当初の用水路の経路を継承して残し、中央のゲ-トは排水マス内で「荒井堀雨水幹線」と合流させるゲートとして非かんがい期等に開放。その後、田んぼは宅地化され、左右2台の用水路も雨水排水路としての活用となるため、すべての雨水排水路を「荒井堀雨水幹線」と合流させて完成。というようなスト-リ-だったのだろう。
次に、用水路の出所である当時の「仙台堀」、「大江堀」、「第9号用水路」の分岐状況は以下のとおりである。

その後、「第9号用水路」の分岐は廃止しゲートも撤去され(以下写真)、現在は分流後「仙台堀」と「大江堀」の2本のみとなっている。

「第9号用水路」の分岐箇所は、コンクリ-トで塞がれている。
その後、「第9号用水路」は雨水幹線として利用され、霞目雨水幹線と合流するのである。
次回へ続く・・・・・・・・・・・。