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エンエンの「何でもあり」なブログ

普段、話し相手がいないので、ブログを読んでくれる方が話し相手だと思って、語りまくります。時には、つまらないと感じたり、短かったり、長かったりするかもしれませんが、たまには、読んであげて下さい。

こんばんは。
envelope-empty、略してエンエンです。
エンエンの「何でもあり」なブログへようこそ。
申し訳ございませんが、コメントを頂いても返信できない場合があります。
ご了承下さいませ。

自分は、埼玉県川口市出身です。
父は、川口自動車学校で働いていました。
その関係で、社宅に住んでいました。
自分が幼く物心つく前から、母から虐待(言葉の暴力)がありました。
ヒステリックに怒鳴るのです。
それが近所にも聞こえていて「お前のかぁちゃん(妻)は大丈夫か?」と、父は同僚に言われたことがあるそうです。
だから、自分は今でも怒鳴る人や大きな音が苦手です。

幼稚園から小2の1学期終わりまで川口市にいました。
その時にも既にいじめはありました。
小学生の時は、上級生(知らない男子)にランドセルを蹴られたり、画鋲刺されたり。
自分は悪いことをしていないのに「明日みんなに謝りなさい」と上級生(知らない女子)に言われて謝った覚えがあります。
でも自分は頭が悪いので、いじめだと気づいておらず「何でそんなひどいことするのかな」としか思えなかったので、先生や親に報告することはしなかったのです。

小2の2学期から、茨城県の小学校に通うことになりました。
小2の担任は最低な先生(女)でした。
自分がいじめられていたことに気づいていたかはわかりませんが、終始いじめっこの味方をしました。
それから、ずーーーっといじめられ続けることになります。
ここでは書ききれないほど。
中3の担任も最低な先生(男)でした。
明らかに自分はいじめられているのに、それに気づいているのにいじめっこの味方をし、その上「お前の方が悪いんじゃないのか?」とまで言いました。
高校卒業まで茨城県にいました。

茨城県には良い思い出がないので、高校卒業と同時に埼玉県に戻りました。
【余談になりますが、茨城県は暴走族が毎日、本当に毎日うるさいし、畑に肥料としておからを撒くのでとても臭いし、自分の大嫌いな虫が多いし、最悪なところです。
そんな茨城県に、親は戻って来い、親の面倒を見ろと言います。
親の面倒を見るのは良いが、茨城県には住みたくないです。
それに、母親から虐待された思いが強いから、自分はきっと、認知症の母に虐待するでしょう。】

就職しても、いじめは続きました。
ここでは書ききれないほど。
職を転々とし、現在、郵便局で落ち着いています。

自分は、いろんな人からいじめられるために生まれて来たんだと思います。
自分は、いろんな人から嫌われるために生まれて来たんだと思います。
決して嬉しい楽しい人生ではないです。
こんなかわいそうな自分を、早く楽にしてやりたいです。
毎日「早く死にたい」と思っています。
思わない日なんて1日もありません。
毎日毎時間毎分毎秒「早く死にたい」と思っているのです。
でも死のうとはしていません。
おそらく自分から死のうとしなくても、近いうちに脳か心臓がプッツンすると思います。
その日を楽しみに待っています。

では、また。