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エンエンの「何でもあり」なブログ

普段、話し相手がいないので、ブログを読んでくれる方が話し相手だと思って、語りまくります。時には、つまらないと感じたり、短かったり、長かったりするかもしれませんが、たまには、読んであげて下さい。

こんばんは。
envelope-empty、略してエンエンです。
エンエンの「何でもあり」なブログへようこそ。
申し訳ございませんが、コメントを頂いても返信できない場合があります。
ご了承下さいませ。

今でも自分は「うつ病」だと思っています。
でも、働けているので、症状は良いと思います。
精神科の先生は、診断書に「統合失調症」と書いています。
2004年6月、大手企業にアルバイトで採用されました。
面接を受けた時は「採用でも不採用でも、どっちでも良い」と思っていました。
2004年2月に自殺未遂をしています。
精神状態は良かったとは言えません。
採用された当時は、週6日11時間勤務でした。
それが、ちゃんと働けたのですよ。
毎日「早く死にたい」と思いながらも。
2013年に退職するまで、うつ病は良くなっていました。
2013年、うつ病が悪化したので退職せざるをえませんでした。
当時、精神科からもらっていた精神安定剤を、調子が良いからといって数年のんでいなかったのです。
処方されて薬は受け取るものの、のんでいなかったのです。
1,500錠もたまってしまいました。
そして2013年、うつ病が再発したので、その頂いた薬を久しぶりにのんだのです。
そしたら薬が合わず、眠気、倦怠感に襲われました。
次に精神科へ行った時に白状しました。
先生は薬を変えてくれました。
2013年7月~2014年6月(この間実家に住んでいました)がうつ病がひどくて、3回首を吊ったけど死ねませんでした。
死にたくて死にたくてたまらなかったです。
でも、家の前を車が通れば「警察が自殺を止めに来た」と怯え、電話が鳴れば「警察が自殺を止めに電話して来た」と怯える毎日でした。
母の虐待に、毎日泣いていました。
「(母が)早く死ねば良い」と願いつつも、自分も早く死にたい。
無職でお金もなかったのですが、父の助けを借りて一人暮らしができるようになりました。
母と離れてうつ病も落ち着きました。
生活保護を受けながら仕事を探し、現在に至ります。
今は症状が良くても、きちんと薬はのんでいます。
また下手に止めたら、うつ病が悪化してしまいますからね。

2014年11月、喘息になりました。
呼吸器科で吸入薬を頂き完治しました。
でも今も吸入薬が処方されています。
自分の勝手な判断で薬を止めない方が良いと経験しておきながら、現在吸入薬は使っていません。
薬は譲渡できないので、たまる一方です。

うつ病はこれ以上良くなることはないでしょう。
毎日「早く死にたい」と思いながら生きています。

では、また。