今のPTの先生との記録と前のPTの先生との記録をまとめてみました。これを書きたかったのはわけがあります。前のPTの先生は来年2月で別れて1年になり今のPTの先生は来年1月で出会って1年になります。だからこそ書きたかったのです。長編にお付き合いいただきありがとうございました。私自身も改めて振り返ることでさまざまな発見がありました。それは記事にしていますので見ていただけたらと思います。
記事の順番としては前後しますが前のPTの先生との記録、私の記録として書き忘れてはいけない記事を一つ書き忘れていました。
私が入院していたころちょうど私と同じ前のPTの先生が担当の女の子が入院していました。その子家から病院に帰らなければならない日曜日の夜お母さんと離れないといけないさみしさから病棟に帰るとものすごい勢いで泣いていました。私は初めは音に過敏なのでその子のことが苦手でした。ところがある日その子が私と同じ先生が担当だと知りました。その子は食事中プロンボードに立ち食事をしていましたが立って10分ほどで泣いてしまい病棟に担当の先生が寄れる時にはその子を探し泣いているその子をなだめていました。その子はあまり言葉が出ず多少の言葉は話せるものの要求は泣いて行うような子でした。周りはみんなプロンボードに立ちその子が泣いている事も慣れっこでした。看護師さんたちも当たり前のようになってあまりに立つ時間が少なくリハビリの意味がないためもう少し立とうねとなだめていました。でもその子は白ご飯が苦手でした。食べ終わるまでは立とうねという暗黙のルールのためにいつまで立っても下ろしてもらえず病棟にいるみんなは慣れていきますが私だけは音が苦手(特に泣き声)でいつまでたっても慣れられないままでした。
私はその時ちょうどプロンボードで立つ練習を始めていました。そんな時あることに気づきました。
[○○ちゃん(その子の名前)はこのプロンボード独特の足に体重が乗る感覚が気持ち悪いんじゃないだろうか。だから泣いているんじゃないだろうか。] この感覚の気持ち悪さは私にもよく分かるし実際それで苦しんでいます(現在進行形)私たちは言葉でそれを訴えられるけど彼女にはそれは出来ない。ただ泣くことが精いっぱいの意思表示なのに誰も彼もが立て立て白ご飯は一口は食べなさい。そう言われたら嫌だよね?誰だって苦手なものはあるしどうしても食べれないものはあるもんね。リハのために、筋力をつけるために(術後だったから)立った方がいいしそれは分かるけどいくらそれでもかわいそうでしょう。みんなもそれを思っているにしても慣れにしてもなんで抗議をする人はいないのだろうか?先生の指示があれば降りられる。誰か早く来てあげて。私はいつもそんな風に願っていました。今だから正直に書きます。なんでみんなあれを抗議せずに見てられるのだろう?それが不思議だった。あの時勇気がなかったから声をあげられなかったことを今でも後悔することがあります。看護師さんとの関係が悪くなるそんなことなんて気にせずきちんと言えば良かった。自分の関係なんて犠牲にしても別に良かったのに。なんで声をあげられなかったのか。そんな共通点を見つけると一気に妹のような存在へと変わっていきました。そして声かけを続けていると私の名前を覚えて呼んでくれるようになりました。その時はすごく嬉しかった。でも慣れって怖いなそんな風に感じた出来事でした。今でも前のPTの先生の事と同じようにその子のことを思い出します。なんであの時勇気がなくてあの子を助けてあげられなかったのかと後悔することがあります。
今だから書くとあれはかわいそうに思えた。PTの先生は責めませんが看護師さんたちが慣れすぎて怖い。あんなに一生懸命意思表示をしてるのに普通の顔をしてなだめるだけなだめて見ているなんて。リハのためにという目的は分かるからリハの先生たちはむしろ責めないしその子に配慮していたと思います。でも私たちは何か出来ることがなかったんだろうか?
対人援助職を目指すものとして社会福祉士を目指すならあんな風にはなりたくないし感情に正直に生きたい。慣れてもたとえ何も言えない場面でもあの気持ちは持っておきたいと思います。
今回の記事は見る人が見れば誰のことか一発で予測が出来ますがたぶん特定出来ない人が多数なので年齢などは伏せました。
個人情報だと思ったので彼女が本当に体重が乗ることが気持ち悪い苦手なのかは先生に直接聞いていません。あくまで今回の記事は私の推測で書いています。事実じゃない箇所も実際にはあるかもしれませんがご了承ください。

今のPTの先生との記録はいろいろな所に記事が飛んでしまい実際の出来事の順序とはずれているところが多々あります。なので起こった出来事の順序に並べてみました。これで少し読みやすくしたいと思います。

今のPTの先生との実質的な初めまして


初めての個別リハ


なんで謝るの?


初めてパニックを見守る


充電の開始


パニックを自分の言葉で伝えよう


パターンの研究開始


先生がインフルエンザに


コントロール①


10コントロール②


11コントロール③


12コントロール④


13とりあえずのコントロール完成


14現在練習中


随時更新あり

(もちろん個別にアレンジは必要だと思うけど)

落ち着いて周りを見渡そう・・・1つ分かれば自然と状況が見えてきて分かるようになる

② 急いで止めなくてもいい、何も考えなくていいと声をかける・・・パニックの時心身相関で体の緊張も強いことがほとんどだった

③ 一つ一つその場で出来るようになったことを確認し認める(これはたぶんPTの先生が私と接する上で一番大事にしていたこと。先を考えず今を受け入れる作業)

④ 何が嫌だったか怖かったか言葉にしよう(分からない事も多いので何度も戻る可能性がある。分かるところから。

これは最後前のPTの先生と私との記録を作る時にまとめた前の先生が私の記憶整理をする時に実践していた方法です。

これから私と同じようなパニックで苦しむ人が少ないように書き記しておきたいと思います。

あくまで私の場合ですがこれが誰かの役に立つことを願っています



入園してから何でも考えて行動しなくちゃ行けないことが多くなってしんどい。それは疲れるよね?というやりとりの後テストの問題はどこからするの?最初から順番に解いてく?それとも分からない所を飛ばして解ける?という質問PTの先生からあり私は中学校くらいまで最初から順番に解くことしか出来なかったけど高校に入ってから分からない所からも解けるようになったと話しました。でも図形の認識や道案内など本来の教科の問題とは違うところで困ることも多い。と話しました。そうするとPTの先生がテストの問題とパニックになる原理が似てるんじゃないかと思ったんだと話してくれました。

これは前のPTの先生が話してくれたことですが後々のルービックキューブ(ルービックキューブの発想)の発想がここから来ているんじゃないかと今読み返すと思います。パニックの傾向(原因)とテストの解き方が結びつくことが不思議でした。でも最初を解けなかったり分からない問題を飛ばせない=分からないと次の行動に進めないという特性であったりストーリー化しないと覚えられない(ストーリー化ってなに?)=考えて行動しないと分からないという風に考えられてそうなると全部が今の説明や今の特性へとつながっていきます。私は今まで突然こんな考え方になったと思っていたけどこの考え方の特性は小さい頃から今へとつながっていったのかもしれません。