先日、久しぶりに美術館に行きました.。o○o。.★.。o○o。.☆

チャロー・インディアと題された展示会だったけど、
久しぶりだったせいか、とても疲れたけどいろんなコトを感じた。

大人になっていろんなコトを知って経験して行く、美術館はまた違った印象だね。

昔は絵を見ることで精一杯でした( ・Д・)
それも近くで見ることで精一杯でした(*・ω・)ノ
あとには思ったほど何も残りませんでした(いつか作品のことを忘れたら本当に何も残らない)(; ̄Д ̄)

でも今は、1つの作品でいろんなことが「見える」ように、「残る」ようになっていました。

人によって作品の見方は様々だろうけど、私は作品を通して自分自身を見ているということに気がつきました。

その時の自分自身は仕事やプライベートでどんな状況か、何を考えているか、誰といるか、(精神的に)どこにいるか、これから何を目指そうか、といったことを作品を通して考えてる。

社会的なメッセージのある作品であればあるほど、そこから考える量とかは多いのかもしれない。だから社会性メッセージの強い作品が多かった今回は、余計に疲れたのかもしれない、と思う。

でも結果的によかったなと思います。そういった疲れたといった印象も含めて、たぶんずっと後になって思い出すのはそういうことだと思う。

あの美術館の内容がよかったとか、あのコンサートの演奏はよかったとかだけでなく、その時は誰と見に、聴きに行って、どんなことを想ったとか、そこに行くまでにどんな会話をしたとかそういったところが重要だと思う。

小学生の頃に、親に連れられて夏休みに都バスの1日フリーパスを使って恐竜の骨が飾ってあった美術館に行って、その時買ってもらった売店のアイスがめちゃめちゃ美味しかったとかね(・∀・)その時の美術館について覚えているの恐竜の骨だけだもんΣ(・ω・ノ)ノ

それよりも、暑くて親にねだってめったに買ってくれない母親がアイス買ってくれたとか、そこに附く背景のほうが重要

だから大人になったら、あんなつらい状況で見に行ったなとか、その後に行ったレストランが良かったなとか、待ち合わせは寒かったなとか、その後綺麗な夜景を見に行ってそれがよかったなとか、いろんなそこにつくストーリーが絡まって後から思い出すエピソードになるんだね。


それに、人に伝わらなかったとしてもそういうストーリーをつくるための想いってのも重要だと思う。

半年前、1年前から何かのコンサートのチケットを用意していたりとか予定を空けていたりとか普通はしない。でもそれを言葉に出すことなく想っていた誰かを思いつきのように誘ってみるとか、
何気ない会話でした小さな約束をずっと守り続けていたりとか、
誰かの誕生日に会えなくてもその時に買ったプレゼントを数年後の誕生日会えた時に何気なくあげたり、
紹介してもらった作家の本をその人が知らない間に全部読んで、何気なく会話に混ぜたり、
ふとした会話で言っていたことを覚えていて次に会った時に気にしてあげたりとか・・・。

まあ自己満足なんだろうけど、そういったコトを決めてやり遂げることができたら美しいと思う。
美しいとかこんなこと書いただけじゃ、ただの夢物語だけれど、実際にいくつかそういったことを経験して、その時の記憶はやっぱり強烈に残ってる。
これは受け取る側にも、それに気づく心の余裕を持っていないといけないけれどね。
こんな時代だからこそ、メールや電話だけじゃなくて、目に見えない無言のコミュニケーションが重要なんじゃないかと思います。

それにホントは美しくないつらい経験のほうが残るけど(TДT)、それでもその時想ったこととか学んだことは後になってプラスに返ってくると思うし、思いたい。幸せなときほど神経鈍りますからね( -д-)ノ

そんな小さな積み重ねが10年後、20年後、圧倒的な差になってその人をつくるような気がします。

誰に知られることもないかもしれない、気づいてもらえないかもしれないけれど、
ただ静かにそれを継続し続けるところに、人としての「強さ」があるように思います。


チャローインディアからだいぶ遠くなりましたが、チャローインディアでちゃんと展示物を見たところもありますよ・‥…━━━☆・‥…━━━☆

思うに、進んだなー美術も、と( -д-)ノ
もともと新しい世代のインド美術がメインだったんだけど、映像も展示作品の1つだし、実在する背景の街も含めて1つの作品だし、音声までも背景(当時の社会の混乱や状況解説)があればスピーカーから流すだけで展示ARTの1つとなっている。

四角い枠にはまった展示物、手で作られた造形物だけがARTじゃないな、と再認識させられました。

最近本にしても美術にしても、仕事にしても思うけれど、結局言っていることは1つでも、本当に様々なアプローチがあるなと思います。

もっともっとそんなコトに”気づく”場、心の余裕を増やしていこうと思います。