今年も、もう1つの年頭所感を書かなければいけませんね。
2009年にできるコトを今年も考えています。もちろん昨年までのことは引き続きやりつつです。

2005年「ほっとけない、世界のまずしさ
2006年「ムハマド・ユヌス グラミン銀行
2007年「アル・ゴア 不都合な真実
2008年「草の根のNPO、フェアトレード

と先人にヒントを得て、考えてきましたが、今年のキーワードは
間違いなく「社会起業・社会起業家」です。

今年に限らずきっと、一生かけてのテーマになります。


こんな自分でもきっと”何かはできる”と試行錯誤で進んできていますが、そんな中で「寄付ではなく支援を」ということも学びました。

寄付は、したほうの「自己満足」、されたほうの「怠慢」につながりやすい。
もちろん寄付そのものは全く否定しませんし、良いことだと思いますが、そこから一歩進まないといけない。
するほうもされるほうも、ある過程・段階では必要だと思う。でもそこで留まってはいけない。
あくまでも「自立」を前提にしていなくてはいけないと思う。

以前パートナーに、「そいうった行為は「偽善」ではないか?」と投げかけられたことがありました。
その言葉にずっと答えが出せずにいましたが、寄付行為などは確かに偽善と捉える人もいるし、偽善でやっている人もいるとその時気づかされました。だからこそ支援であるべきだと思います。
このテーマも永遠の課題かもしれません。

私個人としてはその言葉に対して、自己満足になりかねない社会貢献活動は一切口外しないということでその答えを出したいと思います。
やっぱり誰かに言ったりすることで、自己満足だったり偽善と捉える人がいる以上、誰も見ていなくても、知らなくても、自分の信念だけで続けるということが重要なんだと思います。
デリケートな問題でもあるし、結果的に間違っていたとか、失敗したということもあると思う。でも今考える正しいことでやっていくしかないからね。


話は変わりますが、気づかされたといえば、昨年「世界フェアトレード・デー2008」に掲げられたメッセージ↓にも社会起業へのヒントがありました。

途上国の生産者たちは、環境へ与える負荷がもっとも小さい人たち。
しかし、気候変動や環境破壊により食の安全、生活手段、住居などが脅かされているのもこの人たち。
利益のためには何事も犠牲にする、現在の経済システムは、人と環境をむしばみつつある。


富が平等でない以上、どこかに必ず段差が発生しています。
そこが社会起業家の狙うべきところだと思います。
お金の流れを上流から下流へ流す橋渡しやお金のないところに使って仕組みをつくっていくことを、社会変革を起こすビジネスモデルによって実現すること。そして持続させること。


昔からなんとなくですが、理想や想いだけでこういった活動をしていくのは「違うんじゃないかなー」と思っていました。使命感に燃えている団体の異様な雰囲気にも「ちょっと違うな」と思っていました。
そういったことが伝わってしまうから、逆に大衆を遠ざけてしまう要素にもなっていたと思います。

そこで出会ったのが「社会起業」という考え方。
社会起業の財団であるスコール財団のメンバーがいうように、「社会起業家は直接的な活動によりパラダイムシフトを起こし、社会的ニーズを満たす人々」なんだよね。
つまり、実際にビジネスといった活動をして、そのビジネスモデルによって既存の構造を変革して、その結果社会的なニーズを満たしていけたら良い、ということだと思う。

社会起業家が興した社会企業は、見た目普通の会社となんら変わらない。それで良いと思う。そうでなければこれからは支持されない。逆に資本主義の時代に富を求めないのは不自然と捉えられて当然。
だから、富を追求した上で、それを還元する(それも寄付ではなく支援という形で)。
そういった形のほうがよっぽど自然だと思う。

社会貢献=無償の奉仕というところにも疑問を感じて社会起業を学び始めた今年は、社会起業1年生。
まだまだこれからやらなきゃいけないことはたくさんあるけれど、1つ1つ理解すること、小さくても始めることが今年できるコトかなと思います。

過去のブログ
2008年:仕組みで世界を考える
2007年:人生を考えて地球を考える
2006年:”何か”はきっとできる!