もう二度とあらわれない やしきたかじんさんの「話芸」「性格」 | 芸能&エンタメ☆トレンドNews

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 ◆大阪という「特殊社会」



 歌手でタレントのやしきたかじんが亡くなった。ニュース以外、テレビはほとんど見なくなったが、時事的なテーマをとりあげた、たかじんの番組だけは、欠かさずに見ていた。俗に言うファンであった。



 なぜファンになったのか。同世代であり、俗に言う青春期を同時期に、物理的にも雰囲気的にも騒擾(そうじょう)下にあった京都ですごしたということもあるが、当意即妙の「話芸」と、天衣無縫な「性格」が、筆者などの感性の波長にすっきりと同期(シンクロ)したからであろう。



 話芸は天才的といっていい。その淵源をたどれば、「浪花」と呼ばれていたころからの大阪の笑いの伝統を引きついでいるように思える。



 フランスの哲学者、ベルグソンは名著『笑い』のなかで、「多くの滑稽な効果は一つの国語から他の国語に翻訳することができないものであり、従って一つの特殊社会の習俗なり観念なりと相関的なものである」と書いた。



 たかじんの話芸は、大阪という「特殊社会」をおおっている共同幻想(習俗なり観念)を抜きにしては語れない。標準語には翻訳できない。



 高い視聴率を誇りながら、番組の東京での放映を断固として拒否しつづけたのは、東京人は自らの話芸を中途半端にしか理解できないと思ったからではないだろうか。



 記憶をたどれば、「たかじんのそこまで言って委員会」のなかで、東京人はしばらくぶりに友人に会ったとき、「ひさしぶりだな。元気だったか。最近、どうしているんだ」などと、あいさつする。だが大阪では、「どや」のひと言ですむと話し、スタジオのゲストを笑わせたことがあった。



 この「どや」は書きコトバでは分からない独特のイントネーションがある。大阪という「特殊社会」で生まれ、育ったものしか理解できない。大阪育ちではない筆者も、しばらく考えこんでしまったほどだ。



 ◆典型は初代春団治



 大阪の話芸の伝統は、「俄」とも「仁輪加」とも「二○加」とも書かれる「にわか」という即興喜劇にまでさかのぼる。いわゆる座敷芸である。



 郷土史家、牧村史陽編の『大阪ことば事典』によれば、享保のころ(18世紀前半)に生まれた。『古今俄選』という古書には、「物に当(あたつ)て思案も工夫もなく、思ひもよらざる事に、卒忽(そつこつ)と、つか、ひよこ 云ひ出し仕(つかまつ)る事を俄とは云ふなんめり」と書かれている、という。



 いわば、ハプニング的な話芸である。「素人俄」というコトバが生まれたように、「にわか」は以来、厚い層になって大阪の風土に染みこんだ。たかじんの話芸は、この「にわか」の伝統を一直線に引いている。



 「破滅的」という形容をつけてもいいかもしれない性格も、大阪という「特殊社会」に由来する。その典型をたどると、どうしても、大正から昭和初期にかけての初代桂春団治という落語家に行きあたる。



 ◆二度とあらわれない



 作家、富士正晴の評伝『桂春団治』によれば、春団治は「ヤタケタ(弥猛(いやた)けた)、ゴリガン(強引にものごとをやる)、スカタン(当てはずれ、失敗)のすべてが身に備わっている」男であった。



 阪神タイガースが優勝したさいなど、道頓堀川に飛び込むことが、すでに伝統となっているが、おそらく最初に飛び込んだのは春団治である。11月の寒い季節に、ひいき客に「飛び込めるか」と言われると、長襦袢(じゅばん)一枚でドボンと飛び込み、翌日の新聞に「春団治、道頓堀川へ昨夜飛び込む」と大々的に報じられた。



 たかじんの私生活も含めた「ヤタケタ、ゴリガン、スカタン」ぶりまでは知らない。テレビを通じたかぎりでは、その早い晩年まで、たびたび北の新地で朝まで飲み、大散財していたというから、春団治ばりの奇行の持ち主だったのであろう。



 大げさになることをきらい、身内だけで葬儀を済ませたあとに、その死を公表させたところも、繊細さをもあわせもつたかじんらしい。



 こんなエンターテイナーは、もう二度とあらわれないような気がする。最近の大阪の芸人の多くは、東京ばかりに目を向けているからだ。泉下から聞こえてくる「トウキョウがナンボのもんじゃい」という声は、東京を避けつづけた筆者の内心の思いとぴたりと重なる。合掌。(福島敏雄)