エンタメの注目記事を集めよう!

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15日に放送されるアニメスペシャル「ルパン三世 princess of the breeze ~隠された空中都市~」(日本テレビ系)で、石川五エ門役を務める声優の浪川大輔さん。アニメ、吹き替えなど15本以上のレギュラーを持つ売れっ子だが、その道は決して平坦なものではなかった。「日本で最も忙しい男性声優」と呼ばれることもある浪川さんに紆余(うよ)曲折もあった声優としての歩みを聞いた。(立山夏行/毎日新聞デジタル)

 浪川さんは、五エ門役のほか、「HUNTER×HUNTER」の暗殺者・ヒソカ役、「ペルソナ4」の主人公・鳴上悠役などヒット作のキーパーソンを担当。また、「ロミオ+ジュリエット」のレオナルド・ディカプリオさんや、「ロード・オブ・ザ・リング」のイライジャ・ウッドさんら海外スターの吹き替えも務めており、多いときは一日7本もの収録を抱える人気声優だ。

 9歳の時に児童劇団に入り、子役としてデビュー。最初の仕事が声優としての吹き替えだった。その後「E.T.」「ネバーエンディング・ストーリー」「グーニーズ」など海外のヒット作で主人公の吹き替えを担当。アニメでも「機動戦士ガンダム0080ポケットの中の戦争」で主人公のアル役を務めるなど人気作に恵まれた。

 一方、当の浪川さんは恥ずかしがり屋で、人前に立つのも苦手だったといい、出演作が公開されても「周囲にからかわれるのがいやだった」と話す。中学時代は思春期に入ったこともあり、台本を読み込まずに現場に入ったりと、「調子に乗っていて、適当にやっていたと言われても仕方がない状態だった」と語る。高校時代は、部活でやっていたハンドボールで東京都代表にも選出されるなど、充実した学生生活を過ごしたが、一方で声優の仕事からは遠ざかっていき、やがてオファーもなくなっていった。「仕事が『一番』じゃなかったんでしょうね」と当時を振り返る。

 しかし、大学時代に心理学を学び、「人が喜んでいる姿を見たい」と考えるようになり、自分の演技で相手を喜ばせることができる俳優や声優の魅力を再確認。再び声優の道を志したが、かつて「調子に乗っていた」浪川さんに、仕事はほとんどなかったという。

そんな浪川さんだったが、「考え方を変えなければいけないが、ちゃんとやれば大丈夫」とアドバイスを受け、知人の薦めで海外作品のオーディションに積極的に参加。「スター・ウォーズ」のアナキン・スカイウォーカー役、「ロード・オブ・ザ・リング」のフロド役などの当たり役を射止めた。しばらくは会社員との“二足のわらじ”状態は続いたものの、役に臨む姿勢が評価され、次第に仕事が増えていった。

 「努力しているところは見せたくない」と話す浪川さんだが、家では五エ門の決めぜりふを何百回も練習したりと役への思い入れは人一倍だ。“干された”時期もあっただけに「つらい時に声をかけてくれた人たちのためにも頑張らなければ」といつも考えているという。

 芸歴は29年目。「15年くらいは仕事が少なかったですけどね」と苦労話を笑い飛ばす浪川さんを慕う後輩声優も多い。若手の相談を受けることも多く、後輩たちの発案で毎月浪川さんを囲む食事会が開かれるほど。「ルパン三世」で峰不二子役を務める沢城みゆきさんも「ダメなところもあるけれど、現場の空気に敏感で、飾らないのに射抜くような優しい言葉を言ってくれる」と信頼を寄せている。

 

 会社員時代の経験から「お互いに笑っている方が得をする」と感じた。「たとえ笑われていたとしても、笑っていることに変わりはない。熱血漢からキザな役までいろんな役をやって、浪川がいると面白そうだと思ってもらいたい」と語る浪川さん。「体力だけはある。仕事がなくなるのが怖いんです」とさらなる意欲をみせる浪川さんの多忙な日々はこれからも続きそうだ。

 「ルパン三世 princess of the breeze ~隠された空中都市~」は、日本テレビ系で15日午後9時から放送。

女優の加藤あい(30)が、結婚することが14日、明らかになった。所属事務所によると、お相手は会社役員の一般男性(37)で、「いい夫婦の日」の今月22日に婚姻届を提出するという。


 なお、加藤は現在妊娠しておらず、今後も仕事を続けていく。挙式は来春以降を予定しているという。

全編ボカシの演出方法が問題になり、10月22日の第1回放送後に休止となっていたTBSのバラエティー番組「マツコの日本ボカシ話」(火曜後11・58)が放送終了することが12日、分かった。同日夜の代替番組放送前に発表され、公式ホームページでも併せて報告された。

 12日夜、代替番組の人間観察バラエティー「モニタリング」傑作選の放送前に、テロップ画面で「『マツコの日本ボカシ話』は、全編ボカシという表現・演出方法に、局の内規に抵触するおそれがあるため、一旦、番組の放送を休止していましたが、慎重に検討した結果、番組を終了することを決定しました」と番組終了を報告。「番組を楽しみにして頂いた視聴者の皆様や、ご出演頂いたマツコ・デラックスさん、その他、関係者の皆様には、大変ご迷惑をおかけした事を、お詫び申し上げます」と視聴者や司会のタレント、マツコ・デラックス(41)らに謝罪した。

 同番組は10月22日にスタート。初回は生命保険の営業担当の女性2人が登場し、都内の喫茶店でマツコと対談。全編、2人の顔に濃いボカシを入れて音声も変え「契約を取るために“枕営業”をした」などの体験談を披露した。

 顔にボカシを入れる演出については、同局の内規で「報道番組においては必要不可欠な場合にのみ認められる」と定められ「初回の放送後、視聴者からさまざまな意見や批判があり、社内でも議論が起きた」(同局広報部)ため、第2回(10月29日)の放送を前に突如、休止。今月5日も代替番組が放送され、12日もオンエア見送りが決定していた。

 TBSの広報部は第2回の休止決定後、「表現、演出方法の再検討を行い、できるだけ早く再開したい」としていたが、結局1回で番組終了となってしまった。
 俳優の堺雅人さんが12日、早稲田大学の大隈講堂(東京都新宿区)で行われた主演ドラマ「リーガルハイ」(フジテレビ系)のイベントに登場した。今シーズンも中盤に差し掛かり、これまでの撮影を振り返った堺さんは「せりふ量がものすごいので吐きそうですね」とぼやき、「今、8話を撮影していて、9、10話と続くので、本当に早く終わらないかな」と苦笑交じりに訴えていた。



 また、一緒に登壇した共演の新垣結衣さんも「(堺さんが)いった通り吐きそうですね」と話し、「(演じる役は)徐々に成長してきているけど、さらに見せ場というか成長している姿を見せなければいけなかったので、頭から湯気を出しながら頑張っていたので、早く終わらないかなって……」と同意し、客席を沸かせた。

 ドラマは2012年4月期に放送された弁護士コメディーの新シリーズで、堺さんが演じる偏屈で毒舌な上に気分屋で超わがまま、しかし訴訟では負けない古美門研介と、新垣結衣さん演じる社会正義の使命に燃えるが融通の利かない黛真知子の凸凹コンビが活躍する。この日のイベントでは、第6話の試写会と同大学の秋山靖浩教授による質疑応答などが行われ、新垣さん、岡田将生さんらも登壇した。

 同大学を中退した後も演劇研究会で活動していたという堺さんは「酔っ払って植え込みで寝ましたね」と当時の思い出を告白。「早稲田の街で育ててもらった。今ある“堺”の大部分は早稲田時代に培ったもの。感謝したい」と話し、学生からの質問に答えるなどの“凱旋(がいせん)講義”で会場を盛り上げていた。
日本テレビ在局中、『情報ライブ ミヤネ屋』などのニュースキャスターを務め、“奇跡の38歳”(当時)として人気を博した丸岡いずみ。

しかし、2011年8月29日放送の『news every.』に出演後、謎の長期休養に入ってしまう。後に体調不良とアナウンスされたが、実はうつ病だったのだ。丸岡氏に聞いた。

―著書『仕事休んでうつ地獄に行ってきた』では、うつ病になってからの心理状況や、精神病院に入院していたこと、さらに自殺も考えたことなど、かなりあけすけに語っています。どうしてここまで書こうと思ったんですか?

「私がうつ病になったとき、ワラをもつかむ気持ちで関連書を探したんですが、当事者が書いた本ってすごく少ないんですね。同じ悩みを持つ人たちの参考になればと思ったのがキッカケです。あと、主人(映画コメンテーター・有村昆さん)が背中を押してくれたことも大きかったですね」

―本を執筆するとき、当然うつ病だった頃を振り返らないといけないと思いますが、その作業はしんどくなかったですか?

「私の場合は逆にデトックスというか、全部吐き出すことでスッキリした感じはありました。ただ、東日本大震災に関する部分だけは最後に書くって決めていたんです。精神科の先生に『(うつ病の苦しさが)フラッシュバックする恐れがある』と言われていたので、そこだけは細心の注意を払いました」

―やはり、原因は震災取材だったんですか?

「それもあったと思います。震災の翌日には取材で被災地のひとつ、岩手県・陸前高田市に入ったのですが……。自衛隊や警察がまだ到着していない場所もあり、ご遺体が数多く残されていました。地元の方が毛布や布団をかけただけの状態で、想像以上に凄惨な現場でしたね。

また、2ヵ月後に行なった海上自衛隊の同行取材も心の負担が大きかったように思います。護衛艦に一緒に乗って海上の行方不明者を捜索するのですが、損傷の激しいご遺体が収容されていって……。リポート中は目を背けるわけにいきませんし、うちだけの独占取材だったのでプレッシャーもありました。心身ともにだいぶキツかったですね」
―その後、体調に異変が出始め、地元の徳島に戻られたんですよね。

「食欲もなく、眠れない状況がずっと続いていたんです。徳島の病院で『うつ病』と診断されても、最初は信じられなかったし、受け入れられませんでした。うつ病って心の弱い人や性格的にマジメな人がなる病気だと思い込んでいたんです。私は小さい頃から楽天的で活発だったから、絶対に自分は違うと思いたかった。でも、病気を知るにつれ、それが偏見だということがわかりました」

―うつ病のときはどういう心理状況だったんですか?

「私の場合は、もうひとりの自分が俯瞰(ふかん)で見ているような感じ。ヒドいときは、症状が過去に取材をしたヒ素中毒と似ていたため、『母にヒ素を盛られた!』と本気で思っていたんです。症状を冷静に分析する自分がいれば、それを当たり前に信じてしまう自分もいる。普通だったら、絶対にあり得ない話ですよね」

―では、最後にメッセージを。

「これだけは言いたいのですが、うつ病かなと思ったら、迷わずに精神科を受診をしてください。誤解されがちですが、うつ病は誰もがかかりうる『脳の病気』なんです。自分だけで解決しようとすると、私のようにうつ地獄に行くことになりかねませんから」