昨日の昼に、

神武天皇が育った住居跡

掃除してお参りしてきた。

 

写真は先日訪れた時のもの、現在はさらに綺麗になっている。

 

 

なぜ、初代天皇が沖縄で生まれたことは、

歴史上では封印されているのだろうか?

 

 

 

興味を持って調べていたら、

さらに興味をひく隠された歴史に出会う。

 

 

 

それが、、、

 

 

 

天皇家龍神子孫説だ!

 

この話は、数年前にも聞いたことがあったが、

その時は、ぜんぜん信じる氣にならなかった。

 

 

なのに、沖縄に移住して、

耳に入る伝説を繋ぎ合わせると

歴史ミステリーのような話に至る。

 

 

ちょっと紹介しようと思う。

 

 

室町時代の百科事典

「塵添(じんてん)あい嚢鈔(のうしょう)』に

「尾籠」(びろう)という言葉の語源が書かれている。

 

書物によると「尾籠」という言葉の語源は

応神天皇のエピソードにあると書いてあるらしい。

 

 

応神天皇が宮殿の方へと部屋を出て行こうとするとき、

お使いの女性が、すこし早く障子を閉めてしまい

”尻尾”が挟まったという話。

その時、応神天皇が「尾籠なり」と言って

その女性を戒めたという。

この話は室町時代では誰もが知っていた話だったらしい。

 

つまり、、、

 

応神天皇には尻尾があったということになる。

 

また、他にも、神武天皇から応神天皇までは

龍の鱗(うろこ)があったり、尻尾があったり、

角があったとされる文献も残されているらしい。

 

有名なのは、『旧事本紀大成経』という書物。

 

かつては日本の古典の中でも

「古事記」「日本書紀」「旧事本紀」は三大古典と言われていた。

 

それが、いまでは「旧事本紀」はほとんど禁書扱いになっている。

さらに、「旧事本紀大成経」となると封印本扱いだという。

 

そこには、初代の神武天皇から15代の応神天皇まで、

身体に鱗があったり、尻尾があったり、角があったりと

まるで海に住んでいる生物の姿が残っていたという。

 

 

こんな情報もみつけた。

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先代旧事本紀大成経より、

天皇の身体的特徴について

 

・神武天皇(初代)

背の高さは約3メートル15センチ、胴回りは、両手を伸ばして一抱えした長さに15センチほど足した長さ。頭には9センチほどの角が二本あり、それはまるで雪のような色をしています。背中には龍のような背ビレがあり、その長さは1メートル20センチ、尾の裏側には大きな鱗が72枚あります。105歳のときに皇太子の位に就かれました。

 

・綏靖天皇(2代)

身長は3メートル、目は黄色に光り、まるで水星のような輝きを放っています。背中に鱗があり、怒られるときにはそれが逆立ちました。その武術は人に勝るので軽々しくモノを言えませんでした。

 

・孝霊天皇(7代)

生まれながらの御容姿は、他の方とは大きく異なり、お顔が長く龍のようですが、決して醜くはありません。その耳の後ろに白い鱗があります。胸にも9枚の鱗があり、その9つの隙間から氣を放っておられます。俊敏で、どんな遠いところにも行かれます。

 

・崇神天皇(10代)

背の高さは1メートル90センチ、額に10センチほどの青い角が一本あります。下の顎の歯は短く丸く、舌は長く鼻にまで届きました。

 

・垂仁天皇(11代)

背の高さは1メートル80センチ、髪は右曲がりに頭を9周するように生え、頭頂部で輪のように巻いてとどまっていました。両脇の下には金と緑の羽を餅、肘にも同じような羽が根ざしておられました。

 

・神功天皇(14代)

御容姿は非常にたおやかで美しく、その目には二つの瞳をお持ちでした。乳に9つの穴があり、力は強く建物の柱を揺るがすほどでした。

 

・応神天皇(15代)

背の高さは2メートル90センチ、肘には弓を射るときの「鞆(とも)」いう丸い当て皮のような形がありました。顔の真ん中にの角は天に向かってまるで弓に矢を番えたかのようでした。胸には72本の青い毛が牛の尾のように生えていました。その長さは馬の尻尾ほどで、とても強く根ざしていたので最後まで抜け落ちることはありませんでした。

 

・仁徳天皇(16代)

御壮年のころで、背の高さは1メートル90センチほど、目には青と黄色の光があり、耳は眉毛の上ぐらいの位置から口の下にまで垂れ下がり、足の指は長く、まるで手の指のようでした。

 

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【出典】天孫降臨 日本古代史の闇 神武の驚くべき正体

 

 

つまり、、

 

15代までは、龍の子孫の様相を持って

生まれてきたという。

 

 

 

もともと神武天皇は海神様の子

聖徳大使が編纂したとされる先代旧事本紀には、

神武天皇の母 玉依毘売命(タマヨリビメ)は龍神の姿となって

神武天皇を産んだとの記述があるとのこと。

 

 

この絵はそのシーンを描いたものだという。

 

 

 

 

また、沖縄に降りた龍神たちが子孫を残す

縁組には、天照大御神が関わっているとされ、

3度沖縄に降臨している。

 

そして、降臨した時ごとに名前が異なる。

 

・1回目 天受久女龍宮王御神(てんじゅくめりゅうぐうおうおんかみ)

・2回目 天智門女龍宮王御神(あまちじょうめりゅうぐうおうおんかみ)

・3回目 天受賀女龍宮王御神(てんじゅかめりゅうぐうおうおんかみ)

 

全て、「女龍宮王」という言葉が入っている。

 

 

 

これらの話を繋げてゆくと、、、

 

天皇家龍神子孫説は

本当なのではないかと思えて来た。

 

 

 

ロンズー