自分を守る力は段階的に育つ。

最初は生後2から5ヶ月。

この時期に母親とベッタリして、まるで一心同体のような、「私はあなた、あなたは私」という感覚を養う。

完全に守られた状態を体験するんだろう。

その後徐々に親から離れる練習をする。

自分の身体がだんだん動かせるようになり、自信や自己愛が育つ。


生後約18から24ヶ月。

親から少しずつ離れていく中で、だんだんと怖くなってくる。

そうしたときには親のもとに戻り、守ってもらい、不安を解消する。

そして前のように一心同体になりたい、でも離れたいという欲求の間で葛藤する。

そうしながら怖いときには守ってもらえばいいと学ぶ。


生後24から36ヶ月。

自分の中に徐々に安心感がたまってくる。

親から離れることも多くなってくるが戻ることもある。

その中で、たとえ何があっても、親と自分の繋がりは無くならないという感覚が芽生える。

そうした安心感をベースにして、自分を守る力である「怒り」を使えるようになる。自分は大切なんだと主張できるようになる。


これらのステップが順調に行かない場合、どこでつまづいているのかを調べ、その段階を体験しなければならない。

しかし、本人には記憶がほぼないので、客観的に親子の分離が起きた事実を探すことになる。

童話「シンデレラ」をネタにしてこんなことをツイートしました。

https://twitter.com/nozawaeiji/status/1636504896873836544?t=p4FBQMIjwbZVlVWiw8UY9w&s=19


ここではシンデレラの自己肯定について書いてみます。



シンデレラは継母や義姉の嫌がらせを受けながら暮らしていたものの、決して自分を卑下したり、否定したりはしていなかったようです。

継母たちがお城の舞踏会に行った時に、「私も行きたい」と思っていました。

魔法使いだか妖精がチャンスをくれたときも、迷わず行くと答えています。


もし自己否定していたら、ここで迷うと思います。

「自分なんかが舞踏会に行ってはダメ」

とか言って。

自分が舞踏会に行けないのは、ドレスやその他もろもろが無いからであって、自分に問題があるのではないというスタンスです。


次に魔法でドレスや馬車などを用意してもらいました。

ここでも迷わず利用しています。

「いやいやこれかぼちゃでしょ!こいつらネズミだよね!?私をバカにしてるのか!」

とは言いません。

あるものを最大限利用しています。


さあお城に着きました。

王子様に見つけてもらい、ダンスを申し込まれます。

迷いません。

「喜んでお相手いたします」です。

ここまで来て「いやいや私なんかが…」とはなりません。


王子様との楽しい時間。

しかし魔法が切れる12時になりました。

シンデレラはここでも迷いません。

パッと切り替えて、全力ダッシュで帰ります。

靴が脱げても気にしません。

「こんな素晴らしい時はもう二度とないかもしれない」という迷いはありません。

もちろん魔法が切れて元に戻ったら大変なことになります。

しかし、自己否定してるとその決断ができません。

さらに「こんな私でも、もしかしたら…」という期待を抱くかもしれません。

これも決断を遅らせ、魔女裁判で火あぶりまで一直線です。


結果として誰にも魔法はバレずに、お城にいた人には、「美しい娘が素晴らしい姿で現れ、王子様とお似合いだったのに、いきなり帰った」という出来事が刻まれます。


王子様もシンデレラが忘れられずに、ガラスの靴を頼りに探します。

シンデレラは舞踏会の後も変わらない生活をしてましたが、決して自分を否定していません。

自分の屋敷に王子様一行が来たときも、「私にも履かせてください」と出てきました。

「あれは確かに私が履いてたものだが、私なんかがここで名乗り出てもいいのか?私にはこの生活がふさわしいのではないか?」とは思いません。

立ち去ろうとした一行を止めて、靴を履こうとしました。


そして王子様と結婚し、めでたしめでたしとなるわけです。


シンデレラの話はいくつもの分岐点があり、その全てで「自己否定していたら迷うし、選べない」選択肢を選んでいます。

しかもどの分岐点でも、選択を誤れば即バッドエンドです。


なぜ、シンデレラは継母達にいびられても自己否定に陥らなかったのか。

童話はそこらへんの経緯がよくわからないですが、ディズニーの実写版シンデレラでは、その理由があったような気がします。

シンデレラの実の両親はともに彼女をとても可愛がっていたような描写がありました。

きっと産まれた時からこう接していたのでしょう。

そのため、シンデレラの心には、「両親から愛されるから、私は重要な存在である」という確信があったのだと思います。


こういった確信は生後2ヶ月あたりから作られはじめ、3歳くらいで基礎ができ、15歳くらいでかたまります。

特に3歳までの基礎が重要で、このときに十分に両親に愛された結果、シンデレラは自分を肯定的に捉えられるようになったのだと思います。

だから継母たちにイビられても自分を否定しなかった。

そう思います。


と、シンデレラの物語は「自己肯定とはどういうものか」が学べますが、同時に自己否定についても学べます。


え?誰が自己否定してるの?と思ったかもしれません。

実は継母やその娘、つまりシンデレラをイビっていた人たちです。


立場を利用して他者を脅し、下に見る。

これは「自分は重要であってはいけない」と自己否定していると起こります。


重要であってはいけないけど、それが苦しい。

だから他者を下げ、自分が上がったように見せかけることでなんとか自分を保とうとします。

ドレスにもこだわっていたと思います。

魔法で変化させたとはいえ、元がボロでは着ないでしょう。

かぼちゃの馬車やネズミの馬には乗りません。

すべて自分が重要でないことを隠したいからやります。

自分の幸せではなく、それが最も優先することです。



というわけで、シンデレラと自己肯定、自己否定についてでした。


不幸でいるには、たゆまぬ努力が必要。

自分を幸せにする努力をするよりは、不幸でいる努力をやめるほうが効果があると思う。


私たちは小さい子供の頃に体験したツラさから、「生きていくためにはこれが必要だ」という思い込みを身につける。

そしてその思い込みが真実であるかのような結果を求めて、思考→感情→行動のセットを積み重ねる。

ツラさを肯定する。

常に、常に、常に。


少しでも自分が心地よいことを味わうと、

これは例外だ

この人もいつか離れる

あまえるな、油断するな

などと考え、今までの自分に戻している感じ、ありませんか?


それが自分を不幸にする努力だと思う。


私が思うのは、人はほっとくと幸せになる生き物だという事。

産まれたときは100%自己肯定してるし、

子供は楽しみながら成長してるし、

人とのつながりを作ろうとする。


辛そうな人って、その本能を抑え込んで、上がろうとすると沈める。

絶対に幸せにならないぞ!という強い意識を感じる。

何回も何回も自分を傷つける。


そうしなければ生きていけなかった、そうすることで痛みを耐えてきた。

そんな体験は確かにあったと思う。

でも、今もそんな状況なの?

あなたは力のない子供なの?


もうそろそろ、その努力やめよう。


あなたの中で泣いている、小さい子供のあなたを迎えに行ってみて。

明るいところに引っ張り出してみて。

大人のあなたが、その子を安心させてあげて。



生きるのが辛い。

世界も自分にも良いものなど何も無い。


これってあなたが赤ちゃんの時になにかあったのかも。

母親が産後うつだったり、ケガや病気だったりして面倒を見ることが難しい状態。

こういった分離体験があると、自分と世界(母親)に対するイメージをネガティブなものとして取り込む。


このときに作られる「I'm not OK,You're not OK」という世界観は、人生のさまざまなところで顔を出し、絶望をもたらす。

重篤な精神疾患になることもある。


本人に記憶がない時期のことなので、通常のカウンセリングでは、そのトラウマを扱うことができない。


ただ、間接的にそのトラウマを扱って、解決することはできる。


諦めずに、自分の過去に何があったかを調べてみてほしい。

一人でいることに耐えられるかどうかは、その人の心の中にある「親のイメージ」次第。


親との心理的な繋がりが心に無いと、一人がものすごく怖い。
これは親のイメージを書き換えることで、劇的に変わる。

ポイントは今の現実の親ではなく、イメージだということ。

親のイメージはだいたい3歳くらいまでにできあがり、その時親に対して抱いていた感情と紐づいている。

感情が怖れや悲しみ、怒りなら、繋がりは弱い。
でもその感情を処理することで、書き換えの準備が整う。

そういう仕組みを心理療法ではうまく利用している。