そんな話を初めて聞いたのは確か小学校1年生くらいだったような気がする。
幼馴染みのお母様が高松の出身で、幼馴染みがよく琴電の話をしていた。
ワタクシも小学校3年の時に伊予鉄道を訪れたが、琴電までは行けなかった。
それから6年後ようやく行く機会に恵まれた。
初めて見る琴電は想像以上に物凄く楽しい路線だった。
全国から集めた旧型電車が揃い、見飽きない路線だった。
それは当時大好きだった江の電や大雄山線を遥かに凌いでいた。
当時は関東近郊から吊り掛け式の旧型電車がバタバタ店仕舞いをしていた頃。
そんな中で訪れた琴電はまさに理想郷だった。
また琴平線の沿線風景はアメリカ南部のような風景。
そんな中を全力疾走する吊り掛け電車。
そんな経緯から琴電が大好きになってしまった。
その後も下津井電鉄廃止時やクモハ84引退時にも立ちよった。
しかし当時の琴電は最悪の鉄道会社だった。
乗務員の態度はめちゃくちゃ横柄。
恫喝、暴力の蔓延る路線だった。
1日乗車券なるものもない。終点に行ったらキップをまた買っての繰り返しだった。
ワタクシも無人駅から乗車し、車内でキップを買おうとして、車掌から恫喝された事もあった。
そんな矢先の平成14年。何気なしに琴電に訪れると、乗務員の態度がまるっきり違っていた。
こっちがビビるほど腰が低かった。
友達に聞くと、会社は倒産し、再建したという。
その時、琴電は要るか要らないかとあったらしく、そこから今の琴電のゆるキャラ、ことちゃんが生まれた。
再建後の琴電はICカードの導入を始めとして、一気にイベントに積極的になった。
しかし、その先はワタクシ好みの電車は次々と引退していった。
元阪神の車体に、京急230形の下回りを付けた1060形が引退した。琴電で最も大好きな電車だった。
勿論最後を見送ったが、それがショックでその後は暫く琴電へは遠ざかっていた。
平成21年ワタクシはとある会社を辞めた。
パワハラの果てに鬱になり、再就職もかなわなかった。
独り暮らしも畳み、生きる気力を失い、途方に暮れた。
そんな中、琴電を訪れた。
当時は今のような動態保存の形態になってはいたが、久しぶりに乗る琴電旧型電車。
吊り掛けモーターの音を聞いた瞬間涙が溢れた。
アメリカ南部を思わせる、琴平線の風景を吊り掛けのBGMに乗りながらずーと泣いていた。
ここだ。俺の帰る場所は。
それからというもの、毎年レトロ電車に乗りに行くようになった。
特にお気に入りは23号。
近鉄南大阪線の前身、大阪鉄道が大正14年に作った、普通鉄道では日本最古参にあたる電車だった。正面5枚窓、側面幕板にはステンドグラスが嵌め込まれた優雅な電車だったという。
昭和38年に琴電にやってきた。正面は使いやすいようにフラットに改造され、側面のステンドグラスの名残も消えていた。
しかし車内に入るとニス塗り。ドアの両側には、ギリシャ彫刻を思わせる柱が付いている。
横浜の外交官の家を電車にしたような車両だった。
平成2年に初めて長尾線で乗った以来、旧型電車の中ではお気に入りになっていた。
毎月走っているせいか、電車は特に混雑する様子もない。
車内は仲良くなった友達や常連さんばかり。
滝宮での休憩や、琴平での撮影会はとてもマッタリしていて楽しかった。
琴平に到着後、皆でこんぴらうどんを食べに行ったっけ。
そんな中、大河ドラマで平清盛がやることに。
井浦新さん扮する崇徳上皇様が大好きになった。
琴電詣りの序でに五色台の御陵にも足を運んだ。
志度の牡蠣も食べに行った。
いつしか高松は本当の故郷になっていた。
そんな日が続くと思っていた·····
しかし、去年のGW。ワタクシは仕事で行く事が出来なかったが、レトロが今年のGWから来年のGWまでに全車廃車になることが決定した。
まさに晴天の霹靂だった。
俺の帰る場所がまたひとつ消えてしまう。
去年11月。風邪の身体を押し通して駆けつけた。
吊り掛けモーターの音に酔しれた。
今年のGWには駆けつけるよと約束して。
特に大好きな23号の最後は絶対に見送るんだと心に決めていた。
しかしコロナ禍の中、そんな願いは虚しく消えた。
8月にレトロ運転を再開したが抽選性。
このご時世に強行するのだから仕方がないと思いつつ、シルバーウィークの夜の部を応募したが、落選してしまった。
それでも大好きな23号の最後だけは見送りたい。
そんな願いから駆けつけた。
友達と一緒に撮影に行ったのだが、いつも乗っていただけに、乗れない現実は物凄く辛かった。
友達が当選した夜の部は高松築港への久しぶりの乗り入れなど、とても盛りだくさんなイベントだったという。
あ~あ羨ましいなあ。ちくしょー。
ワタクシもたまたま出会した。
でもこうして最後を見送れたのはとても良かった気がする。
なんだか最愛の人が死んでしまったような気持ちになった。
23号、本当に楽しい思い出をありがとう❗️
写真提供 Y様