琴電琴平線から吊り掛け電車の消えた日 | まほろ市発なんでもありのブログ

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それは15年前の事だった。

当時の琴電は、会社再生から5年たってはいたが、長志線では旧型車両がまだ走り、琴平線も吊り掛け駆動の増結車両が走っていた。

しかし15年前の今日、元阪神や三岐の車体に琴電の手持ちの部品を付けた車両が引退した。

その車両こそ1060形だった。



ワタクシは元々京王5100系や小田急4000系等の機器流用電車が好きだった。
幼き頃、もっとも身近に走っていた吊り掛け電車と言えばこの2つの車両だった。

それから江の電やら大雄山線で所謂旧型車両が好きになるのだが、新しい車体に吊り掛け駆動の下回りを付けた電車というのが元々の鉄道趣味のルーツだったこともありより一層思い入れがあった。

琴電に初めて訪れた30年前も長志線の旧型車両よりも琴平線のこちらの車両の方に意識が向いていた。

それに琴平線は沿線風景がまるでアメリカ南部を思わせる景色であり、より一層そちらの方へ意識が行っていたと思う。



そんな琴平線の中で一番大好きな車両がこの1060形だった。

昭和56年元阪神5101形の車体に京急230形の下回りを付けた電車だった。
続いて昭和58年、三岐鉄道よりモハ130の車体に同じく京急230形の下回りを付けた1063が登場している。

これらは朝夕ラッシュ時にカルダン車両の後ろによく連結されていた。
カルダンモーター音に続いて吊り掛けの唸りが続くという、往年の京王5000系を思わせる風景が琴電で見られた。

幼い頃京王線で見慣れたワタクシとしてはそんな懐かしい風景が琴電で見られた時は歓喜感激したものである。

それからは琴電に行く都度1060形に会いに行った。
三条→太田、羽床→滝宮など吊り掛けの唸りがもっとも聞こえる場所等で音に酔しれたのであった。



新生琴電になると、イベントにはこれらは更に出番が増えた。
ワタクシは何度も通い詰めた。
やがて高松には知り合いがどんどん増え、行きつけの場所も増えていった。

気が付くともうそこは故郷になっていた。

そんな矢先、とうとう1060形が引退する事になった。



ワタクシは今度こそは四国へ行く最後の時になるだろうと駆けつけた。

最後は同時期に引退する1015や1053に彼等は連結されていた。

思う存分最後まで音を楽しんだ。




そして最後の時が来た。
彼等は切り離され、車庫へ帰った。

1062は暫くデカの補佐機として残る事となった。
後は全て解体されてしまった。

しかしそれから程なくして1062も解体されてしまった。

思い入れの深い車両がなくなって、とうとう四国へは行くのはもうやめようと思った。
それに独り暮らしを始めたこともあり、暫く四国へはお預けになってしまった。

後にえちぜん鉄道の2101形に乗った時、1060形を思い出した。
亡きあの電車の面影をよく残し、似たような吊り掛けモーターを響かせていた。
その姿は1060形を彷彿とさせた。


それから5年後再び四国を訪れた。
友達が一人物故していた事実を知り泣き崩れた。

色々な四国の思い出を残した1060形。
楽しかったあの日の思い出を今振り返ってみた。