ここからは架空のお話です。
モハ11
大正15年楢原⇔陣馬登山口駅間開通時に日本車両で製造された車両です。
瀬戸電気鉄道ホ103形のデッドコピーと呼べる車両でした。
ただこちらはモハ19、20のみステップが取り付けられており、残りは当初から高床の車両だったようです。(後に高床用に改造)
昭和2年までに10両が製造され、陣馬電鉄の主力車両として活躍しました。
しかし昭和20年8月1日の八王子大空襲に於いてモハ12、14を焼失してしまいました。
この2両は戦後軌道線用に車体を更新し、モハ163、モハ164となっています。
長らく活躍しましたが、昭和37年にモハ15、モハ16号が上野原線へ、昭和43年にはモハ17~モハ20号が猿橋線へ転出。
本線に残ったモハ11とモハ13は昭和60年までに引退しました。
上野原線へ行った車両は平成6年までに、猿橋線の車両は平成12年まで活躍しました。
モハ11のみ楢原車庫に保存されています。
ベースにしたのはKitchen製の北恵那鉄道モハ560形で、ほぼ素組。
色のみ西東京バスと同じ色にしていきます。
白線を塗るのが難しかったです。
一方モハ60形は元能勢電鉄の50形を昭和42年に譲受したものでした。
台車を狭軌のものに履き替えたり、総括制御出来るように改造の上入線しました。
また同じ能勢電鉄からは31、32も入線し、64、65号となりました。
ニセスチールに改造された後者は昭和60年までに淘汰されましたが、残りは平成8年元富士急から購入した1000系が入線するまで活躍しました。
ベースは勿論鉄コレの能勢電鉄50形。
かつて富井電鉄として改造していたものを色を剥がして西東京バスのカラーにしていきます。
ポールを外し、パンタ用の穴を開けました。
完成するととても好ましく可愛らしい田舎電車が完成しました。
こんな電車がひなびた八王子の郊外、楢原、上壱分方町、陣馬街道沿いの恩方あたりの草蒸したレールの上をのんびり走っていたらと思うとワクワクしてきます。
これから先元小田急デニ1300形のモハ105や、元京王デニ101のモハ101等も作って行きますか。
夢が拡がります。