レッドバロン | まほろ市発なんでもありのブログ

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富井電鉄と書いて宵闇と読む

今年は第一次世界大戦が始まって100年になる。
サラエボでオーストリア皇太子が暗殺されたことを切っ掛けに始まったこの戦争は、今までの戦争の常識を根底から覆した。

毒ガス、戦車、飛行機、潜水艦等々の新兵器が誕生。
ベルダン等の激戦地では1日に数万規模での人が死んだ。

また多数の民間人が巻き添えになったのもこの戦争からだった。
都市は空襲されたり、アメリカの客船がドイツの潜水艦に撃沈されたり,..

そんな戦場の空を舞台に華麗な騎士として活躍した人がいた。
レッドバロンことマンフレート フォン リヒトホーヘン。
彼の乗った赤い飛行機は連合軍の飛行機を80機撃墜。
戦場でもっとも畏れられたが、敵国からも称賛された人だった。

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1893年ポーランドの地主階級で生まれた。
小さい頃から好奇心は強かったようだ。
第一次大戦が始まると騎兵隊へ入った。

その後航空機に興味を持ったリヒトホーヘンは航空部隊に転属、当時の撃墜王だったオズワルトベルゲの下でスコアを上げて行った。

ベルゲ死後、部隊長へ昇進。

色とりどりに塗られた戦闘機の彼の部隊はフライングサーカスと呼ばれた。

リヒトホーヘンは自分の戦闘機を真っ赤に塗った。
敵から目立ち、敵が来る、そして私が勝つという理由だったらしい。

撃墜王という反面、敵国のパイロットを尊敬し、葬儀に駆けつけ花を手向けるところもあった。

彼の部下には弟のロタールリヒトホーヘンや、後にナチス第3帝国の元帥になったへルマンゲーリングらがいた。

しかし96年前の21日、敵地に深入りし過ぎたリヒトホーヘンは撃墜されて亡くなった。

第一次大戦の航空戦は、カラフルな戦闘機が織り成す最後の騎士道と言われる。

しかし実際は戦闘機密度が高すぎ、そこらじゅうで空中事故が絶えなかった。

またパイロットが機体を簡単に捨ててしまうのを防ぐという名目で、パラシュートを着ける事も叶わず散っていったパイロットも多かった。

新人の平均寿命は4週間だったという。

未だ各地で紛争やら戦争が起きているが、世界規模の戦争は起きていない。

100年前に起きたこの戦争と、この戦で散っていったヒーローのことを忘れてはならないと思う。