5月 11日 月曜日

メロウ伝承館 サイト - 敗戦後の小学校通信簿_1 通信簿1年・中側これは筆者のモノではない(涙)戦前の優等生

通知表の廃止

小学校の通知表を辞める学校が増えている。ある教育委員会のその理由がこれだ、『「子供が何に注目するかというと、例えば『◎』があったかどうか、『△』があったかどうか、いくつあったとか、他の子よりも多いか少ないかとか。特に低学年の発達段階を考えると、そういったところに着目しがち。劣等感を感じて自信や意欲を失うことがないように。仲間関係の序列につながらないようにということが大きな目的です」幼稚園などから小学校に上がったばかりの子供たちに、勉強への苦手意識や劣等感を抱かせないようにする狙いがある。』との事。

このように考える人は、社会人・企業人の経験のない人の考え方である。子供が社会に出れば必ず競争社会の中にほり込まれる。人事評価や営業成績は平等ではないのだ。そこでいきなりやる気を失くされれば企業側も困る。

さて、そもそも人間は学力や体力に格差があって当たり前で、そのことで競争することに何の支障があるのか。人よりも優位に立ちたいという根源的人類の欲求を封じることに何の利益があるのか。競争社会の健全性をどう教えるか?これこそしっかり教育してもらいたい。

人類のここまでの発展・進歩は、競争意欲の上に成り立った成果である。健全であろうと非健全であったとしても競争原理があってこそであった。重要なのは、競争に負けてもそれは相対的なものであって、本人の満足度とは別物であることだ。1番以外は満足しない強烈な自己主張欲求の強い人間もいれば、半分以上なら良しとする人、最下位でも気にしない人もいる。しかも、その分野(勉強・スポーツなど)における相対的評価あって人間には価値観は多様であり存在自体が尊いとする考え方もある。

それを「傷つく」とか「やる気を失くす」という理由で通信簿を廃止するのは、軽率である。日本弱体化の一環かも知れない。

当然、塾や予備校では相変わらず偏差値や順位にこだわって徹底的に競争心をあおるだろうし、スポーツならばライバルを競争相手とし勝ち負けにトコトンこだわる。まさに健全な事だ。働き方改革に似た議論で、その気になっている児童の邪魔をしないで欲しい。

先頭から最後の人まで全員、価値ある人間でありそれぞれの個性があると確り教えて欲しい、それだけだ。

 

通信簿をもらうときの緊張感は子供にとっても成長の段階の試練である。