夫、妻
犬🐕️猫🐈️
夫婦2人と2匹暮らし🏠
自然素材を扱う
地元近くの工務店でマイホームづくり
R3.12 完成しました🏠️
住み心地を綴ります
3.11
13年前、東日本大震災が起きましたね。
このブログを去年も一昨年も悩みながら、結局下書きのままになっていました。
わたしは大阪生まれ、大阪育ちで
この日もいつもと変わらない1日を過ごしていたので、震災を体験したかというとそういうわけではないのですが、当時を忘れられない理由があります。
わたしには、宮城県に住む知人がおり
震災が起きる14時46分、その7分前の14時39分までその知人とメールをしていました。
何度かやり取りをし、こちらが返信した39分を最後に連絡が途絶え、それからすぐに大きな地震が起きたことをテレビで知りました。
数分前まで連絡がとれていたのに、ずっと返信が来ないんです。
夜になっても、翌日も。
テレビで流れる情報によるとその知人が住むところも甚大な被害を受けており、テレビに映る被災者一覧の名前に無いか、当時必死で探しました。
こちらから再度連絡をするのはやめていました。
連絡をしたい気持ちは山々でしたが、無事だった時にあちらから連絡をしたい人がいるのに、充電がなくなったら大変なので。
でも、心配で心配でたまらない毎日。
大阪は、普段と変わらない日常でした。
高校生だったわたしは、変わらず普通にバイトにも行っていて。
ただ、何もない田んぼを見ては、ニュースで見た津波の映像が脳にこびりついて離れず、相変わらず返信のない日々に不安は募るばかり。
そんな毎日を過ごしていたある日、やっとその方から連絡がきました。
自身も、家族も、周りの人もみな無事であること。
知人はプロの演奏家で、被災した時間はちょうどコンサートの為音楽ホールにいて
一緒に居た周りの方々と避難することができ、無事だったようです。
たくさんの方から連絡が入り、充電がなくなりそうでヒヤヒヤしていたこと。
数日間、スーパー等はものすごい行列で、食料を調達することも大変だったこと。
そういう内容でした。
テレビに映る被災地の状況に、相変わらず胸は痛かったですが
知人が無事だったこと、連絡がきたことには安堵しました。
それから1年後。
その知人に招待されて、宮城県に行ったんです。
仙台駅の夜はキラキラと照明が明るくて綺麗で。
だからこそ途中の車で通った道の、何にも無い光景を今でもよく覚えています。
ああきっと、ここにはたくさんの建物があったんだろうな、という跡だけ。
1年経ってもまだ、全然。
実際に目の当たりにした時の衝撃は大きかったです。
その時から、災害というものをよく考えるようになったと思います。
阪神淡路大震災の日はまだ幼くて、わたしには当時の記憶がなく。
実家もものすごく揺れた、火事が多い地震だった、というのを聞いていたくらいだったので、実感できていなくて。
(創建工房さんと家づくりをする前、他社のHMさんで阪神淡路大震災を例に体験や学んだりはしたのですが)
自然災害に絶対安心なんてないけど
安心な建物であることと同じくらい
土地選びもわたしにとっては大切で
あの日見た景色を心に留めながら、この先ずっと住まう土地探しをした時のことも思い出す
わたしにとってとても大切な3月11日です。
















































