父には、元々心臓の病気がありました。

ですので、普段から割合自分が倒れて入院したあとのことや、死後のことなどについてはよく考えていました。自分の墓地をあらかじめ購入したり、葬儀社を決めておいたり、遺言書を作成するなどのいわゆる「終活」と言われる点に関しても、すべて自分でしてくれたため、家族としてはとても助かったというのが、今になってみての正直な感想です。また、折に触れ家族には、その時の自分の意思を伝えてくれてある人でした。

1年前の誕生日の時には、もし自分が倒れても、もう助からないとわかったら延命治療は一切しなくていい、と家族全員の前で言いました。その数ヵ月後に、倒れて病院に運ばれることになったのですが、病院に運ばれた時点では、まだほんの少し意識があって、自分で延命治療はしなくていいと医師に告げたそうです。また、意識がなくなっていた時のためにと、自筆で書いた意思表示のような書類を家族にわかるような所に置いてくれてありました。

ですので、父を担当してくれた医師から「延命治療はどうしますか」と聞かれたときも、その書類で改めて父の意思を確認して、医師に延命治療をしないようにということが出来ました。しかし、実際にその時が来てみると、延命治療に対する本人の意思の確認は、確かに日頃からできていましたが、感情的に即断はできませんでした。

「本人にとって余計苦しくなるのであれば、延命治療はやはりしなくていいけれど、もしそうでなくて、治療をすることで少しでも長く生きられるのであれば、治療をした方がいいのではないか」と家族の誰もが考えていました。しかし、最終的には「いかなる事情であっても、一切の延命治療は不要」という父の書いた自筆の言葉と、倒れる直前の誕生日にも同じ言葉を言っていたため、父の意思を優先して延命治療をやめることにしました。その結果、数日後に父は亡くなりました。果たして良かったのか悪かったのかは今でもわかりませんが、苦しまなかったのが何よりだったと思っています。