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かつて、物流が、まだ未発達な頃、
行商と言う商売が、ごくごく日常的でした。
(暮らしの一部に、なっていたと言えます。)
千葉県からも、カツギ屋と呼ばれる、農家のおばちゃん達が、
早朝から、野菜等の農作物を背負い、東京周辺に向かったそうです。
その際は、私鉄の京成線や、国鉄の常磐線・成田線が、
交通手段として、よく使われていました。
京成線では、最盛期は、専用列車も走っていたそうです。
所謂、野菜行商専用列車(別名、なっぱ電車)です。
しかし、カツギ屋さんの人数が減るにつれ、
普通電車の一部を、「行商専用車」とするようになりました。
大抵は、一番後ろの車両だけを、
「行商専用車」に指定していました。
(一般のお客さんは、この「行商専用車」には、
乗車できないことになっています。)
その後、行商を行う人は減る一方になり、
懐かしい「行商専用車」は、廃止されることになります。
廃止となったのは、2013年3月29日でした。
そんなに昔のことではないので、
実は、この「行商専用車」を、何度も目撃したことがあります。
(間違って、乗りそうになったこともあります。)
京成は、この制度(「行政専用車」)を、本当に、
ギリギリになるまで、よく走らせてくれたと思います。
(少し、心が温まる思いがします。)
(京成の優しさでしょうか?)
この「行商専用車」の名残が、
志津駅の上りホームに、残っています。
それは、ベンチとかが置かれている一画に置かれた、
やや高めの、木でできた棚のようなものです。
(座るには、やや不便な高さなのです。)
これは、きっと、カツギ屋のおばちゃん達が、
荷物を背負い直す為の棚として、設置されたのでしょう。
はっきりと、その由来が書いてある訳ではありませんが、
個人的には、そうに違いないと思うのです。
年代を感じさせる、木の棚で、
あちこちを、金具で補強してあります。
とても、ガッチリと、頑丈に作られた棚です。
行商も、1つの文化だったので、
その遺物が残っているのは、実に嬉しいことだと思いました。
(歴史と言うか、「暮らしの変化」の象徴です。)
行商は、物がない時代に咲いた、
徒花の1つだったかもしれません。
それはそれは、キツい労働だったと思います。
暮らしを支える為に、思い荷物を担いだ。
おばちゃん達の頑張りには、本当に頭が下がります。