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6月22日午前中、JR東日本の高崎線で、
誤って架線を切断してしまうという事故が起きました。
(「大宮」と「さいたま新都心」の間です。)
ちょうど通勤時間に電車がストップしたことで、大混乱になりました。
僕は幸い、朝はこの難を逃れ、無事に東京にたどり着きましたが、
沢山の人に影響が出たようです。
(4~5時間も出社が遅れた人もいたとのことです。)
そして、この混乱はおそらく一日中続いていたようで
今度は帰宅の際、大幅なダイヤの乱れに遭遇してしまいました。
いつものように上野駅に行くと、
北へ向かう列車の電光掲示板が全て「準備中」になっていました。
これでは何番線の電車が次に発車するのか見当がつきません。
人間は、これまで、
いかに電光掲示板に頼って生活していたのかを実感させられました。
確かに交通手段は便利になり、
毎日たくさんの人が移動できるシステムが出来上がっています。
但し、便利さの反面、どこかに「負の影響」が起きている気がします。
ちょっとした事故がこうした大混乱につながるということは、
そこに何か「不自然さ」「強引さ」があるように思えてならないのです。
都市(東京)への人口集中は、もはや限界値のように感じます。
警鐘を鳴らす意味の、今回の架線事故だと思いたいものです。
やっとのことで帰宅できましたが、心身ともにヘトヘトになってしまいました。