はじめまして、GOLYです。


はじめにちょっとだけ正直な話をさせてください。

もし今、あなたが

「運動しなきゃいけない」

「痩せなきゃいけない」

そう思いながらも、心のどこかでうんざりしているなら——

それはもう、すごく自然なことです。


運動が続かないのは意志が弱いからではありません。

怠けているわけでも、才能がないわけでもない。


ただ、人間の脳は「つらいこと」「不快なこと」を本能的に避けるようにできている。

それだけの話です。


実際、健康のために始めた運動の多くは、数か月以内にやめてしまうと言われています。

多くの人はその時、「あ〜また続かなかった。俺は意思が弱いダメなヤツだ」と感じます。

でも、僕は全くそうは思いません。

もしかしたら、最初の「計画」と「設計」の部分が間違えているのかもしれないと思うんです。

本来、運動は

我慢してやるものでも、管理されてやれるものでもない。


「思いっきり汗を流したいんだよね!」


「運動した後の酒がうまくてやめられないんだよ」


こんな想いはだれもが経験してるんじゃないでしょうか?

本来の運動はこのように衝動的で、すごく人間くさいものです。



汗をたくさんかいて、腹が減って、飯がうまくなる。

眠りが深くなって、翌朝が少し楽しみになる。

「今日もまた仕事終わったらやるぞ〜」ってね。

その積み重ねが、人生そのものを前に進めていく。そして死ぬ時に思うんです。

「幸せな生き方だったな」って。



この番組では、

運動を「努力」や「義務」から解放し、

人生にエネルギーを与える“生き方”として捉え直します。それが運動の本質だと思うし、今までの経験から強くそう感じるからです。



僕はそれを、

「運動道(うんどうどう)」

と呼んでいます。


記念すべき第一回目は、

「運動道とは何なのか?」

その根っこの部分からお話しします。




「運動道」とは、僕がこれまでの経験と知識をもとに構築した「生き方の体系」です。単なるライフスタイルの提案ではなく、一貫したシステムとしての「道」です。

日本では古来、柔道、茶道、武道など、一貫した体系を「道」と呼んできました。

これらに共通する本質は、「道とは積み重ねである」ということです。一日やそこらで身につくものではなく、長い年月をかけても極めきれない。それが「道」の深みです。

ここで、茶道の大成者、千利休の言葉を紹介させてください。


「茶の道とは、ただ湯を沸かし、茶を点てて、飲むばかりなることと知るべし」


一見、とてもシンプルですよね。でもこれは「簡単でいい」という意味ではありません。

利休は、形式や権威、知識の競い合いといった「本質からズレた茶の湯」を強く戒めていました。

「運動」も同じです。

多くを語る者ほど本質を知らず、表面的な理屈に囚われがちです。しかし利休の教えでは、心構えや生き方は、言葉ではなく「行為そのもの」に滲み出ると考えます。

湯の温度、茶碗の扱い、相手への配慮。それらが整っていれば、余計な説明はいらない。

「無心で、ただ、やる」。

この極致こそが、運動道の目指す場所でもあります。



改めて、運動道とは「運動を中心に据えた生き方の哲学」です。

現代のフィットネスブームの多くは、結果を急ぐあまり、積み重ねをショートカットしようとする「消費」の文化に見えます。

運動道はその真逆です。

すぐに結果を求めない。才能も関係ない。ただ、シンプルで簡単なことを、長く続ける。

それがやがて、心身に無視できない変化をもたらします。

磨き抜かれたその変化は、やがて「自己防衛能力」という揺るぎない力に変わります。

これは特別な人のためのものではありません。

誰でも、明日から実践できる「生き方」なのです。




なぜ僕がここまで「運動」を信じているのか。

僕は20歳で運動に出会い、約30年間、一度も欠かさず続けてきました。

その間、人生には多くの荒波がありました。

生きていることが奇跡だと思えるような、深淵の闇に落ちそうになった夜も何度もありました。

それでも乗り越えてこられたのは、間違いなく、運動が常に僕のそばにあり、魂を救ってくれたからです。

僕は、「生からドロップアウトしなければ、人は何度でもやり直せる」と確信しています。

そして、その原点には母の言葉があります。

母は、幼い頃に自分の兄を自死で亡くしています。

だからこそ、命の尊さに誰よりも敏感でした。

僕がどん底で「死にたい」と漏らした時、母は何時間も、こっぴどく僕を叱りました。

「あんたが生きてさえいればいいんだ。死んだら、何にもならないだろう」


そう言って僕を運動の道へと導いてくれたのも、母でした。

運動によって人生が始まり、喜びを知り、命を繋ぎ止めてもらった。

だからこそ次は、運動の持つ潜在力を体系化して皆さんに届けるのが、僕の役割だと思っています。



この発信がどれほど続くか、正直今のところわかりません。

わかりませんが、道というものは、積み重ねていくことで初めてその姿が見えてくるものです。

途中でやめても、また始めればいい。

頭の片隅にあればいい。

まずは一歩ずつ、僕自身が運動道というものを育てていく。その時に生まれたポジティブな利益を還元していきたいと、そんなふうに思っています。


次回は、「なぜ人は積み重ねられないのか」、そして「どうすれば積み重ねられるのか」

この具体的なロジックを、運動を通して紐解いていきます!

お楽しみに。GOLYでした!