人に言うと、
「は?」
と言われますが、
まだ見ぬ自分の子供達の子供達(いわゆる孫)にメモのような手紙を残しておこうと思います。
認知症の母の遠隔介護をしていて、
だんだんと
母の本来の性格、
母が子供のこうであったであろうという性格が
見えてくるようになるのです。
こんな時に、私はふと亡くなった祖父や祖母のことを思い、
ああこんな時どうすれば本人がいうことを聞いてくれるか、おばあちゃんかおじいちゃんに聞くことができればいいのに、
と思うことが多々あります。きっと彼らであれば母の本来の性格をよーく知っていたでしょうから。
そして、もし私が母の母親であったなら、子供としては許せないことも、親だったら許せてしまうんだろうな、とふと暖かい気持ちになれたのです。
「ベンジャミン・ボタンの数奇な人生」
という映画がありましたよね。
ベンジャミンという男性がおじいちゃんに生まれて、どんどん若返って最後は赤ちゃんになって亡くなっていくという。
もしかしたらあの作者には認知症の親がいたのではないか?とも思うくらいです。
日に日に、自分の母がどんどん子供のように駄々をこねたり、不安になったり、寂しくなったり、するのを目の当たりに見て、
今まさに5歳児と手をつないで歩く母として、同じような言動をとる二人を見て
思いついたのです。
自分の子供たちを愛おしく見ながら、
この子たちがおじいちゃんおばあちゃんと呼ばれる時、おそらく自分は隣にいない。
その時、この子たちがこの子たちの周りの人たちから、より適切で、より良い扱いを受けますように。願ってならない。
このおじいちゃん、おばあちゃんが、どんなに愛されて育ったか、頑固だけど根は優しい性格だから根気よく話して欲しいとか。思いついた時にメモをしているのです。(名付けてひいおばあちゃんのタイムカプセル(仮)(笑))
自分のチビッコを見ながらこんなことを思っている親はおそらく私くらいでしょう(笑)
人生100年。
自分の足跡、できるだけ。できることだけ。