鹿児島帰ってきた。
うそみたいな映像が流れてて、言葉が出ないですよね。
私の住むつくば市は、茨城県でも内陸の南の方だから、大きな被害はありませんでした。
ただ、本当に怖かった。
ライフラインはすぐ完全ストップ。
なんとか電気だけ大丈夫だった先輩の家に夜中移動して泊まりました。
余震がずっと続いて、寝れなかった。
大学周辺に皆住んでるので、協力し合っての生活。
何処の店も閉まってたり、開いててもほとんど必要なものは売り切れ。
たまに水道復活したらあわててバスタブにためた。
Twitterで情報収集しまくり。今水出るところは何処だとかのやり取りで、お互い分け合いながらやりくりする感じ。
わたしは、親から帰ってこい・とにかく少しで南に行け命令が出て慌てて家飛び出しました。普段東京出る時に使う電車や高速バスも止まってたけど、電車出てる取手駅まで行く臨時バスが出てたんです。その最終が18時半で満席になり次第出発するということを、18時過ぎに知った私。避難するように備えてたバッグとちょっとした荷物を、5分でまとめて自転車めちゃくちゃかっとばして、何とかバスに乗れました!
まだ皆つくばに残ってたので、なんか一人だけ逃げたような気分になり、凄く後ろめたかった。
最悪の事態考えちゃって怖くて手が震えた。
とりあえず、東京で空室のあるビジネスホテルに落ち着いたわたし。14日から行くはずだった、NYへの旅行ももちろんキャンセル。
部屋にいて、やっぱり怖かった。つくばほど余震は感じられなかったものの、一人ということに凄く不安だった。
何度も出てきたことを後悔した。
だってね、帰るって言ったら一番心配してくれたの福島出身の子だったんだ。なんかほんと自分が、嫌で嫌でたまらなくなった。
翌朝、飛行機も予約出来なかったので新幹線で鹿児島まで帰った。ちなみに、開通しかたばかりのさくらに乗ったよ!でも、2日間まともに寝れなかったから景色を楽しむことなく寝てた。てか、なんかのどかな景色が不思議だった。
なんとか中央駅について、いつも通りのアミュ。その中に、めっちゃ防寒の、すっぴんにメガネ、ボサボサヘアー、首から3つカバンぶら下げて歩く私。
なんか、この平和さに、めちゃくちゃ複雑な気持ちになった。言葉で言い表せない変なショックを受けた。ショック過ぎて涙でてきた。同じ日本でこんなにも違うなんて。
当事者とそうでない人の認識がかなり違うなと、感じた。
もちろんそれは仕方ないことで、逆に普通に暮らせる人は日常生活を送ることが望ましい。そうあるべきであると思う。
ただ、なんか、虚しくなった。
Twitter見ても、友達は皆今も支えあって頑張ってる。自分は何が出来るわけでもないのに、自己嫌悪に陥る。
だけど、家族に会って、違うんだって思った。帰省ってさ、一番身近な大切な人を安心させることが出来るんだよね。そこに帰省の大きな意味があると強く思ったよ。
今日もやっぱり皆どんどん実家に帰り出してるみたいだわ。
帰省は被災地の学生が被災者のために出来ることでもある。節電、節水にもなるし、食料をかいためなくていいぶん、本当に必要な人が集めることが出来る。
今日つくばが地元の友達も言ってたけど、
帰省出来るなら、帰って欲しい。
それが、他に行き場のない人たちの本音。
NY行く予定だった仲間の一人が震災の時仙台にいたんだけど、明日なんとか羽田に着くみたい。良かった。
また別の福島出身の友達も、両親と連絡つかなくて、昨日福島に頑張って帰ってた。無事再会出来たみたい。
つくばに実家ある友達も、一人暮らしの友達皆大変だろうと、生活の支援に動き回る。皆逃げる場所あるけど、その子のような子は逃げ場もない。だからその子の方が私は心配。
こんな風に、色んな所で涙出そうになる事あった。
宮城や福島のように大きな震災をしたわけではないけれど、人のことを思うということを肌で感じまくった。
ほんとに凄まじいよね。
TVで避難所に、小中学生があまり見られないのが心配です。
つくばでこれだけ怖いんだから、大きな震災にあった地域の人の恐怖は計り知れないよね。どうか、希望を捨てないで欲しい。
茨城北部も、あまり報道されないけど、避難所に食料、水なくて非常に大変なんだ。スポットライト当たらないので支援がない。そんな被災地までも停電にするなんて、…限界だと思う。
どうか、茨城を見捨てないで。
今回かなりTwitterに助けられた気がします。今もTwitterから離れられません。
まだまだいっぱい思うことあるけど、とりあえずこれくらいで。
明日ひとつでも多くの希望がありますように。
おやすみなさい。
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