私には、『裏切られた』と思っている過去がいくつかある。


母親に暴力をふるわれたこと。


私は、愛される存在なのに愛されないどころか、暴力をふるわれる。母親に裏切られた。



私を好きだと言う男。


口ばっかりで、ただ体の関係を持ちたかっただけ。口八丁。裏切り男。




大切にされたい。

大事に扱われたい。

深く愛されたい。


それが叶わないと、裏切られたと思う。


大切にされないことが悲しくて。

大事に扱われないことが悔しくて。

深く愛されないことが価値のないことだと思う。


愛されない自分を受け入れることが、苦しくて、『裏切られた』と、理由をつけた。


愛されない言い訳をつくった。



でも。


『裏切られた』のは、うそ。


真実ではない。


『裏切られた』と勝手に自分で思い込んでるだけ。


誰も裏切ってはいない。


『裏切られた』という体験を自分がしたかっただけ。


そして、それは、同時に『誰かを裏切る自分』をつくる。


こどもを愛せない私は裏切りもの。

パートナーを喜ばせられない私は裏切りもの。


こうして私は、『裏切られた』だの『裏切らない自分であらねば』だの、『私は裏切らないのに!』だの、あーだこーだやってる。


あほらしい。


裏切りのフィルターを外すときがきた。


(オーツミルクラテが好き)