オリンピック・・・。
オリンピックを見てて思うこと。
日本人って、オリンピック好きだよなぁ・・・・。
良いも悪いもお祭り騒ぎだし・・・。
でも、メダルメダルって・・・・。
メダルを取れなきゃ駄目・・・。
これは、選手にとってそうとうウザイよなぁ・・・。
もちろん選手だって良い成績を残したいに決まっている。
世界で4位だって凄い事だけど、
メダルを取った選手とでは扱いがまるで変わる。
選手もそのことはわかっているけど、
期待が高すぎればその後の落胆も高い。
必要以上に煽られて、プレッシャーを感じさせてどうすんだろう。
マスコミ・・・・。
煽り過ぎだって!
選手の邪魔してどうすんだ?
国保選手の服装問題・・・・。
上村愛子の金メダルへの期待・・・・。
カーリング女子への見た目ばかりの報道。
フィギュアへの様々な煽り・・・・。
注目される事で、その期待にこたえることで、
スポーツ選手というのは見ている人に感動を与える事を宿命付けられている。
そのことは、全員がきっとわかっているけど・・・・・。
なぜか、そのスポーツを愛してもらうような報道や
チャレンジスピリットをたたえるような報道をあまり見たことがない・・・・。
ただのネタ的な報道が多いよなぁ・・・。
僕も大学時代に某スポーツで日本代表に選出され、
1994年に広島で行われたアジア大会(アジアのオリンピック)に出場した事があるが、
まぁ酷かったことを覚えている。
その時の結果は4位という成績に終わってしまった・・・・。
いわゆるメダル逃しの罪人的な扱いを受けた事のある一人であるわけだ。
それほど期待されていた、有名競技ではなかったので
オリンピックで期待を裏切ってしまった人ほどの心的苦痛はなかっただろうが、
それでも・・・・・である。
冬のオリンピックは各選手にとっても、スポンサーの付き辛い競技が多い。
そして、オリンピック出場枠は、自腹で出場している世界大会などの成績で割り振られる事も多い。
オリンピックを通じて、そういった部分に焦点を当ててくれれば、
その後の競技活動に少しでもスポンサーがつくのに、
そういった報道は非常に少ない。
普段は、応援しないけど、オリンピックの時だけ、
メディアのカッコウのネタにされる。
国保選手も服装問題でとやかく言われたが、
普段はスノーボードに興味すらない人たちが
ほとんどだろうなぁ・・・。
選手は、日本代表になっても国民の期待などにこたえようとなどしないで欲しい。
あくまで、自分の為。
よしんば、誰かの期待に応えたいなら、
戦ってきたライバルのために上位の成績を!
選出されなかった人の分の気持ちを代表して!
支えてくれた家族のために!
という位で良いと思う。
国民も勝手に応援しているのだからそれを楽しめば良い。
しかし、メディアは色々な誘導をする時や、
偏向報道をする時が多い・・・・。
悲しい事だが、視聴率優先主義なので、
選手やその競技自体の普及や振興などのことは、
後回しになる・・・・。
盛り上げてるつもりが・・・・・。
良かれと思っているのだろうけど、
それが仇になるケースが日本では多い。
僕がテレビ局のディレクターやプロデューサーでも、
そうしてしまうかもしれないなぁ・・・・。
だからこそ、見る側が安直な判断をしないようにすべきなんだろうな。
ゴシップ好き、うわさ好き、そういった国民性が日本にはあるのかな。
人を叩くときに、その人のことを解った上で叩く人が少ないんだと思う。
何も知らない人が、一部の情報を得て、全人格を否定するような
叩き方が非常に多い。
また、面白がって便乗している人も凄く多い。
これって・・・辛いんだよなぁ・・・・。
期待って本当に怖いんだよなぁ・・・・。
オリンピックなんて出るだけでも凄いじゃん!
それだけでもリスペクトされて良いじゃん!
高橋を応援している時に、
プルシェンコ失敗しろっ!っていう応援を、
本日のフィギュアのフリーでしている人を見かけて、
悲しくなったのでこんな事を書いてみました。
想像と期待とがっかり
人はなぜ期待してしまうのだろう。
理想の人・・・・。
理想のタイプ・・・・。
理想の仕事。
理想の職場。
理想どおりに物事が進むことはほとんど無く、
理想自体が淡いそして甘い妄想である事に気がつくことが多い。
まして、理想というものは人それぞれ違う。
そして、普通。
普通も人それぞれ違う。
自分の普通は他人には普通ではない事も多々ある。
『違う』事が普通なのだと思っている私は、
時に面食らう時がある。
常識。
常識とはルールや行動する時のモラルだと思っているが、
不変的そして普遍的なものだと思っている方も多い。
ルールは変わることも多いし、モラルはTPOに応じたものであると考えている。
人とのコミュニケーションは、様々な個人の常識によって成り立っている。
物事を伝えたい時。
双方が歩み寄ってお互いの常識や理想を理解したうえで、
言葉の意味を想像しなくてはコミュニケーションは成り立たない。
言葉の表面的な部分にはあまり意味が無いと思っている。
その言葉を選んだ背景やその人の人生観。
その意味を想像することが、重要なんだと思う。
自分の立場からではなく相手の立場で・・・。
言葉の意味は、育ってきた環境や現在の環境によって、
大きく異なる。
昨日もその壁にぶち当たった。
『信憑性』という言葉、『面白い』という言葉、
『寂しい』という言葉。
特に、感情を表す上で使う言葉の相互理解は非常に難しいし、
説明するのも難しい。
聞く側の常識やモラルや理想と
話す側の常識やモラルや理想の歯車がかみ合わないと、
一気に話は別の方向に持っていかれる。
どちらの常識が正しいか・・・・・。
そして、誹謗中傷のスパイラルにおちいる。
自分の常識外の事を受け入れるのには、
確かに苦痛を伴う事もあるかもしれない。
自分の経験してきた事や様々なものを排除しなければ、
受け入れられないものもある。
しかし・・・・・。
様々な人と仕事をする上で、
一番悩むのが、このような状態におちいった時だ。
突き詰めれば、同じジャンルの話をしていても、
何が楽しいかは全く違う。
そして、そこには、この人ならきっと理解してくれるはずだ
という、期待も錯綜する。
期待も厄介だ。
期待することやされる事自体厄介ではないのだが、
期待を裏切った時が厄介なのだ。
期待というのは本当に怖い。
生まれてこの方、
期待以上に怖いものに出会ったことがないくらい期待というのは怖い。
プレッシャーに負けるとか、そういう話ではない。
期待を裏切った時に、ほとんど『ががっかり』される。
この『がっかり』が問題なのだ。
私自身一番気をつけているのが、
『がっかり』の仕方だ。
がっかりには2通りのパターンがあると思う。
大概がっかりされる時、
されたほうとしては全否定された気がするものだ。
罪を憎んで人を憎まずのパターン。
そして、罪を憎んで人も憎むパターン。
全ての源は自分にある。
期待した自分を責める以外に人を責めてどうする。
自分の伝え方が悪かったから、
相手は誤解していた。
自分の常識を振りかざすだけだったから、
相手は誤解していた。
自分がしていた期待は、
自分が気持ちよくなりたいが為のただの欲望だったのではないだろうか。
期待というのは、それまでに続けてきた努力を見ている者だけが
『期待する』事を許されるのではないか?
期待=結果ではなく、
努力の上にある『チャンス』=期待なのだろう。
結果が出ないからといって、その努力は本当に無駄だったのか?
結果が出せないからといってその人物は本当に否定されるような人なのか?
また、期待をかけたことを裏切られたからといって、
相手を否定できるほど俺は偉いのか?
スポーツの報道や政治の報道などを見ていると、
まざまざと『罪を憎んで人も憎む』パターンを感じる時がある。
たかだか、ある分野においての一部分の事でお金を作る事が少々うまいくらいで、
その人物を否定できるほど俺は素晴らしい人間ではないと思っている。
人を『責める』のと『叱る』のと『怒る』のは、全然違う。
人は忘れられた時が『死』だ。
と先日のブログでも書いた。
愛情の反対語は?
ときかれた時、何を思い浮かべるだろう。
怒り?
憎しみ?
憎悪?
私は、『愛情』の反対語は『無関心』だと思う。
関心を持ちつつ過度な期待は避ける。
もしくは、期待を裏切られても人物否定までしない。
何度も何度もそう言い聞かせている。
関心を持つことは相手に自分の思い通りになってもらいたい為ではない。
関心を持つことは、相手が自分の期待するとおりに動いてくれる事ではない。
人の親になって初めて解った事でもある。
親に感謝せねば・・・。
人はいつ死ぬ?
人はいつ死ぬと思う?
心臓をピストルで撃ち抜かれたとき?
違う!
不治の病に冒されたとき?
違う!
猛毒キノコスープを飲んだとき?
違う!
人に忘れられたときさ!!!!
ONE PIECE ドクターヒルルクの一言。
1月に友達が急に亡くなった。
忘れない事・・・。
楽しい思い出。
助けられた事。
喧嘩した事。
小学生の時50円借りた事。
君が大事にしてた思い。
頭ではわかっていても大切な人を無くす事は受け入れられない。
いや、受け入れられなくてあたりまえ。
受け入れられるわけない。
人は、一人では生きていけない。
愛情がなくては生きていけない。
心のよりどころは凄く大事だ。
自分を愛してくれる人の死は、自分の味方を一人失うことだ。
身を引き裂かれるような辛さだと思う。
親の死はだから辛いハズだ。
無条件で受け入れてくれる唯一無二の存在。
母親は特にキツイだろう。
昨日後輩の母親が亡くなった。
本当にお悔やみ申し上げます。
お母さん後輩を産んでくれて本当にありがとうございます。
俺の大事な味方です。
後輩へ
お前には、俺たち仲間がいる。
一人じゃないからな!
ほんの2時間
突然2時間ばかし暇な時間が出来ると、何をして良いか解らなくなる。
2時間って難しい。
しかも、本当に突然暇になった時どんな事が出来るだろう。
人に会うにも相手の都合もあるし、ではゆっくり何かかできるかと言うと・・・・
映画だと移動時間も合わせると無理・・・。
趣味に費やせる時間的余裕も無い。
いつもお決まりは、髪の毛を切る。
ソレくらいしか思いつかない。
というか、髪の毛自体そんな時にしか切っていない。
いつも、美容室に行くと5分も経たないで寝てしまい。
切り終わるまでほぼ爆睡・・・。
いつも担当は一緒の人なんだが、
ほとんどしゃべった事は無く、
お疲れなんですね・・・・
と言われて、そんなでも無いですよ・・・
と何の気なしに応えるだけ。
そして、また仕事に戻る。
美容室の担当にしてみれば、髪の毛を切りに来ていると言うよりも、
確実に昼寝に来たと思われていると思う。
しかも髪型・・・・
どのようになさいますか?
の質問にどう答えて良いかわからないのは俺だけなのだろうか・・・。
短くして・・・・。
それ以外応えようが無い。
しかもシャンプーの時、洗い足りない所はございませんか?
の質問・・・・。
洗い足りない所?
見えないから解らない。
痒い所ございませんか?
の質問・・・・。
あるんだけど、頭のどの部分なのかを的確に伝えられない。
結局・・・・大丈夫ですって応えるしかない。
みんなどうやって説明してるんだろう・・・。
まぁどうでも良い事なんだが、
30分ほど時間が空いたので、久々にブログを更新してみた。
2時間の空き時間。
使い方が難しい・・・。
次に2時間空いたら何しようかな・・・。
引越しだ!
今週は引越しウィーク。
10年間職場として通ってきたこのビルと分かれるのも非常に寂しい思いになる。
13年前会社を立ち上げた頃、新宿の雑居ビルの狭い一室からスタートした頃にいつかはきれいなビルで働きたいなぁ・・・・と思っていた、あの頃を思い出す。
その当時のビルのボロさと言ったら大変だ。
面接に来た人の、2人に1人は入り口で帰ってしまう。
それくらい怪しいビルで、わが社は当時7階に会ったのだが、
6階と8階でAVビデオを作っている製作会社に挟まれており、
どう取り繕っても『怪しい』訳だ。
それから3年後、
『おい○○(←俺のこと)・・・・、家賃数百万するところに引越したいんだけど、売り上げ大丈夫か?お前が大丈夫って言うなら引越すぞ。』
10年前に今のビルに引越して来る前にウチの会社のボスから言われた言葉だ。
その当時は、本当にプレッシャーかかったなぁ・・・・。
と言うのを思い出した。
しかも、忘れていた書類や領収書、引き出しの奥から数十万の現金などなど、
ビックリするようなものが結構でてくる。
このビルで、四苦八苦して大きくなったり縮小したりの繰り返しをしてきた様々な事が、思い出された。
10年かぁ・・・・。
その当時の若い頃の写真がでてきたが、ビックリした。
大分痩せてる・・・・。
その当時企画して没になった書類・・・・。
今読み返してみると、マジで笑える・・・。
良くそんなでたらめな企画を真剣に考えていたもんだな・・・・。
知らないうちに俺も成長しているのかな・・・。
社員数百人を路頭に迷わせる事は出来ないし、
しみじみするのもここまでにして、
新しい社屋で心機一転頑張ろう!
次の10年はもっと大きなことをやり遂げようと思う今日この頃でした。
おわり。
俺もおっさんだなぁ・・・。
