今日は電通に勤めてる友達が話してたことの紹介から。


「最近の情勢と今後の見通しは、情報も大量生産・大量流通・大量消費の時代になっていくのは間違いない。


自分自身もそれに係わって推進していく仕事をしてるけど、個人的には嫌なんだよな。」



“情報の大量消費”のフレーズに対して、俺は非常に新鮮な響きを覚えたんですよね。


今までは大量生産&大量消費という言葉は、モノに対してだけ採用していた言葉だったので。



さて情報社会に移行するに当たって、情報リテラシーという概念が生まれましたよね。


端的に言えば、情報を取捨選択して、質のよい情報に触れて取り入れていく技術のことです。


そこから発展しリテラシーという言葉は“ある分野の事象を理解・整理し、活用する能力”として捉えられて色んな新語が生まれました。ググってみれば


情報リテラシー
メディア・リテラシー
コンピュータ・リテラシー
文化リテラシー

環境リテラシー
マルチメディア・リテラシー
ヘルス・リテラシー


というように、様々な場面で使われているようです・・・・・・こうやって並べてみると、どれも情報や知識に関係する項目ばかりですね。


それで俺はここに“物質リテラシー”という概念を追加してみてもいいんじゃないかという発想が浮かんだんですよ。


情報が大量に流通し、錯綜するからこそ個々人の活用能力の高さが求められるのだとすれば、


それはモノや商品に対してだって同じことが言えるじゃないかと考えたんですよね。


まぁそんな考えは新しくも何ともない。一昔前に存在した“賢い消費者”という既に夢幻の如く消え去った言葉の互換でしかないですからね。



しかし「物質リテラシー」や「賢い消費者」なんていう、大量生産で儲けているスポンサー様の不利益に繋がりかねないような内容では、決してマスメディアではエコ推進のように本腰を入れた応援はしてくれません。



俺はリテラシーとは結局のところ、収集・選別・抽出・比較・体系化・総括・運用の総合能力であると考えます。


それはつまり、人生の基礎と挙げている深い思考力と密接に関係しているってことです。


リテラシーを身に付けるよう心がけ、より質の高い日々を送るよう努める事は、特に現代人にとって必須項目であると再認識した今日この頃です。

貧すれば鈍するという言い回しはよく言ったもので、豊かさを追い求めるのは人間として当然の感情ですよね。


しかし豊かさと一口に言っても、物質の豊かさと精神的な豊かさが存在します。


現在に生きる人間の行動は物質的な豊かさに傾倒しているのは、恐らく客観的な事実でしょう。


しかし多くの人は、物質的な豊かさより精神的な豊かさの方が重要だと感じているはずだと俺は思うのです。



このような、感覚と行動の矛盾は何処に原因を発しているのかと問えば、心の豊かさは目に見えないものであり、計測するモノサシが明らかでないことだと考えるのです。


または「他者との繋がり」というモノサシは認識しているけれど、お金の豊かさなしには他者との関係が築けないという思いを持っているかもしれません。


何でもかんでもサービスとして商品化され、提供者と顧客という図式に慣れすぎれば、そのように考えることも無理からぬことでしょうし。



今日はそんな事を思索しながら、心の豊かさを測るモノサシを一つ思い浮かべました。


「必要な分だけを欲し、必要ない分は手放す」


これが出来ている人は精神的な豊かさに大きく近づいている人だと捉える視点です。



この発想の礎になった俺の好きな話が2つあるので紹介します。まず一つ目は何処かの先住民部族にまつわる話です。


そのコミュニティで生活する人達に、「この村で一番豊かな人は誰か」と聞いて回ると、不思議なことに生活レベルは至極一般的な人物の名が上がってくる。


「あそこに立派な邸宅があり、高級車を2台も所有しているようだが、あの住人は豊かではないのか」と問いかけて返って来た答えは以下の通りだったそうです。


「いやぁ、あの人は今でも自分でお金を持ち続けているからねぇ」



もう一つは俺の愛読書の蒼点航路ですね。29巻で蜀の城を無血開城させるためにカンヨウが説得したシーンから、


「欲しいって言うより、この国が要るんだようちの大将にゃ

「何しろ長え間ろくに何も持たないまんま、他人からもらい続けてしのいできたろ?

「本当に要るもんしか欲しがらねぇんだよ


この言葉を受けた君主のリュウショウは


「私はこの国を必要としてきたか?

「今本当に必要としているか!?


と自問を投げかけ、さらに次の言葉を受けます。


「んで手に入れてもまたすぐに次の要るもんに使っちまうから、やっぱりまた他人から貰ってしのいでる。

「それがうちの大将さね


これを受けたリュウショウは衝撃と共に以下の考えに至り、城を譲る決心を行うのです。


「主と民は、たがいに与え与えられ、生かし生かされ、信義を築きあう!



この両者ともが、「あの人が欲する以上は、みんなのために必要なものに違いない」というような、実に理想的と言える信頼関係に発展すると思うのですよね。



あればあるだけ良いに決まってるじゃん、と言う人は未だ人間が浅いというか、心のどこかが貧しいままなんじゃないかと考え始めたわけです。


まぁしかしこれはまた非常に難解な境地ですよね。まさに口にするのと実践するのとでは大違いですよ。


なんだか最近は自分に対するハードルが日々高くなっていて、自分の未熟さを再認識することばかりな気がします。それもまた楽しいし面白いんですけどね(笑)

人を集めた集団を形成したり運営するのに際して、最も重要なことは目的の共有だと思うのです。


同じ目的を共有した集団に属する時、人間は安心感や充足感を得られやすいし、


目的の達成から逆算して、各々の成すべき役割を分担することは効率が良く、


目指すものが同じという想いは、もっとも強い信頼関係を築ける要素だと考えているからです。



能力の高い人を集めた烏合の衆より、個々の能力は低くても目的を共有できている一枚岩の方が大抵は優秀なチームになるんですよね。


ネトゲのパーティーだったら鮮やかな連携をするし、

スポーツのチームだったら協力関係が築けるし、

コーラスのサークルだったら綺麗なハーモニーを作り上げるし、

婚礼配膳のスタッフだったら30分で片付けと次の準備を終わらせられる。


そんな観点から考えると、実力主義・能力偏重になりがちな昨今の風潮は何処かしら歪んでいるように思うのです。


スキルや技術も大事なのは勿論だけど、それよりも目的の共有の方がきっと重要なんですよ。


会社というのも組織集団ですから、何を目的としているのかをはっきりと打ち出し、それに沿う人物か否かを第一の基準に採用選考をするのが良いと思うし、


就職する側としても、自分は何を目的としたいのかを強く打ち出し、それに沿う会社を選ぶのが良いと思うのです。


稲盛さんが行っているJALの改革も、そんな風な思想を基に行っているんじゃないでしょうかね。



本当の自分とか夢や願望、やりたいことだなんてそう簡単には見つからないのは事実かもしれないですが、


だからと言ってそれを言い訳に振りかざして後回しにしたり放置したりするのは如何なものかと感じるのです。


“汝自身を知れ”は凄く重要度の高い課題であって、早々に片付けておいた方が後々で楽になるもんだと思うのですよ。


夏休みの宿題みたいなイメージを持つと分かりやすいんでしょうかね。済ませてしまえば実に清々しい気分で日々を送れるでしょう。


そもそも、そう簡単には見つからないという考えが、単なる思い込みかもしれませんよ?