書こう書こうと思い結局こんなに時間が経ってしまいました。8/16〜8/23の8日間を使いヒッチハイクに行ってきました。その際46台の車に乗せていただき様々な恩恵を受けました。まずはじめに僕と関わってくれた方々にお礼を言いたいです。
ありがとうございました。
この旅は親切に車に乗せていただいた人、応援してくれた人、共に旅をしてくれた人、全ての人の力がなければ成り立たない旅です。本当にありがとうございました。

さて、今回僕がヒッチハイクをするのは2回目です。最初はしょうもない理由で始めましたが、その際見事にこの旅の素晴らしさと面白さに気づいてしまい2回目に至りました。
なんていうのも僕はブレブレな人間です。かっこいい先輩がかっこいいことをしてるとすぐに真似したがるし、面白そうだなと思ったものには手を出す、そして流行りにも乗りたがる、、そう僕は影響を受けやすいのです。
このヒッチハイクも尊敬する先輩がやっているのを見て始めました。

ヒッチハイクの目的はその目的地に行くことではありません。それもありますが、ここでは大きなパラメーターを占めてはいないという意味です。本当の目的は人との会話。普段絶対に関わらないであろう人とお話をしたかったのです。今回も同世代の人に乗せてもらったのは2回ほどです。その他は全て他世代です。元航空自衛隊、バス会社の社長、ボランティア団体の方々、9月から店を開く自営業者、九州地方の番組『ドォーモ』のキャストと取材班、本当にたくさんの方々に知り合え、善を受けました。1つ1つお話をすると本当に1日話せます笑今度お話ししましょう。

今はやりたくてもできない。勇気ややる気が出ないなど、すぐ行動に移せる人は多いわけではないはずです。その分僕は後先を考えずに行動するのでそこで困ったことはありません。それが痣となって失敗することが多いのですが、、、
皆さんは知らないところ、まだ未知のところに飛び込むを躊躇って、いや怖くて行動に移せないのではないでしょうか。当然僕も初めは怖いですし、心配です。でもその最初の一歩を踏み出してしまえばいいのです。そしてあとはなるがままに従えばいいのです。世の中なるようになります。流れに身を任せればいいのです。

僕の好きな映画に『きっとうまくいく』という映画があります。その主人公が「aal iz well」とよく口ずさんでいました。意味はこの映画の題名と一緒です。きっとうまくいく。僕はそう自分に投げかけながら生活しています。どこにいっても結局最後はきっとうまくいく。1人でどうしようもない時はきっと誰かが助けてくれる。そう思っていれば気持ちも少しは楽になります。

さぁ今回の旅の目的地は鹿児島の桜島にあるゲストハウス『ムーン ガラムマサラ』に行くことでした。
まぁこれも先輩に教えてもらいました笑
ゲストハウスとは、バックパッカーやチャリダー、そして自分みたいなヒッチハイカーが泊まれる格安の宿です。(一般の方も泊まれますが旅人の比率が高い)
僕はそこに行って酒を飲みながらでも、ご飯を囲みながらでも、時には歌いながらでも色々な話を聞きたい、話したいと思っていました。
運がいいことに、僕が泊まった日はたくさんの旅人や旅行客、さらには外国人もたくさんいました。
次の日のことなんて考えずみんなで夜遅くまで語り合いました。お互いに旅というツールを使って話すことで、共感できる部分が多く、勉強になりました。僕と一緒に泊まった旅人も目上の方が多く、仕事を休んで旅をするなどと、すごい物好きな人が沢山いました。
やっぱり大人になっても、今のこの好奇心旺盛で遊び心のある気持ちだけは忘れたくないですし、もし僕に子供ができたらそんな子であって欲しいなぁと思ったりしました。

このようにヒッチハイクは車に乗せてくれる方々はもちろん、それ以外でも様々な方々と出会うことができます。しかもどれもが薄っぺらい関係ではなく、時に熱く語り、笑い、泣きながら感謝を言ってくれた人もいました。九州の24時間テレビにインタビューされテレビにも出ました笑
この旅を始める時はこんなにも豊かで面白い経験をするなんて思ってもいませんでした。
それを豊かに彩り面白くしてくれたのは僕に関わってくれた人たちです。ありがとうございました。

自分は今大学生です。人生の夏休みと言われてる中の夏休み。どう過ごそう。そう考えてみると僕の周りは行動力に長けている人たちが多いことに気づきました。自転車で日本一周を挑戦してる人、外国に行ってバックパッカーをする人、学校を休学して外国で生活する人など、いつも刺激を受けていました。僕も負けず嫌いな性格なのか、体がうずうずしてしまい、とりあえずでヒッチハイクを始めてみました。
よくやったなぁ自分なんて思ったことはありません。世界じゃもっと厳しい環境で頑張ってる人や、過酷な旅をしている人がいるのです。でもそのレベルに合わせる必要はなく、僕に合ったやり方で頑張りつつ楽しめればいいのです。

日本は黄金の国です。
マルコ・ポーロが言ってました。知らんけど
僕たちは今日、日本で暮らしています。僕は日本で生まれ、日本で育ちました。「四季があり、その季節を愛でるのは日本が一番強い」と乗せてもらった方に言われました。例えば、春は桜、夏は海、秋は紅葉、冬は雪、その季節の旬のものを食べる、四季折々の特徴を楽しんでるのも日本人の特有だと。
もう1つ言われたのは、その土地に訪れただけではその土地の文化は分からないということです。日本でさえも都道府県によって全く違う文化があるのは間違いないです。
それを知るためにはそこに滞在するしかないと。
僕はこのヒッチハイクで主に訪れたのは、広島とボランティアの際の熊本と鹿児島のみです。
それ以外は全て高速の上です笑
長くても2日程でその土地の観光場所に行くほどしかできませんでした。今回は広島と福岡そして鹿児島に滞在しました。僕は前回のヒッチハイクで全然お金を使わないでいました。しかしそれだとただヒッチハイクをしただけで終わってしまい、損をしているなと思いました。なので今回はお金なんて気にせず、その場所の特産物や観光名所にお金をかけてでも行こうと思いました。
少しだけお話しします。

広島では、広島風お好み焼と宮島のもみじ饅頭と穴子。そして宮島にある、日本三景の1つ弥山の眺めも見てきました。それはそれは素晴らしかったです。九州から瀬戸内海に浮かぶ島々、日本列島全てが見えました。360度全方向素晴らしい眺め。本当にいつまででも見てられる景色でした。
おまけに厳島神社も滞在時間が長かった為、干潮と満潮どちらも見れて満足でした。

続いて福岡。ここに滞在したわけは今年の7月上旬に大雨洪水の被害にあった朝倉市のボランティアに行ったからです。これが凄いことに、運良く夜中に福岡のPAで降ろしてもらい、寝床を探しているところ中年男性2人が晩酌をしていて「兄ちゃんヒッチハイカーけぇ?」と話しかけられたのがきっかけです。世の中うまくできてるなと、、、その方達はOPEN JAPANという石巻市で被災にあった人達が中心で集まったチームで、全国の被災地に必ずと言っていいほどボランティアをしています。それも被災地の前線で。そのような人達に僕は拾ってもらい、いい経験をしました。

被災地の現実。それは僕が想像しているよりも何倍も酷いもので、恐ろしいものでした。被災から1ヶ月近く経つのにまだ家に大木や瓦礫が手付かずであるところ、反対にもうボランティアなどで少しは生活が戻りつつあるところ、全壊で逆さまの車が家の中にあるようなところなのに、10m隣の家は無傷だったり。いかに自分達に伝えられていることが少ないか、あるいは隠されてるのか。非常にショッキングな事実がそこにはありました。それを伝えるのは直接現地に行った僕などの役目だとそう強く感じました。

最後に目的地である鹿児島。
先輩に教えてもらったゲストハウス『ムーン ガラムマサラ』があまりにも居心地が良く二日間も滞在してしまいました。やはりあちらの人々は穏やかな人が多く、余裕を持ち、半ば時間にルーズでした。それのせいか僕もゆったりと昼から酒を飲み、みんなで歌い、楽しく会話をしていたら時間があっという間に過ぎ長居してしまいました。

旅の記録ははこんなものでよろしいかなと。
僕が1番伝えたい出来事とそれを通して発信したいこと。それを最後書きます。

僕はこの旅で色んな人と出会い、様々な刺激を受けました。このように短期間でこんなに多い物語が生まれるのは滅多にないことですし、その反面、24時間1日の使い方は人によって増やせるし、これまでどれだけの時間を無駄にしてきたのかと痛感したりもしました。
時間の大切さ、人生は短いが長い。
一生で一度の人生精一杯に楽しむべきだと教えられました。

その中でも僕に大きな影響を与えてくれた1人の外国人と出会い、3日間共にしました。
その人はヨタン・ダム。
23歳の音楽学校に通っている日系イスラエル人で、僕と出会う3ヶ月前に一度日本でヒッチハイクをしていて、その際にお世話になった鳥取の農家、familyに会いに行く為にまた来ていました。
「日本が大好き。」そうヨタンは何度も僕に訴えかけて来ました。僕はその度嬉しく思い、世界から愛される日本を誇りに思えましたし、嬉しかったです。

ヨタンとは福岡の基山PAで出会いました。
いつも通り、本線に入る直前のPAの出口でヒッチハイクしていたら、同じ格好をした外国人がきました。彼は慣れない日本語で「あなたもハイカー?」と気さくに話しかけてきました。僕たちはその日友達になりました。

彼の右手には楽器がありました。尋ねると、これは前回ヒッチハイクした時に沖縄で買ったウクレレだと、嬉しそうにそのウクレレとの出会いを話してくれました。
それから僕達は2人でヒッチハイクを始めました。それも外国人は僕達日本人がヒッチハイクをするよりも、難しいからです。なぜなら外国人が絡んでいるヒッチハイクの事件が少なくないからです。沖縄でヒッチハイクををやめようと思ったのもその理由です。でもとてもファーストインパクトがよくいい奴だとわかった僕は、ヨタンが急いでいて時間がないと分かり、手伝ってあげることにしました。

やはり、2人だと難しく、1人ならいいよ〜と言ってくれる人が多かったです。でも、その際ヨタン自身がヒッチハイクをしたはずなのに、先に行っていいよと譲ってくれるのです。僕は本当に感銘を受けました。僕の中で外国人はエゴが強いなどそういう印象が強かったからです。
そして僕が乗らないなら自分も乗らないと、2人で行くことをヨタンも決めていました。

1つ進んだところで、ヨタンにある提案をしました。ウクレレを弾きながらヒッチハイクをしようと。それを聞いたヨタンは、嬉しそうに袋からウクレレを出し演奏してくれたのです。
歌ってくれたのは全てヨタンが作った歌。
僕も音楽が大好きなので、2人でノリノリになりながらヒッチハイクをしました。
こんなヒッチハイクの仕方は初めてだし1番辛いところを2人で楽しくできました。
ある意味ショーのような、パフォーマンスのような、見ている人たちも笑顔になるのが分かり、2人で踊り、歌っていました。

ある日、車通りの少ない高速道路に入ってしまい、オールでヒッチハイクをするつもりが、PAに車が2台ほどしかないところに辿り着き、これじゃ出来ないねと落ち込んでいました。
その時ヨタンは全く下を向かず、「また明日がある。朝になれば日も登ると同時に人も来るだろう。大丈夫だよ。」彼は全然焦りを見せず、どこか余裕があるのがはっきりわかりました。
万が一、僕がその時1人だったら挫折していたかもわかりません。でもヨタンが居て安心感に包まれ、救われました。
その夜はウクレレを聴きながら、乾杯し、葉巻を作ってくれたりと、充実した夜を過ごしました。

その時、ヨタンの鳥取の農家familyの話をたくさんしてくれました。そこではまだ僕でさえ経験したことのない色々なことを体験していました。
山に登って鹿を捕まえたり、竹を切ってそこから出る水を飲んだり、日本の文化に真摯に触れていました。もしかすると、僕よりも日本が大好きで愛しているのではないかと。無知な自分を、恥ずかしくも思いましたし、まだまだちっぽけだなと深く思い知らされました。

そんな感じで鳥取まで後少しのとこまで進み、別れの時期が近づいてきました。最後のPAでは5時間ほど捕まえられなかったですが、なぜか不安な気持ちなどなく楽しくやっていました。
でもヨタンが気にかけてくれて、
「僕はもう大丈夫だからトラック一人一人に話しかけて先に進みな」そう言ってくれました。
幸い乗っけてくれる人がすぐに見つかり、僕だけ行くことになりました。
最後に熱いハグをしました。その際僕は涙が出てきました。僕なんかよりもずっと優しく、おおらかに包んでくれて、最初は助けるつもりが、助けられていたのは自分でした。
ヨタンと過ごしたのは、三日程です。ですが3日で気づかされた、教えられたことはとてつもなく多いと思います。

今、世界はグローバル化になりつつあります。いやもうなっています。日本の観光名所に来る外国人観光客は、もしかしたら日本人よりも多いかもしれません。その際外国人観光客がその土地について調べて来るのは当たり前です。ここで質問です。

もし外国人観光客にその土地や観光名所などについて聞かれたらあなたは答えられますか。

僕は答えられません。
外国人からしたら、僕達日本人が日本の文化やその土地、観光名所のことは、当たり前のように知っていると思うはずです。
僕達が外国に行って、そこの人に話を聞こうと思うことと一緒だと思います。
日本の外交的なこと、世界から見た日本の立ち位置。それを理解する、知ることは日本人の義務だと僕は感じました。
昔、日本の植民地であった東南アジアの国々は、親日が多く日本人のことをリスペクトしています。
それは植民地である時に、日本の方々によくしてもらったからだそうです。僕を乗せてくれた人の中に、フィリピン人の方と付き合っていた人がいました。当時付き合っていた彼女はいつもこう言うらしいです
「なんで日本人はもっと胸を張らないんだ!あなたたち日本人は素晴らしい人だ!なんで世界にペコペコ頭を下げて、背中を丸めてるんだ!」と。
日本の歴史、今の日本ができるまでに、昔の日本人は何をしたのか。外国にどのように対応していたのか。それを、知ることは僕達の義務です。

まだまだ僕が知らない日本はあります。
日本に生まれたなら、日本のことについて知っているのは当たり前だと。そう考えさせられたいい旅でした。
だから、僕はもっと日本を回ってみたいと思ったし、直接足を運ばなければと思いました。
海外に行くこともいいと思います。でもそれよりも先に自分が生まれ育った国を知っておくべきだなと強く思いました。

まだまだ20歳。この旅を一生の趣味にし自分の人生を豊かに彩っていきたいです。