とあるキッカケで断捨離に踏み切りました。
急に何もかもが嫌になって捨ててしまうという話ではなく
ここ数年ずっとずっと燻っていた「手放す思い」に
ようやく向き合えた結果です。
なんとなく「いつかまた観る映像ソフト」や「いつかまた使う道具」として縛り付けていた存在
溜め込んでいたあれこれはコロナ禍以降ここ数年、ついに引き出す機会はありませんでした。
また、好きだけどもその価値が私のキャパシティを超えており
十分に能力を活かしてあげられない物ともお別れする決心がつきました。
好きなものが沢山あっても自分の身体は一つです。
お別れの方法は、次に観てくれる・使ってくれる人たちの元に旅立った物もあれば
その役目を終えて転生の機会へと向かった物もあります。
いずれにせよ私の元で能力を発揮できずに滞留していたものを解放しました。
物を手放したり入れ替えたりする再生の儀式は生きている上で必要(あるいは避けられない)出来事として今後も折り合って行くことになるでしょう。
日々暮らしていて「諸行無常」や「もののあはれ」を感覚的に理解している日本の社会で私たちは
所有していた何かを単なる物質以上の存在として考えているように思えます。
過去の解放と未来への再生
身近な自分語りから展開して話が壮大になりますが
伊勢神宮の式年遷宮は究極に洗練された神事なのだと改めて畏敬の念を抱いた次第です。
追記:ちなみに断捨離の総量は軽トラック2台分くらいだと思います。手放すだけではなく入れ替わるものもいくつかあったのは自分にとって面白い発見でした。