事の始まり

2021年7月13日午後7時頃、電話が鳴り、うわさが流れてきた。

 

電話中に、とある行事中で、私は「何もできない人」と言われていたことを聞き出した。

私はその行事には参加していないため、事実確認こそはしていないものの、充分にその言葉を言う可能性がある人物たちであることは認識している。

 

また、確認しようにも当人たちは嘘をつくのが一般的であろう。なぜならば、彼らに限らず人は表面上はいい人でありたいと思っているからである。

摩天楼

彼らには共通の特徴がある。それは「金と仕事」が絡むこと。もっと言えば、価値観がすべて「金と仕事」なのである。

 

実際、経済的自立、社会的自立などと言っている精神科医はいないだろうか?まさしく、「金と仕事」である。

 

つまり、精神科医が指摘するほど、日本国ではそれだけ重要視されているということだ。その価値観でいえば、私は「何もできない人」であることは確かだ。

迷走

しかし、「相手に何もできない人」であるのと、「自分に何もできない人」であるのでは、大きな差が生じる。

 

例えば、音楽など相手を癒せるのと、自分を癒せるのでは、相手を癒せるほうが仕事もあるし、収益もあるかもしれない。

 

しかし、自分を癒せるだけでは仕事でもないし、収益もない。ただし、これは自分を癒せるのであるから、対象を相手に変えればいいだけの話である。そうすれば、相手を癒せる可能性は充分にある。

夜明け

私のブログを読まれている方はご存じであると思うが、暗号資産のマイニングなど、比較的先進的な技術である依頼を無償で受けている事実がある。
 
また、暗号資産の別件の依頼では専用ハードウェアの設置も試みたことがある。
私を「何もできない人」という彼らにすれば「金にならない」の一言であろうが。
 

つまり、「何もできない人」と公言する人物は物事を表面しか見ていないということである。

 

 

 

参考になれば幸いです。