小学校での英語アシスタントの仕事。
前回もお話ししたように教育委員会からのお達しで、子供たちの前では一切日本語を話さないという決まりになっていました。
私が派遣された学校には英語専科の先生がいらっしゃって日本語で授業されていたので、私は先生との英語のデモンストレーションをするくらいでした。
ところが教育委員会の方針はあくまでも英語での授業を主体とする、でした。
専科がおらず担任の先生が授業しなければいけない学校では、アシスタントが主となって授業を進めます。
そのアシ先生がオールイングリッシュで授業をした場合、どうなるか…。
担任の先生が通訳できるようなら問題ないですよね。
ところが教育委員会は担任にも日本語を使わせないように、と私たちに指示していたのです。
研修で私の隣にいた人が、ボソッと、
そんなの無理だわ、全然現場をわかってない、
とつぶやきました。 この方はすでに経験者でした。
私もそうだろうな、と思いました。
幼稚園・保育園の子供たちと英語で一緒に遊ぶのなら大丈夫でしょう。
でも、小学校高学年相手に教科書に沿ってオールイングリッシュでというのは無謀すぎます。
文法も何も基礎的な知識がまったくないのに、英語の文章を聞いて理解できるわけがないです。
とある学校で、教育委員会の指示を守って1学期間オールイングリッシュで授業した専科先生がいらっしゃいました。
2学期からその学校へアシスタントとして派遣された私の友人から聞いたのですが、その熱意ある先生の授業は子供たちにまったく理解されず、「先生何言ってるかわかんない」「英語の授業つまんない」との声が上がり、保護者に伝わって学校に苦情が寄せられ、結局日本語で説明しなければ無理との判断になったそうです。
そりゃあそうでしょ(*´Д`)
赤ちゃんが育っていく中、毎日お母さんが日本語で話しかけますね。
その時、物や行動と言葉の音が重なって単語が意味あるものとして認識されていく。
最初は、まんま、ブーブー、わんわん、のように 単語で覚えていきます。
それが「まんまたべる」のような2語文になり、3語文に、
とどんどんしゃべれるようになっていきます。
母国語というのはこのプロセスを踏んで自然と身についていきますね。
もし、英語も日本語と同様に自然に身に付かせたいなら 日本語と英語を同じボリュームで聞かせないといけません。
たとえばお父さんが英語ネイティブ、お母さんが日本人で、 それぞれが母国語で話しかけていけば同時習得は可能でしょう。
もしくはインターナショナルスクールに通わせて、 学校では英語、家では日本語、これもいいでしょう。
実際、アジアでダントツ英語の上手な国フィリピンではそのようになっています。
なので高齢者を除けばほぼ全国民が母国語のタガログ語と英語を両方話せます。
他にもシンガポール、タイ、マレーシアなど、同様に英語を幼児期から平行して学ばせるので彼らはとても上手に英語を話します。
日本でもそれが真似できればいいのですが、これはまだまだ難しいですね。
もし、経済的にも地理的にも都合がついてインターナショナルスクールにお子さんを通わせられるなら素敵ですね。
私も実はそうしたかったですが、自宅から通えるところにはなく諦めました。
芸能人の二世がインターに通ってバイリンガルになっているのは本当にうらやましいです。
ただ、インターに通わせるなら、絶対に家庭内では日本語を話すべきと思います。
子供をインターに通わせていて、家でも母子で英語を使っているという人がいます。
これはよくないと私は思います。
近い将来日本を離れるのならいいですが、あくまでも日本人として生きていくなら、日本語を完全な母国語として習得させるべきです。
これはある言語学者の講義を聞いて学んだことなのですが、 人間は言語によって人格形成に大きな違いが生まれる、そうです。
その言語学者さんは奥さんがロシア人なので、息子さんは日本語とロシア語両方話せます。まだ小さいのですが、すでに日本語を話す時とロシア語を話す時では息子さん本人の感情の起伏が違うそうです。
日本人は日本でしか使われない日本語を話す、世界的に見ても特殊な環境下にいます。
そしてこの日本語がこれまたかなり特殊な言語なのだそうです。
日本語は、”あいうえお”だけ母音が独立していて、あとは子音+母音で音が作られています。
K(子音)+A(母音)=か
このK+Aの”か”という音を聞いた時に、KとAを分けて聞くことができているのです。
これは和音を聞いているのと同じです。
この和音を聞く力、これは日本人特有のものだそうです。
そのために、例えば鈴虫の鳴き声が外国人にとっては雑音としか聞こえないそうですが、日本人には風流なもの、と聞こえるのです。
この話、外国からのお客様にもしますが、 日本人が自然界の音にとても敏感で、しかもそれらを風流と感じる、ここから日本人の美意識が生まれている、 そして”わびさび”へと通じていく… と説明するのはとても難しいのですが、日本人の美意識ってそんなふうに出来上がっているのです。
そしてこの和音を聞き分ける能力、それがあるから逆にいろんなことを融合する力も日本人は持っているそうです。
例えば食。 外国から入ってきた料理を、日本人の口に合うようにアレンジしてしまいます。 その最たるものラーメン。
本場中国で食べられている物とはまったく違って、もう日本独自の料理として確立されていますね。
日本食として認知度NO1の天ぷらはポルトガルから来ているし、 家庭料理の定番カレーライスはもはや本場インドのカレーとは似て非なるものとなっています。
他にもフレンチ、イタリアン、様々な各国料理を本場で食べるより 日本で食べる方がおいしいと感じるのは私だけでしょうか?
文化の面でも日本人は”和する”ことが得意です。
個を大切にする西洋とは真逆に、日本人は”和する”ことが何より重要と考えます。
これはひとえに農耕民族であることに大きく起因していると言えますし(米を作るのには集団で協力しなければならない)、
日本は昔から自然災害が多いので、皆で協力して生きていかねばならなかったという背景もあるでしょう。 (東北の震災の時に、暴動も起こさず整然と並んで配給品を待つ日本人の姿が海外から称賛されましたね)
それらが要因して日本人の”和”の精神が形成されたのは間違いないと思いますが、先ほどの言語学者先生は日本語体系があるからあらゆるものを融合させる”日本語脳”が作られたと考えておられます。
言葉が先なのか精神形成が先なのか、にわとりの卵みたいですが、
私はどちらが先というより、両方相まって出来上がったのではないかなと思っています。
ともあれ、この”日本語脳”は本当に世界標準から見ても特殊だそうです。
せっかく日本として生まれたのだから、日本語脳を持つ方がいい、 そして日本人らしさを持ち続けていく方がいいと私は思います。
その言語学者先生は日本語脳を育てるために特に幼児期(0~6歳)に徹底的にきれいな日本語を教えるべき、と言っています。
先ほど申したように、日本語と英語、もしくは多言語を赤ちゃんの時から同時進行で身につけるのは個人的にはいいと思います。(反対意見も聞いたことありますよ。人格形成に支障が出るとか…。でも世の中国際結婚夫婦の子どもできちんとバイリンガルで立派に育っている人が多くいるので、私はその反対意見には賛同しませんが。)
話を初めの方に戻しますが、
幼児期に日本語のみで育った子どもに、小学校の高学年からいきなり英語オンリーで接したところで意味はないんです。
すでに日本語体系が出来上がっているのだから、文法からその違いをしっかり説明する必要はあるわけです。
現在の小学校では文法はまったく教えていません。
歌やチャンツを使ってフレーズを覚えさせ、英語を理解させるのではなく、英語を楽しませる、に重きを置いています。
これには賛否両論あるかと思います。
まず英語を好きになってもらうこと、これはもちろん大前提。
ただ、高学年ともなると、ある程度の文法、と言うより、文の組み立て方くらいは教わった方がいいんじゃないかな、 と私個人は思っています。
まだまだ日本の小学校での英語授業は始まったばかりなので、 今後いろいろ紆余曲折していくのかもしれませんね。
それにしても、”英語に親しませる”ことを主眼にしている小学校ですが、
成績をつけることには私は大反対です!
日本人がなぜいつまでたっても英語がまともにしゃべれないのか?
ほかのアジア諸国はペラペラしゃべるのに!
それはひとえに成績をつけることにあると思います。
間違ったら減点。減点されないように教科書通りに、先生から教わった通りに書く、話す。
そんなふうだから間違いを気にしちゃって話すことに身構えてしまう。
これだと思います。
英語が学校で”教科”である限り、日本人の英語力はなかなか向上しないんじゃないかな…。