読書  続 窓際のトットちゃん  黒柳徹子

 

1981年に出版された「窓ぎわのトットちゃん」を読んで、すぐに「続 窓ぎわのトットちゃん」(2023年出版)を借りて読んだ。1日で完走。まるでコミックブックを読んでいるかのようにあまりにも面白くてあっと言う間に終わってしまった。

一般的には、映画でも最初にヒットした作品を超えるような続編はなかなか無いが、こちらは、最初の「窓ぎわのトットちゃん」を上回る・もしくは同じくらい面白かった。もちろん最初の本と同じ場面が出てくるがその裏話や、その後の話も付け加えられている。続編では特に戦時中や、戦後すぐの彼女たちの生活、日本の様子(疎開先の青森や、東京空襲の話など)が詳細に描かれていた。そして、音楽家のお父様が無事にシベリアから帰ってきたのは感動した。当時は、女の子は職業婦人を選択するのは異例で、当時の親も女の子は専業主婦になるのが一番幸せだと信じていたが、黒柳徹子は自分が一番好きな道を選んだ。そして今に至る。彼女は今年で93歳になるそうだ。年齢に関わらず、今も第一線でTVで司会をされている自体に驚きだが、この「続 窓ぎわのトットちゃん」では、お医者様に「長生きをするにはどうしたら良いですか?」とか知り合いの芸能人に「私は100歳まで生きるの。」と言っていたらしい。だから、本当に黒柳徹子が100歳で司会をしている姿を見るのはありえるかもしれない。

大人になったトットちゃんでも、NHKでの沢山の失敗談を書いているが、それを受け止め、善処しようと努力する姿が素晴らしい。どんなに人気があった時でも、演技に自信がなかった彼女は複数の番組の契約を一旦打ち切り、ニューヨークに2年間演技指導を受けに渡米した。その詳細は、今回は書かれていないので、ぜひニューヨークでの生活も(もし書いてくれたら)読んでみたい。私も、ニューヨークが大好きで2回旅行したので興味深々だ。きっとまた、面白いエピソードがあったに違いない。想像しただけで笑みが溢れる。 

黒柳徹子の「窓ぎわのトットちゃん」を読んでとても元気が出たので感謝している。彼女の今までの経験が、TVの画面越しでも彼女の人間味溢れるプロフェッショナルな姿を感じられる。素敵な方だと思う。

読書 窓ぎわのトットちゃん 黒柳 徹子


1981年に出版されて以来世界中で読まれているベストセラーと聞いている。出版当時は子供向けだと思い、興味がなかったが、この年齢でやっと読んでみようと思った。


すると何と、私が大好きだった自由が丘が舞台だったので1ページ目から釘付けとなる。この本が出版された1981年は私が高校生卒業後、東京の語学学校に行くのに川崎の古アパートで姉と暮らし始め、学校は四谷だったがアルバイト先は東横線の自由が丘駅前ビルにあった英会話スクールに通い始めた年だった。当時の自由が丘は華やかで、おしゃれでちょっと品があって、でも歴史を感じられて自由が丘に住んでいた人達の人柄も温和で楽しい時代だった。

そこにあった昭和12年から20年までのたった8年間しか存在しなかったトモエ学園。黒柳徹子が最初の小学校を退学させられて、そのトモエ学園に転校して来たと思うと不思議ではあるが、あの自由が丘と言う街の雰囲気からすると受け入れたのも自然に感じられた。そこでのトットちゃんが起こしたエピソードや、経験したこと、知り合った友達は(今で言うフリースクールを選んで集まった子供達のようだ。) 大人になってもお付き合いは続いていたそうだ。 そして、トットちゃんの一つ一つの出来事があまりにも面白く、初めての友達との死別や可愛がっていたシェパードとの別れの時の彼女の気持ちが素直に描かれているので、今でも世界中の子供たちの心を掴んでいるのだろう。しかしながら、この本を書いた理由は、著者によるとトモエ学園の校長先生がお亡くなりになり、黒柳徹子が校長先生と約束をした「トモエ学園の先生になる」事が出来なかったのでせめてこの学園にはこんな素晴らしい先生がいたのだと言う事実を書き残し、天国の小林先生に捧げたかったと言う。そして、この小林先生は幼児や児童教育で「リトミック」と言う音楽を通じての心と体を健全に養う方法を外国で学び初めて日本に広めた第一人者。それに加えて、トットちゃんが転校して来た時の面接で彼女のとりとめのないお話を4時間も聞いて上げ、「今日からこの学校の生徒だよ!」と言って上げたと知り驚いたとともに、「なんと素晴らしい教育者だろうか。」と深く感動した。このトモエ学園には普通の学校に行けない障害を抱える子どもたちも沢山通っていて全体で50人位だったらしい。卒業生は当時の小林先生の教育理念のもと生き生きと育ち、大人になった時には芸術家、科学者、経営者、専門家等として有名な方々も多い。


てっきり、「窓ぎわのトットちゃん」は子供向けの本だと思ったら、実は大人向けで、親や教育指導者が読むべき作品だった。


ただ、楽しい事ばかりが書かれているわけではなく、子供が平和に暮らしている影で太平洋戦争が勃発し昭和20年終戦の年にトモエ学園がアメリカの爆撃に破壊されたと言う。


この本の最後ではトットちゃんが青森に疎開するところで終わっている。


今でも活躍している黒柳徹子の魅力はこのトモエ学園で大切に培われて来たのだなぁと感じる。


この次は、続 窓ぎわのトットちゃん を読む予定だ。




英語学習のヒント

7往復目完走

正しい答えを入れて読み上げる練習をしています。今回から、( )に一つか二つのアルファベットをわざと入れました。なぜなら日本語が同じでも英単では複数の単語があるからです。ヒントのアルファベットがあるだけで以前よりスラスラと正しい答えを入れて読み上げる事ができます。ただし、やっぱり苦手意識のある単語は不思議と何回やっても間違えたり、迷ったりしますね。このまま8回目に突入〜!!


読書 向田邦子全集 小説一 思い出トランプ


向田邦子さんの作品はテレビで45年前くらいに「寺内貫太郎一家」を観たぐらいで、本を読んだことが無かった。当時、飛行機事故でお亡くなりになった時にメディアを通してとても惜しまれるほど才能に溢れていたと知って以来、いつか読みたいと思っていた。図書館で全集を見つけたので読んでみようと思い、まずは小説一から始める。


この「思い出トランプ」は、短編小説で構成されていてどの作品も家族を舞台にしているが、ほのぼのとした話では全くない。むしろ普通の家族と言う一番近い人間関係の中で起きている、疑い、裏切り、妄想、それでも今の生活を守るための取り繕い、見て見ぬふり、理想と現実の乖離を描いている。パターンは似ていて、途中で主人公の回顧シーンが入り今起きている件と繋がる。そしてラストシーンでは主人公がどの着地点に収まったかは読者の想像に委ねられているので、なんともミステリアスでもあり、ホラーでもある。ひとつひとつが夫婦関係だったり、浮気相手だったり、兄弟だったり、舅姑だったり、実の父母だったりする。まとまっているように見えている家族でも実は、家族について何も知らない、でも体裁を整えるしかない様子がリアルに描かれていてとても面白かった。



読書 エッセイ 「安心したがる人々」 曽野綾子 

        「不思議の国のトットちゃん」 黒柳徹子

 

今回は、たまたま共通点のあるお二人のエッセイを読んでみた。個性がまるで異なるし、職業も違うがいくつかとても似ている点に驚いた。

曽野綾子は、作家で、キリスト教信者、日本で第二次世界大戦を経験し、シンガポールにも家を持ち東南アジアやアフリカにも取材や旅行に行きながら執筆をしていた。

黒柳徹子は、女優で、キリスト教徒、国内で第二次世界大戦を経験し、ユニセフの親善大使として1984年から東アジアやアフリカなどを訪れている。

 

曽野綾子の作品は人間の欲望、貧困などのテーマについて宗教的視点を絡めて考えさせられるとても深い内容の小説を書いている。

一方、黒柳徹子は、皆が知っている通り「窓ぎわのトットちゃん」(1987年出版)世界中で今でも読まれている。実は、私は読んだことがないので図書館で探していたが見つからなかった。でも、今日漸く借りることができたので楽しみにしている。

 

二人の共通点は、上記の通りだが、もう一つ感じたのは「エッセイ」ではあるが彼女達の話がとても面白い。 切り口は異なるが、文章が読み手を惹きつけて一気に最後のページまで連れて行ってくれる。曽野綾子は、2010年に出版したこのエッセイの中で当時の若者や、戦争を知らない大人達に向けて辛口なメッセージを書いた。この表題にもある通り、今どき「安心したがる人々」ばかりで、この世の中はどうなるのかと心配すらしている。なぜなら、戦争を体験した人たちはこの世の中に「安定した安心などあるわけがない。」と心底思っているからだ。政府すら信用していない。それが当たり前らしい。にもかかわらず現在の戦争を知らない世代の国民や政治家達は今の平穏な生活があたりまで、ずっと続くと思っているのが「安心したがっている」様に彼女には見えたらしい。特に、このエッセイ中で、東南アジアの国々の過去も現在も内戦や、外国の侵略により、長年困窮を強いられた人々の生活を書いている。全て彼女が実際に見た事実から現在の日本社会との比較を痛烈に伝えている。読んでいて、確か日本が考える人生、生活、命、社会に対する考え方がなんて甘いのだろう。と思わざるを得ない。そして、2010年の段階で、彼女は既に日本の良き「ものづくり技術」の衰退を懸念していた。今、日本は外交や、貿易、世界の不安定な状況により他国よりも、半導体、レアメタル、石油、IT技術、軍事諸々においてかなり遅れている。さらには、伝統的な文化技術ですら、AI の進出、少子化、物価高騰などなどにより継承ができなくなって来ていると聞く。この16年間日本政府、企業、我々は一体何をして来たのだろうか。

 

一方、黒柳徹子の「不思議の国のトットちゃん」は、お馴染みの突拍子でもない言動・行動で大笑いのエピソードが満載だ。全体的にほのぼのとしているが、ユニセフの親善大使として東アジア、アフリカと出かけた時に目にした国内の事情・貧困の中で我慢をし続けたり、犠牲になったりしている子供達、女性達の姿を生々しく書いている。特に、コンゴやシエラレオネの児童虐待や、犯罪による犠牲、政治利用されている子供達を知ると心が引き裂かれる思いだ。

それぞれの国の現在の状態をネットで調べてみたが、黒柳徹子のこのエッセイが出版された2005年の状態と対して変わっていないらしい。忘れられないのは、10歳の女の子がゲリラに侵され、その後も複数の知らない大人達に何年間も助け出されるまで、強要されていたという恐ろしい事実だ。そして、彼女だけでなく、数えられないほどの10代の女の子達が犠牲になっている。その上、彼女達は、習慣として幼い歳にFGM(女性正規切除)を受けなくてはいけない。手術は麻酔もないまま大人達に手足を抑えられ、手術中は途中で気絶をするのが普通らしい。最後は糸で縫い付け、結婚して出産する時にその糸を切り取る。子供を産むとすぐにまた、縫い閉じられる。なんて恐ろしい習慣だろうか。以前よりは、反対運動が功を奏して、状況はよくなっているかもしれないが、昔からの風習・文化・伝統は、どの国も完全にはなくなるわけではない。この場合、男性社会が根強いので今も、おそらく変わってはいないのではないだろうか。

そもそも、日本もそうだが、男女平等の権利を主張するにしても一人一人の考え方が、根本的には変わらないと実現は無理だとう思う。表面的に、組織のリーダーを女性に変え、役職の男女割合の調整や、雇用人数にバランスの平等、同額賃金をうたったところで、もし、今、日本が巻き込まれる戦争が起きた場合男女平等に徴兵を要求できる訳でもないだろう、そして真っ先に犠牲になるのは女性と子供達だ。

しかしながら、このお二人の力強いメッセージをエッセイとして読んだ後は、彼女達の生きざまそのものが、私のこれからの生き方の参考になって、励まされたような気がした。

 

読書  アガサ・クリスティー 3冊読んだ

    ①  アガサ・クリスティー自伝  上・下

    ②  スタイルズ荘の怪事件

 

アガサ・クリスティーの作品で、読んだり映画で観たりしたのは確か「ABC殺人事件」「オリエント急行の殺人」、「ナイルに死す」だったと思う。内容は覚えていないが、なんとなくオシャレで、そんなにグロテスクな場面はなく頭脳ゲームのようなストーリー展開だったような記憶があった。先日、図書館で彼女の自伝を見つけ、どんな女性がミステリー作品を書くに至ったかに興味を持ち、そしてそもそも自伝を読むのは好きなので借りて読んだ。

アガサは、1890~1965と85歳で亡くなっているが、彼女は第1次2次世界大戦をイギリスで経験し、19世紀後半というビクトリア朝時代の終わりを過ごしている。

ビクトリア朝時代と言えば、特に日本人の私たちがヨーロッパの華やかな文化の時代を想像するような時であり、アガサはそんな時代の中で幼少期を過ごす。彼女の家にはメイドも数人いて、美しい自然に囲まれ、愛する祖母、父母、兄、姉の愛を受けながら自由奔放に過ごしていた。小さな時から、頭の中でストーリーを描くのが得意で特に祖母からの彼女のそんな趣味に一緒に付き合ってくれた事より才能を更に磨くことができた。そして、結婚は2回することになるが両方の夫からも彼女の才能を認め、尊敬される。1番目の夫は残念ながら、彼の浮気で別れることになったが2番目の夫は、彼女より若く考古学者だった。彼女も、考古学に大変興味を持ち夫と一緒にエジプトや、イラクに発掘のためによく旅行に行っていた。そして、彼女の作品には砂漠を背景にした作品や、オリエント急行などを舞台にした作品があり、殺人の方法も薬物によるものが多いと感じる。こちらは、第1次2次世界大戦の時に、彼女自身が当時薬局で働いていた時に得た知識から発想したと考えられる。

彼女の自伝は75歳の時に書かれたものだが、10年後に他界する。この自伝の中にはすでに彼女の一生はとても幸せで、いつでも人生を締めくくる覚悟はできている。と言っている。執筆活動はこの「スタイルズ荘の怪事件」1920年が処女作で、他界するまで80編もの数を完成させた。そして、それぞれのヒット作の売り上げを愛する家族の一人一人に渡していたらしい。自伝を読み終えて、家族を愛し、自分の世界を大切にし、執筆をこよなく愛し、考古学への興味も夫を支えながら探求し、年齢に関係なく興味が途絶えることのないとても素敵な女性だった。

記念すべき彼女の処女作である「スタイルズ荘の怪事件」は、出版まで何度も出版社から送り返されて時間をかけて漸く発表されたという。この作品に初めて登場する「ポアロ」はベルギー人だが、第1次世界大戦の時にベルギーから多くのベルギー人がイギリスに避難してきた時にヒントを得たと言う。作品の中のポアロは、小太りで紳士ではあるが興奮すると両手を振りながら声を出して踊りまくるというコミカルな一面があり、憎めない「可愛らしいおじ様」として描かれているのが「殺人事件」と言う恐ろしい場面でも彼の存在を感じながら安心して読み進めるストーリーになっている。現代のミステリー作家の内容はもっと複雑で、精神的に読み手を追い詰める恐怖を体験できるようなプロットになっているかもしれないが(読んでないのでわかりませんが)、1920年と言う世界大恐慌の前に書かれた小説として考えると、当時は相当斬新で新しいタッチの文学であったろうと思う。1920年代と言えば、アメリカでは 「グレートギャツビー」で知られるフィッツジェラルドや、アーネストヘミングウェイなどが活躍し、日本では 芥川龍之介、川端康成、谷崎潤一郎、宮沢賢治、志賀直哉などが活躍していた時代になる。

第1次と2次世界大戦の合間にこんな文学の大きな躍進が世界中で起きていたとはなんと凄いことだろうか!

 

 

英語学習のヒント

本日5周目完走〜。しかしスラスラと言えないのでまたまた最初に戻り、新しい負荷をかけます。以前よりは少々スラスラ言えるようになりましたが、やっぱり苦手だと思う単語には何度も手こずりますね。でも、脳トレには役立っていると思います。特に、英語の小説を読んでいると準1級や1級の単語がバンバン出て来ますがすんなりその文章が頭に入った上で話の筋に沿っていると実感した時は、「やっぱり単語の暗記は重要だね!」って思います😊


本日、5月1日でEnglishコミュニケーションズは11年目に入りました🥰


いつも皆様には大変お世話になっております。大好きな仕事を生涯続けられて心から感謝しております。英語を教え始めて34年、スクールを始めて11年目に入りました。これからも受講してくださる方がいらっしゃる限り、楽しく進めて行きたいと思っております。

今後ともどうぞよろしくお願いします🙇‍♀️


Englishコミュニケーションズ

風間 小百合

読書  女の一生  モーパッサン 

 

自分が女性なので、時代は変わっても “女性の一生”で描かれている主人公のジャンヌの人生に現代の女性の一生を重ね、結局のところ大差がないように感じられる。

もちろん、一人として全く同じ経験をする人はいないと思うが、似た様な話はよく聞く。

大抵、10代から20代はじめまでは、女性は未来の恋愛相手や結婚に夢を描き、結婚式までちやほやされ、それまでの人生の中で一番明るく輝いている。そして、結婚生活が始まると同時に経験をしたことない苦労が始まる。みていた夢とのギャップに衝撃を受け、マリッジブルーになる。子供を作れば明るい未来が来ると信じ、子供を持つことに一心不乱になる。願い通りに授かっても、夫婦の問題が次々とおき、少々落ち着くと今度は子供の問題に悩まされる。そして、子が社会人になっても、子離れや親離れができずに問題が起き、子供は親のことなど気にしなくなっていく… 人たちもいる。母親は、自分の死が近くなっていると感じながら、疎遠の子供達に見捨てられたという寂しさを募らせながら最後を迎える。と言う話はよく聞く。

ただこのストーリーの最後には、彼女の息子はどんなに酷い性格と生活をした成り行きでできた赤ん坊でも、その赤ん坊を引き取って育てる事になり、この赤ん坊のおかげで主人公は最後の人生を明るく生きがいのある方向に向かったところで終わっている。

女性は何歳になっても、母性愛を失わず、常に家族のために自分を犠牲にするのが「生きがい」になるのだろう。

私は、まだ孫がいないのでよくわからないが、確かに母は私の息子の面倒をみていた時はとても張り切っていた。

この話はフランスの話ではあるが、国も時代も関係なく女性の一生はどこでも同じと言うことだ。

読書 怒り 著者  吉田 修一

 

とても読みやすくて一気に読める小説だった。最初は「推理小説」と思いきや、2つのストーリーラインで構成されていた。メインでは、ある殺人事件の犯人が、彼の犯した事件とは無関係な人間に殺され、警察が発見した時にはその事件の動機や真相は突き止められずに終わった。 犯人が警察から逃亡している中で、出会った人達は何人かいたが、最後にはまだ10代で表も裏も知らない真っ直ぐで、誠実な心を持つ高校生達と出会った。犯人が、最後に逃亡した土地は沖縄県。この男に興味をもった女の子と、同じ学校に通う地元の男の子は、この女の子が好きだった。その為に、一緒に事件に巻き込まれる。

メインストーリーは、現代の深刻でかつ解決しない問題の一つである、沖縄県内の米兵によるレイプ犯罪。 女の子は不幸にもその犠牲者となる。彼女を好いている地元高校生の男の子と少し離れた時間と場所の間で、彼女が米兵にレイプされる。男の子が現場に駆けつけた時には、既に米兵はいなかった。妊娠はしなかったが、女の子はその男の子に「絶対に誰にも言わないでほしい。警察にも通報しないでほしい。」と懇願する。男の子は、自分の不甲斐の無さに嘆き、唯一彼ができるのは彼女との約束を守る事だと考えた。その時すでに年上の犯人と仲良くなっており、まるで兄のように慕うようになっていた。しかも、犯人は彼女がレイプされた現場に偶然に通りかかったと言う。そして二人は、共通の苦しみを抱え、支え合っていた。そして、男の子は犯人の人間性も信じきっていた。しかし、ある事で、その犯人は表と裏が真逆の顔を持ち、女の子のレイプによる被害を面白おかしく楽しんでいたのを、犯人の残した落書きから知る。この出来事は、好きな彼女がレイプされた衝撃に続き、彼の尊厳の破壊、女の子への人権無視、彼が信じてきた正義を蔑ろにした。犯人の過去や、沖縄県に来た理由、彼の人間性を全く知らずに純粋に、そして素直に犯人の表面的な言葉と態度を疑わずに来ただけに、犯人の女の子に対する不誠実で、冷酷な感情が、「信じてきたからこそ湧き上がる復讐心」に燃え、犯人を「裏切り」「敵」として捉え殺さなくてはいけないと決心する。

犯人は、皮肉にも、結局本人が犯した事件と全く関係のない人間、(つまり、彼が犯した殺人事件の被害者家族や、警察とは関係のない)一人の高校生によって殺害された。

男の子は、警察に逮捕されるのはおそらく覚悟しての行動であったが、女の子と約束していた「レイプについての報告」はいっさいしなかった。しかし、女の子が自ら警察に「レイプ事件」について話した事でこの件については一応収まったものの、詳細は公にはわからないまま、米兵に対してもいつも通りうやむやのままで終わる。

彼女は、男の子に謝罪をするが、男の子は「君には関係のない事だから、忘れてほしい」と手紙にかく。

きっと、彼は、女の子を守りたい気持ちが当然あったのだろうが、それ以上に彼が信じていた人から裏切られ、自分が大切にしていた気持ちをズタズタにされた屈辱で、自分の尊厳を取り戻すためにも犯人を絶対に許せなかったのだろう。

 

この小説の面白い点は、サイドストーリーが存在していることだ。犯人には全く関係がない人達の人生も映し出している。

無関係ありながら、一般的にニュースを見ている我々も、それをきっかけに人間関係が変わることもあり得ると言うことだ。3つのパターンがこのメインストーリーと同時に展開していく。

 

一つ目は、父子家庭で育ち、人を信じられなくなった娘が、身元が分からなくても彼が唯一の彼女の理解者であると信じ男性と恋愛し、同棲をする。しかし、彼が身元を明かすことが無いことから、彼女と父は男性への不安が募り、事件の逃亡している犯人に似ていると思い込み、彼女自身から警察に通報する。結局、彼は事件とは無関係で、彼の過去も明らかになり元の鞘に収まる。

 

二つ目は、ゲイの恋人たち。パートナーには身元を打ち明けてほしいという欲求が出てくる。関係が深くなればなるほど、自然にその欲求は強くなる。が、いつまで経っても、パートナーは過去や身元について明かさない。それがきっかけで、そのパートナーへの不安と疑いを感じ、犯人の顔に似ているのではないかと妄想する。パートナーが突然いなくなった時には、「やっぱり逃亡者だったのだ。」と独りよがりに確信をしていたが、実はパートナーは心臓疾患を抱えながら生きてきた、そして突然路上で亡くなっていたと、パートナーと同じ孤児院にいた女友達から知らされ、そこで初めてパートナーの過去を知る。彼は知り合う前から病にかかっており、長くはなかったらしい。

 

三つ目は、捜索担当の刑事。 身元がわからない女性を愛するが、彼女から「身元を調べないでほしい。」と言われ続けていた。しかしプロポーズをする時に、「あなたの過去を調べたが私は全く気にしていないので、結婚してほしい。」と嘘を言ってしまった。彼女はショックを受け、彼の元を去った。

 

と、直接犯人には関係無いにも関わらず、我々の生活の中で、とても自然に起こり得る場面をサイドストーリーとして描いている。共通しているのは、人間は、関係が深くなる程、相手への思い込みを持ち始め、自分の想像している、または期待している相手が異なる事実を持っていたと知った時に「裏切られた。」とか、「急に敵に回す」。とかになりがちだ。自分のことを考えてみれば誰にでも踏み込んで欲しくないプライベートで繊細な面はあるはずなのに、非情にも、特に恋人や結婚相手になると余計に自分の知らない面を明らかにしてもらいたいと強く願い、それがボーダーラインだと勝手に考える。そして、力尽くでも自分が納得できるように調べようとし、相手を追い詰める。その結果、今まで培ってきた信頼関係が崩壊し2度と戻らない。と言うこともある。

大なり小なり、わたしたちは同じような経験をしているのではないだろうか。

 

と、この小説は多く分けて二つのメインストーリーとサイドストーリーの両方が同時進行していて、犯人が見つかった(殺されて見つかったが)時に同時に終了する。

登場人物のそれぞれの立場に自分を置き換えて考えられるので、読んだ後でも昔の自分を思い出し、あの時は私もそうだったかもしれないと苦い経験を振り返る。