野生動物の世界では、弱いものは強いものに征されてしまう。
弱い生き物は強い生き物に逆らうことはできないように思うが、
弱小の生き物でも群を成せば強い生き物を追い払うことや
倒すこともできるのです。
人間社会ではどうでしょうか?
学生たちの間ではいじめが絶えず、
それを放置する大人たちがいる。
弱いものは群を成すか、身を隠しひそかに生きるしか
ないのでしす。なぜ戦わないのだろうか?
世間では、何かあるたびにセクハラと騒ぐ傾向があるようですが、
セクハラが嫌だと言いながら、異性の目を引くようなおしゃれをして
出勤するのはなぜなのでしょう。
超イケメンのエリートから食事の誘いは
断らないが、おやじ臭のする上司からの食事の誘いは
セクハラだと騒ぎ立てるのはどうなのでしょうか?
成績や容姿の良い人たちの誘いは受けるけど、
そうでない人たちの誘いは当たり前のように断る。
この場合には見た目の悪さや業務成績の悪さから断られた
理由ではハラスメントにならないのが不思議です。
上司の誘いを断ることができないからと、何でもかんでも
セクシャルハラスメントにするのはおかしいのではないでしょうか、、、
上司との付き合いが上手にできてこそ信頼関係が生まれるのだと
思います。
例えば、営業の人たちで顧客からの食事の誘いに出席するのは
なぜなのでしょうか?答えは一つですね、本人の成績の為です。
でも、上司からの食事の誘いになるとセクハラになってしまうのです。
まず最初に、セクハラを受けるような隙を見せた人にも責任があるの
ではないでしょうか? ほとんどの人は自分の非を認めない、
もしくは、気付いていていないのです。
牙のない弱い立場の人間は、泣き叫び、
逃げ回るしかないのでしょうか?
それとも、訴えを起こして戦うしかないのでしょうか?
私自身も、正しい答えはわかりません。
ハラスメントを受けている人の周りの人たちは、ハラスメントを
受けている人が何故ハラスメントを受けているかの理由を
知っていると思うのです。
ギャーギャーと騒ぎ立てているのは、本人だけだったり
することもあるのではないでしょうか、、、?
私は、男女の区別をしますが人間はみんな平等だと思っています。
平等に接しますが、本人が弱者だと気が付いている人には、
接し方を変えることもあります。弱いものは強いものと対等に
戦えるわけがありません。自分を知ってこそ、そして、自分を
素直に表現ができてこそ社会に順応できると思うのです。
この世は弱肉強食です。食われたくなければ、
強くなり、食う側にならなければなりません。
美の存在が野獣の牙をさ萎えせてしまうのであれば、
それも一つの生きる知恵だと私は思うのです。
考え方次第でこの世は天国です。