鉛だって黄金に変えられる
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痙攣性発声障害 ちゅうしゃのはなし

声の異変から12~13年

千葉県の帝京大学を受診し、

初注射から9~10年なるかな。


はっきり覚えていない。

なんでなんだろう。



声帯へのボトックス注射



声帯の神経を一時的に麻痺させ機能させなくすること。

機能しないから逆に声が出せなくなる。

発声に力が入らなくなる。

これがいわゆる「注射の副作用」

副作用期間は人によりさまざまで、

2週間程度との情報はまったくあてにならない。


量にもよるだろうけど。


地方からの患者にはあまり足を運ばせないようにと

少し多めの量を打ったりする。


それは大きな間違いで、

副作用期間が長くなるだとか、

副作用の症状がひどいとか、

ただそれだけ。

結果、注射の効果がなくなった時期も含め1年のうち半年以上はまともに話せない。


しかし逆にとらえると、

発声障害患った患者が1年のうち半年(通算)はまともに話せている。


俺が当時気づいたことは

副作用が出ないくらいの極少量を2ヶ月間隔とかの短期間で定期的に打つ

ということ。

発声障害に向き合い、注射での対症を選ぶならそれがベスト。


しかし、声帯へのボトックスは保険適用外で高いし、

そんなになんども通院にお金かけてられない。

S.D.C.Pの皆さんが現在、一生懸命がんばってくれていますが。


副作用期間を我慢しつつ、一瞬だとしても取り戻せる自分自身の本来の声を喜ぶ。

それの繰り返し。

良いとか悪いとかではなく、

それが注射との付き合い方だと思う。



生きてりゃなにするにしてもメリット、デメリット両方あんのよ。

それをな、

デメリットばかりに囚われがちになってはいませんか?


自分の価値ってそーゆーとこからじゃない?


物理的に無理なことはあるけど、

それを超えるモン持ってるんだよ。みんな。



注射行く度に同じ患者達と会うようになって6年


いろんな人達がいて、

いろんな話を聞けて、

いろんな夢をみて、

絶望って言葉すら頭によぎらせてた自分を変えてくれた。


全国に散らばって存在する患者達に

俺ができることを俺なりにします。


すでに俺の中では病歴とか注射歴とかはもうどーでもいいのです。



だからもう

覚えてないんです。

痙攣性発声障害 患者達の心理

発症が小学生・中学生・高校生の頃の場合、

声色や発声のしかた真似されてバカにされたって患者が多い。

本人すら、なぜうまく発声できないのかわからないのに、

学校でそんな事されちゃーもう行きたくなくなるだろう。

本人にしてみればイジメのくくりに入るわな。


社会人になって生活していく上でも、

「声」が障害となっている人も多い。

いらっしゃいませが言えない、

電話の対応が困難、

コミュニケーションがとれない・・・



声うまく出ないから黙ってるってことって多い。

どーせ聞き取ってもらえないし。

声の届く範囲にしか喋らない。


でもそれって、

そーやって自分に沈黙を課してるんじゃないのかなーって。

元々、喋るの嫌いとか人見知りだから話さないとか、

そりゃそーだろうね。わかる。

自然でいーさ。



SDCPとしてmixiコミュに再び書き込みを始めた。

けど、

クソ2ちゃんねるには俺は書きませんので。

誰かさん、勘違いしないでねー。

誰か知らねーけど(笑)



自分が抱える声のこと真剣に悩もう

どーすりゃいいのか情報集めよう

それには同じ患者からの情報も大事だと思う

グチだけじゃなんも変わらんしね



なんとかしてーんなら

自分から動きましょうよ

って話し。





SDCP東北より。

田中美穂


鉛だって黄金に変えられる


↑去年も使った画像だけど、俺の宝物。 by蓮花 サンキュドキドキ



先日、声帯の筋肉切除手術から丸2年を迎えた。


声帯の筋肉にメスを入れるということ。

声帯の機能が一部損なわれるということ。

声量も音域も極端に下がるということ。

カラオケはもちろん、

歌番組やCDとかに合わせて歌うなんてできない。

遠い場所にいる人を呼ぶこともできない。


でも、もう詰まりはないよ!

会話ができるよ!

だから子供達と話せるよ!

電話も平気だよ!


未だ解明されない痙攣性発声障害


自分がどれだけ重度だったのか

あらためて思い知らされる。



鉛だって黄金に変えられる

発症から数年して知り合った現SDCP代表

田中美穂


年齢は俺よりちょっと上だけど(←書かなくていい情報? 笑)

友人。

ずーっと話してきた。

全国にいる患者達のいろんなこと。

注射→筋肉切除の流れも一緒。

基本、口悪くて、勝手で、自由。(←これも書かなくていい情報? 笑)

似たもの同士(笑)


二人の会話は三人・四人・五人~となり、

やがてSDCPという組織になった。

全国の悩める患者達に発信できた。


先日はジストニア友の会の方々と同席し、厚生労働大臣とも面会できた。

ころころ変わる大臣なんて信用できないけど、

その「行動」にウチラの意味があるんだと思うのね。


田中美穂に引っ張られてると考えるか、

患者達一人一人が積極的な交流だったり、病気との向き合いだったりしてることの

代表に田中美穂がいるんだと考えるか、、、

まかせます。。。




俺の声はこれで落ち着いたのかもしれない。

でも、まだ先があるのかもしれない。


末永く見守ってやってください(笑)



鉛だって黄金に変えられる
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