おはよう、ぼく。

空気がつめたい。
きょう、北海道から帰ったぼくは、
ねむい目をこすり、きみに電話をして、
おうちですこしねむってから、
いま、おでかけです。

なんだか、疲れましたあ。
帰り道ながかったなあ。
慣れたルートなのだけれども。

すごくすごく日々たのしくて、
毎日が本当にしあわせだったから、
それがするんと消えたいま、
すこし、ぽかんとしてしまう。

たぶん、これをからっぽというのだ。



指輪と、ストラップと、ストールと、
プリクラと、シガレットケースと、
ほかにもたくさんのモノやコトを、
共有して、たくさん与えあって、
ほんの何時間前まで、きみがいた。

なんだか夢みたいだなあ。
きみがここにいないなんて。

あんなに手をつないでいたのに、
なでて、キスをして、だきしめて、
隣でねむって、おはようをして、
あんなにあんなに、傍にいたのに。
いま、ぼくの隣には、いない。

昨日の飛行機のなか、なんども、
飛行機がとばなきゃいいと思った。
機体が走りだして、浮いた瞬間、
ぶわっと、なみだがとまらなくなって、
嗚咽をかんで、ひたすらに泣いた。

両隣のスーツのおじさまがたは、
それはそれは気まずそうに、
何も見ないふりをして下さった。
それをいいことに、ここぞとばかり、
苦しくなるくらい泣きました。

今でものこる髪のやわらかさとか、
わらったときのほっぺたとか、
手をつないだ指先のつめたさとか、
おもったら、また泣けてきました。
うう。電車のなかなのに。

まいにち電話をしていたから、
なんだかいつも傍にいるかんじで、
大丈夫でいられたのだけれども、
一度、傍にいたら、だめだ。

こんなにもきみが足りない。



ぼくは、ぜいたくものです。
おるはさんに、帰れてよかったねって、
もらったやさしいメールをみて、
飛行機とばなくてよかったのにって、
おへんじしたら、いわれたのです。

でも、いくらおるはさんだって、
すきなひとと離れるの、さみしいはず。
希望をいうだけならタダなのだから、
いいよね、と、おもう。

もっと一緒にいたかった。
ずっと一緒にいたかった。
ぼくは、きみの傍がいいです。
それ以上の希望は、みあたらない。
ただ、きみと並んでいたいです。

飛行機がとてもゆれて、こわくて、
泣いて目をぱんぱんに腫らしながら、
落ちちゃうのかなあとおもって、
どうせ落ちるのなら、早くと願った。

なるべくなら、きみの近くがよかった。
死にたいわけじゃあないけれども、
死ぬのなら、きみの傍がいい。

ぼくが望むのは、きみだけだ。
きみとの毎日。きみとの未来。
ずっと傍でおだやかに息をして、
きみの隣でぼくをおわりたい。
今のぼくには、それだけが希望。

そんなくだらないことを考えたときに、
こんなにも、きみをすきなのだと、
前からすきでたまらなかったくせに、
改めて、そんな自覚をしたのです。

自覚した瞬間に、かなしくなった。
きみのとこに帰りたくなった。



でも、そう、かなしいって、むかし、
「悲しい」だけじゃあなくて、
「愛しい」とも、書いたんだって。

いまが悲しいのは、きみが愛しいから。
胸のいたみは、愛情のあかし。
きみが愛しいから、いまが悲しい。

そうおもうと、なんとなくしあわせ。
つらいのは変わらないけれども、
このつらいのも、悪くないのだと、
自分をなぐさめられる気がします。

へたれの、精一杯のポジティブ。
ぼくはぜいたくもので、しあわせもの。



4泊、みじかかったなあ。
何泊したら満足するんだろうか。

また遊びにいくね。
また遊びにきてね。
ありがとう。


あいしてます。






では。