私の東京の友人で、シャンソン歌手であり、文筆家、大学の講師、等 多芸多才の宮淑子さんから寄せられた文を、許可を頂いたのでここにご紹介します。
宮 淑子のシャンソン観戦記(2011・1・8)
二〇一一年が明けた一月八日。岐阜県岐阜市にある岐阜県民ふれあい会館サラマンカホールで、中部フィルハーモニー交響楽団のニューイヤーコンサートが催された。と言っても、クラシックの集いではなく、「新春をシャンソンとウィンナーワルツとともに」という、粋なジョイントコンサートの催しである。
シャンソンの歌い手は、私のシャンソンの友であり、岐阜市在住シャンソン歌手の遠藤伸子さん。その一世一代の(?)晴れ舞台を応援に行こうと、正月を過ごした実家のある飯田市から名古屋に回り、岐阜に立ち寄った。
サラマンカホールは、JRの西岐阜駅からマイクロバスで十分ほどのところにある。のどかな田園風景が広がる一帯をバスが行くと、まもなく岐阜県庁の建物に出会い、やがて、銀色のステンドグラスが光る高層ビルに出会う。それが、収容人数七〇〇人の本格的なクラシックのコンサートホール、サラマンカホールであった。
当日は開演の一時間前から、ホールのロビーには人だかりができていた。中高年の女性と男性の群れであるが、おそらくはクラシックのファンではなくて、遠藤さんのファン、つまり、シャンソンファンの群れであろう。
ロビーからエスカレーターでホールに向かう。ホールの入り口にある三体の石造レリーフ(スペイン古都サラマンカ市にあるサラマンカ大聖堂を表現しているそう)が、荘厳さを漂わせる。ホールは、木材を多用したルネッサンス調の美しい内装で、正面に、日本初というスペイン様式のパイプオルガンが気高く聳え、高い天井にはシャンデリアが輝く。
私の席は一階の傾斜がついた後段だったから、ステージを見下ろす感じになったが、十分な奥行きがあるステージには、団員の椅子や譜面立てが所狭しと並んでいた。
譜面を見ながら、楽器(コントラバス)を奏でている団員の姿も見えた。最後の詰めをやっているのだろう。
開演五分前のブザーが鳴り、楽団員が次々に入場してきた。中央、指揮台の近くに座ったコンサートマスターの指揮で、楽器のチューニングが始まる。コンサートマスターは女性である。団員の顔ぶれも女性のほうが男性より多く、若々しい。
まもなく、下手から身軽な足取りで、ステップを踏むように、指揮者の海老原光さんが入場、式台に駆け上がった。チラシでは、前髪がかなり長髪の、若き「イケメン」指揮者の印象だったが、今日は髪をかなり短く刈り上げている。スリムでカッコイイ肉体だ。彼の指揮棒が降りると、重厚な音楽が鳴り始め、下手から黄色いドレスの裾を引きずって、遠藤伸子さんが歌いながら登場してきた。
「Quand il me prenddans ses bras, Il me parle tout bas Je vois la vie en rose」とフランス語で「バラ色の人生」を歌いながら……。にこやかな笑顔、柔らかで伸びやかな歌声は、いつもと少しも変わらない。
けれど、本番前のリハーサルでは、オーケストラとの音がまるで合わず、苦しんでいた、と夫の博甫さんから聞いていた。
無理もない。シャンソン歌手は、普段は、三十~四十人が入れば一杯となる小さなライブハウスで、ピアノ一本で歌うのを日常とする。また、シャンソンは「三分間のドラマ」と言われるように、朗々と歌い上げる部分と、語りの部分の構成でドラマをつくりあげるが、マイクを持った発声だから、クラシックの歌手のように、おのれの肉声の美しさや強さ、声量を競うものでは決してない。
それが、五十人もの編成のオーケストラをバックに歌うとなれば、声の出し方も、譜割りも(シャンソンにはルバートと言って、感情の趣くままに、音を伸ばしたり縮んだりさせて歌うことが多い)、日常とはまるで違ってくるに相違ない。
「譜面に忠実に、かつ、重奏音のつづれ織りになるオーケストラ」と、「三分間のドラマを綴るシャンソン」のジョイントはいかに……。それが私の一番の関心事であったが、当の遠藤さんは、初めてのオーケストラとの競演に、かなりナーバスになっていたようだ。暮れにもらったメールには、「オケとの初共演は、怖くて仕方がないです。顔に吹き出物ができてしまったほどです」とあったからだ。
でも本番は、遠藤さんはそれはそれはにこやかに、美しい笑顔を見せて、堂々と歌ってみせた。ときどき口を嘗めていたから、これは緊張のせいだということはわかったが……。
私のもうひとつの関心事は、こういう音のるつぼに囲まれた時、遠藤さんは何の楽器を基準にして歌うのだろうか、ということであった。彼女のステージの立ち位置が正面で、指揮者のすぐ横であったことから、指揮棒を見て歌うのかもしれない、とまず思った。
けれど、遠藤さんは指揮棒をほとんど見ていなかった。いつもの通り、彼女のペースで、いや、いつもより、歌にメリハリがついた感じで、「バラ色の人生」を歌い終えた。
「バラ色の人生」のあとは、遠藤さん得意の「百万本のバラ」となった。この曲で、おや、リズムがオーケストラと外れたかなと思った瞬間、すぐ指揮者の海老原さんが遠藤さんの方を見て、指揮棒を大きく振った。それも笑顔で……。なるほど、こうして遠藤さんを優しくフォローし、またリードしているのだということがわかった。
そう、この日、遠藤さんを支えたのは、若くて(37)、イケメンで、ちゃ目っ気があり、動作もきびきびしている指揮者、海老原光さんであった。
遠藤さんが「百万本のバラ」のあとの「ラストダンスは私に」で、歌の中の「彼」
に見立てて、海老原さんを誘うアクションを見せると、海老原さんもすかさず、その挑発に乗るアクションを見せるなど、「役柄」をユーモラスに演じてみせたから、会場がどっと湧いた。老練な指揮者だと、こうはいかないだろう。
ふたりのコンビネーションのよさは、歌の途中のMCで、遠藤さんが海老原さんの格好のいいお尻を褒めると、海老原さんがすかさず、「指揮者は、常に聴衆には後ろ姿を見せているから、頭のてっぺんからつま先まで、後ろ姿が気になるのです。前は楽団員の目に晒されるから、全身を晒しながら指揮をしているのです」と答え、聴衆を笑わせてくれたことからもわかった。好感度抜群の海老原さんに、聴衆はますます引き込まれていく。
それにしても、シャンソン歌手として、これだけのミュージシャンを背に歌える幸せはなかろう、と私は思いながら聞く。
シャンソン歌手は、たとえ大きなホールでリサイタルをしても、せいぜい、ミュージシャンはピアノ、べース、バイオリン、アコーディオン、ドラム、シンセサイザーのいずれかが、三~五人程度入る構成だ。
だが、オーケストラ編成だと、ピアノは入っていないが、ピアノが奏でるメロ
ディー部分は、大編成のバイオリン、ビオラなどが奏でるし、リズムはベースも奏でるが、ティンパニーやパーカッションの軽快で陽気な響きの刻みのほうが勝る。歌の語りの部分になると、歌い手にハープが寄り添い、快く甘やかな響きを奏でる。曲が盛り上がるところは、木管楽器、金管楽器が、重奏音を天に突き上げる。そのオケと、遠藤さんの伸びやかで、声量のある声がとてもマッチしていることを発見した。
また、小さなシャンソニエだと、遠藤さんが渾身で歌う「芝居仕立ての曲」は、ときに「臭さ」を感じさせるものだが、これだけの大きなステージ、ミュージシャンの編成だと、遠藤さんが芝居心をどんなにオーバーに見せても、どんな大きなアクションをしても、「臭さ」がない。
遠藤さんは、この日、黄色のドレスに黒の長い手袋をしていたが、手の仕草が黒の手袋で強調され、確実に「意味ある表現」をなしていた。また、ロングドレスの後ろは長い裾で、かなり底の高い靴を履いていたから、移動するにも転ばないよう注意が必要だったが、遠藤さんは右に左に舞台を自在に動き、お客の目を空間に移動させ、遊ばせ、楽しませてくれた。
つぎに披露された曲は、遠藤さんが敬愛するシャンソンの女王、エディット・ピアフの曲で、ピアフが愛する恋人、マルセル・セルダンを飛行機事故で失い、絶望の中で詞を書いた「愛の讃歌」と、晩年、セルダンの思い出を綴った「美しい恋物語」だった。
「愛の讃歌」は、岩谷時子さんの甘ったるい訳詞が付いた曲のほうが有名だが、原詞はピアフが生死を超えた愛を歌い、「愛のためなら、宝物を盗んだり、自分の国や友達を見捨ててもかまない」と、愛の独占的、排他的、背理的な内容も込めて歌ったものだ。ピアフの情念や魂がこもった曲だから、ピアフの生き方に傾倒しないと、歌い手はなかなか歌えないものだ。どちらの訳詞で歌うかで、歌い手のスタンスも異なってくる。遠藤さんはこの日、大衆に愛されている岩谷訳のほうを選んだ。確かに、シニア世代が多く居並んだ客席には、こちらの訳詞のほうが耳に懐かしく、心地よく響いたことだろう。
圧巻だったのは「美しい恋物語」。この曲は、叩きつけるような二拍子の前半と、
曲の主題が繰り返される後半の、柔らかに語りかけるような四拍子のフレーズでできており、ピアフの心の絶叫と本音のつぶやきとが、交互に表現される。このコントラストを、オーケストラの重奏的、かつ圧倒的サウンドが波のようにうねり、劇的な効果音となって、遠藤さんの歌を飾った。
次の「パダンパダン」では、またちょっとリズムが早くなった部分があり、海老原さんが遠藤さんの顔を見て指揮棒を振った。シャンソンには三拍子のリズムが多いが、日本人にはなかなか難しい三拍子である。
そして、遠藤さんの歌の真骨頂とも言えるオリジナル曲、「花子のバラード」と「生きる」へ入った。「花子のバラード」は、百年前のヨーロッパで舞台女優として活躍し、ロダンの彫刻のモデルになり、晩年は岐阜で過ごしたという実在の女性、花子を歌ったものだ。岐阜県民が誰でも知り、愛し、誇りにしている花子の歌は、「地の利」があるせいだろうか、東京のシャンソニエで聞くよりも、ずっとずっと親近感、共感を持って聞くことができた。
最後の曲、「生きる」の前のMCは、遠藤さんの歌人生、人となりを忍ばせる内容となった。生まれてまもなく父を亡くし、また十一歳で声楽家を試みた母を亡くすという逆境を乗り越え、結婚・子育て後の四十七歳で歌手デビューした遠藤さんは、亡き母の夢、ニューヨークのカーネギーホールでのリサイタル直前、喉にポリープができて声が出なくなり、手術を受けることになった。このとき、主治医からもらった曲が「生きる」だった……この説明に、すでに感銘した客席からは、ハンカチで涙を拭く姿が見られた。
やがてスタンドマイクが置かれ、手話を交えて遠藤さんが歌った「生きる」が流れた。「ひとは生まれ そして育ち やがて年追い 消えてゆく 誰もがみんな 与えられた人生を 精一杯に生きている」
「歌は、私の祈り」という遠藤さんの魂の叫びがこもった歌を聞きながら、聴衆のひとりである私も涙していた。
一部のアンコールは、エディット・ピアフが晩年に歌った「水に流して」。アンコールを歌うころには、遠藤さんは大役を終えた安堵感で、ほっとされていたのではなかろうか。
その後のアンコールで、舞台に何度も登場した遠藤さんは、流れる涙を手で覆っていた。「亡き母が傍らに居て、応援してくれていました」という遠藤さん。そう、亡き母堂は、娘の一世一代の晴れ姿を微笑みながら見ておられたことだろう。
一部がシャンソン、二部が中部フィルによるワルツ特集という組み合わせだったが、訪れた聴衆は、一部のシャンソンを聞いただけでもう満足だったに違いない。
加齢からデビューしたシャンソン歌手の若林ケンさんがよく言うセリフだが、「歌い手はお客を泣かせなければ駄目。泣かせてナンボのものだよ」と。
遠藤さん、たっぷり聴衆を泣かせた一時間、九曲の絶唱でしたね。四十七歳でデビューして、今年は二十周年目。その幸先よいスタートとなった中部フィルとのジョイントコンサート。大成功、おめでとうございます!