昨日

ワタナベ薫さんのブログを見て信用し

水素水事業に出資した方からのメールが届きました。

 

正確な額は言えませんが、軽く100万を超える額です。

この方以外にも大金を出資した方もいるそうですが

ワタナベさんが勧めたら私も多分お金があったら出資しちゃうかも・・・。

 

天下のアメブロオフィシャルの方々は

ガッチリ守られているので、泣き寝入りのようです・・・。

 

(水素水の件に関して、画像をクリックすると内容に飛べます)

 

子宮系も

委員長の49万円

設定変更の300万円等々

 

先日開催した「ラグジュアリー丸亀うどん会」は8人でしたが

そのうち数名は、

「教祖に出したお金を返して欲しい」

と仰ってたので、潜在的数はかなりいくのでは?と思います。

 

私の母は、宗教〜スピのフルコースを体験した人なので額は軽く億行くと思います。

いつだか、

辺見マリが「新興宗教に5億円使った。」と言う話を聞いて

 

「5億はいかんけど、億はいったなー現金で。。。」

 

って言うのを聞いて (=_=)エッ と、時間が止まりましたが

そうだよな、それぐらいは、、、いってるなぁ。。。絶対。

 

   切っ掛けは我々姉妹にもあったのですが

その話はここ⇒https://note.com/locolab/n/n5f3ab2454e69

 

地元の拝み屋さんに縋ります。観音様を信仰する所だったと思うのですが

 印の組み方や真言などを小学校低学年の頃に覚えさせられるのです。

 

 休みの日や、帰宅後、何かあればすぐ車に乗って連れて行かれ

 教祖にお伺いを立てて、お礼に数万円包みます。

 

 週に1回の時もあれば2回の時もあり、年に何度かあるイベントでは

 お金だけではなく、備品やお供え物なども用意します。

 私達が行き始めた時は、そんなに大きな組織ではなかったのですが

 1年と少しで信者が増えて、男性教祖が横柄になりだし、

 女性同士の派閥がややこしくだんだんと足が遠のきました。

 

 そこから離れて少しすると、私を育ててくれた

厳しくも強く優しい明治の女だった祖祖母が、子宮がんになります。

発見した時には既に末期。

「痛み苦しむのだけはないようにして欲しい」と願う母に

 取引先の社長夫人がある神道系の宗教を勧めてきました。

そこの教祖様はTVに出てたことがあり、

母もTVに出てる人なら~と、本部のある都市へと向かいます。

そこで、御払いや護摩木で祈願してもらうと、

祖祖母の容態は安定したそうで

余命3カ月が半年いきたのも、宗教の御陰だと、益々のめり込んで行きます。

 

 今は知りませんが、昔は芸能人や政界の人も多く来られて

 「有名人に会える」という気持ちもあったかもしれません。

丁度両親が立ち上げた会社も安定してきた頃で、

人事や業種の拡大等で悩みも増えた事もあり、

毎週のように新幹線に乗って本部へ向かいます。

私も妹も小学生で家に置いておけないという気持ちもあったのか

週末は家族で新幹線の食堂車で朝食を食べ

帰路の新幹線で夕食を食べる事がよくありました。

 

途中から

私は中学受験の為本部に行く事は無くなりましたが

両親と妹は夜9時10時に帰ってくるというそんな生活でした。

 

因みに護摩木は1本200円これを多い時は100本書きます

御払いは最初は2万円くらいだったと思います。

しかし教祖が、

「じゃ、家族全員守っておこうな」

とか言うと、家族全員のお祓いで8万は軽く飛びます。

 

年に何度かあるお祭りでは、食材や器具をほぼ両親が揃えます。

その祭りに参加する人は多い時で1000人は超えます。

本部の改築工事も、数百万は出しています。

そんなこんなで、

数年程で教祖の取り巻きの一員になるのです。

 

ここの教祖が、私を家から出すと不良になるからと

通える範囲でしか進学はさせてもらえませんでした。

大学の入学式、その日は本部のイベント。

母は、式の途中からイベントへ向かいました。

同じ高校から同じ大学へ上がった友人の母親が

私の事を気の毒に思ってくれたのか、

3人で食事に行く事になりました。

 

行きたい大学ではなく、やりたかった勉強ではなかったけれど、

友達にも恵まれ、楽しい4年間を過ごせました。

 

しかし、入学式の件は結構尾を引いてました。

 

神道系の宗教に13年近くいたのですから結構な額です。

離れた理由は色々ありますが、バブルが弾けた後、

立ち行かなくなった信者への冷たい仕打ちが

切っ掛けでした。

本部に年間何百万と寄進していた社長さんが

母に

「不渡り出してもて、もうあかん死ぬわ。

色々世話になりました。」

と、言うよな電話をかけて来たのです。

母は、

「お金は貸せないけれど

生活できるだけの食料や場所は確保するから生きましょう。」

と、自殺を思い止まらせて、

 

折り返し宗教本部の教祖に直接電話すると

 

「今まで数百万数千万出してるんだから、

こういう時こそ、助けてあげて下さい。」

言ったそうですが、

 

教祖は

「そんな事したら、みんな助けなあかんようになる。できん。」

と、言われ目が覚めたようです。

 

そこと決別した後、またもや人の紹介で仏教系にチェンジします。

そこは更に遠く名古屋でさらにそこから電車で乗り換えていくようなところです。

ここでは天台宗系のお寺でガッツリ修験道に目覚めて、

聖護院で得度式までして、坊主となるわけですが

ここは住職とりまきとの親密な関係に疑問をもって

けんか別れみたいな形で縁が切れます。

 

その後、体調不良から神戸のヒーラーを紹介され

スピの世界へと誘われます。もう20年も前に

バッチのレメディーや

ドリーンバーチュのエンジェルカードは発売された年には

我が家にあったと思います。

 

プレアデス出身の母と地球人の父は、

ラジオの周波数が違う様なもんだから相性が良い訳ない

 

と言われ引き剥がしにかかってきたのこの系統です。

 

余談ですが、うちの父と母は

家や立場がまったく違い、半分駆け落ちみたいな形で

万葉集の歌を交わしながら結ばれたのです。

 

母は乳がんになると益々スピにはまって行きます。

たまたま入院した病院で同じ病になった

ヤマギシズムの立ち上げメンバーだった娘さんとも仲良くなり

昔ハマった自然食にも足を突っ込んでいきます。

 

父と母との関係はますます悪化していきます。

 

父と別れる少し前には、

芦屋のマンションで神道系の拝み屋をしている人と

代々地元でユタみたいな事をしているおばあさんと

両方に嵌ります。

このおばあさんが、

「高野山と永平寺に行って先祖の供養をしろ」

と、言った事で、どん底を経験します。

 

因みに、高野山は、弘法大師を祖母が祀っていましたが

永平寺には全く縁はないのです。

 

父と別れる時に、会社の為にと半分騙され大口の預金を吸上げられて

手元にのこった僅かなお金も4年位で使い果たします。

私が結婚して、孫ができたくらいから地に足が着き始め

 

亡くなるまでの数年は、

老人大学の講師になり

寂びれ過疎化する地域に貢献する為に、

ボランティア活動に力を入れてました。

 

私がそもそも占いをする切っ掛けになったのも母でした。

 

本当に私は家を出たら不良になるんだろうか?

26までに結婚しないと一生結婚できないのだろうか?

 

人生の前半は教祖達と親に振り回されっぱなしだったのですが

 

結果家を飛び出る事で、結婚相手をみつけて

30越えて結婚しましたし、子供にも恵まれました。

 

宗教やスピリチュアルにハマる母とは 

非常に険悪な仲だった 自分が親になるまで 心の距離が遠い人でした。

乳がんが寛解し、落ち着いてきた数年後、胸骨に癌が発見されます。

無くなる2カ月前まで仕事をしていましたが

 ガンが脳に転移していたので夏休み前から入院していました。

脳の腫瘍も5センチを超えるものもあり、1つではなかったので

余命幾許もなく、そのままホスピスへと転院しました。

 

 亡くなる1週間前に ホスピスで

 家族だけのパーティーを する事になったのですが

 噂を聞きつけた人が あちこちから駆けつけて50人越えて

遠くは名古屋や大阪から駆けつけてくれた人達と 楽しい時間を過ごした。

 

脳の機能が低下して

 母も偶に変な事を言うけど 

まぁまぁ正気で、色々ハマるけれど人付き合いの良かった

母の人柄を知る事ができました。

 

みんなを見送ったあと

妹家族と一緒に後片付けをして

 ガランとした部屋で母が突然に

 

「ごめんな」と言い始めました。

 

私に「ごめんな」なんて、

お金が無くなって頭を下げられた時以来です。

 

「お父さんから守ってあげなくてゴメンな」 

 

 

私が高校生の頃、父は当時お付き合いがあった料理屋の女将さんの息子を

優先して会社にまで入社させていました。

私の進学や就職には全く興味がなく、

そもそも女は「家事と料理ができればいい」と言う考えで、

母は酒乱ですぐに手を上げる父に頸椎を怪我させられてから

次なにかあったら大きな手術をしなければいけなく

強く出られなかった経緯もあります。

 

ある日、取引先のお店で家族で食事をしていたのですが

父の気に障ったのか、酒入った父に正拳で殴られます。

(父も少林寺拳法をやっていた人です)

その日は運悪く、血小板の献血したばかりで、血が滝の様に落ち

お手拭きで止血するのですが間に合いません。救急車を呼ぼうとしてれましたが

お店に悪いし、体裁もよくないので飲み屋街の中にある 真夜中の病院へ走り

処置をしてもらいました。会社もあったので母は、父を守り

 

顔の腫れが引いて外へ出られるようになった頃

 

「私を守ってくれる人はこの家にはいない。」

 

と、私は家を出たのです。

 

母は、

 

「アホやったなぁ。

 いっぱいお金も時間もあったのに もっと子供に使えば良かった。

一緒に旅行にもいっぱい行けたのに、 ゴメンな。」

 

私と母が親子で行ったのは

私が子供を産む年の台湾旅行だけで

それも、食事以外は別行動だったし

略、預けられて仕事で家もいなかったし

親子で何かするという事がそもそもなかった関係でした。

 

「ごめんなごめんな」と縋るように謝るので

 

プライドが高くて人に謝る事など殆どしなかった母の

人生の終盤に見せる姿があまりにも哀れになり

 

「いいよもう。 今度は私の子供に生まれ変わって。

 そしたら一緒にいて、 可愛がってあげるから。

 また、親子になろうな。」

 

と言い、そう約束すると、

 

 「絶対やで、絶対やで ぜったい約束やで。」

 脳に転移したガンのせいか 子供みたいに 何回も言った後

親子で指切りをしました。

どちらが親で子供かわからない感じですが

あの時の指の感触は温かかったです。

 

車いすに乗って、中庭に出ると

すーっと風邪が吹いて秋の気配が感じられました。

 

母は少しうつむいてから、突然顔を突き出しながら

 「いや、やっぱり また私の子供で生まれて来て。

 今度は舐め回すぐらい可愛がって 守から。約束しよ。」 

 

もう一度指切りしなおした翌日から昏睡状態になりました。

最後の最後に母と向き合えた私は幸せでした。

 

人生は何が正解なのかはわかりませんが

一番身近な親子や夫婦、病気の問題に入り込んで

引き裂いて大金を巻き上げようとする輩が一番性質が悪のを見ています。

 

母が縋った教祖達が

家族として夫婦として

向き合う事が大事だよと言ってくれれば

今でも二人は元気に生きて、孫を抱いていてくれたかもしれません。

私も妹も、進学や結婚、仕事に関して自由に選ぶ事ができず

沢山のコンプレックスを抱えて20代30代を過ごしました。

 

宗教やスピにハマった当事者ではなく

その家族が非常に迷惑を被っているのです。

それは当事者が亡くなったあとも、

当然引きずる人はいるでしょう。

 

お金は稼げばなんとかなります。

なんとかならない額もあるでしょうが

貴重な時間と戻らない心を無駄にしない為にも

 

子宮系などの

「自分のやりたい事だけやればいい」

自分勝手な理論で周りを振り回す

スピリチュアルや心理学には気を付けて欲しいです。

 

もし、子宮系等に嵌った過去があり

心の中でわだかまりがあり言いたい事を吐き出したいのならば

1月にそう言う場を作りますので、是非ご参加下さい。