こんにちは。ご無沙汰しています。
今日は一緒に普遍的なテーマを考えましょう。
人間はどこまで他人に共感できるようになっているのでしょうか。
いろいろ考えて、私は3つのレベルに分かれると思いました。
① 浅いレベル
類似する体験が無い他者に対して、「大変ですね」と言ったり、理解しょうとしたりします。しかし、自分の中でどこかほっとすると思います。例えば、どこかでテロ攻撃やハリケーンの被害があることを聞いたら、もちろん悲しくはなりますが早く忘れてしまうでしょう。
② 近い体験を持つレベル
全く同じ体験ではなく、近い体験を持つ他者に対して、「よくわかります」、「かわいそう」、「大変ですね」という言葉を使うことが多くなるのではないでしょうか。しかし、そんな言葉をかけても、相手は「あなたには分からない」、「誰も分かってくれない」という返事するでしょう。いくら理解できると思っても、他者の痛みを自ら痛むことはできないでしょう。
③ 深いレベル
共に体験をしたグループ。他者に特別な気持ちで接して、深いところまで共感できるでしょう。共感の気持ちを見せ、相手と一緒に苦しさを乗り越えるパートナーになれると思います。
以上のように、状況や体験によって共感のレベルが変わるのでしょう。
実は私は今とても苦しいです。とても辛い体験がありました。
こんな時、イタリア人作家ディーノ・ブッツァーティの「タタール人の砂漠」という小説を思い出しました。軍隊生活を送る青年ジョヴァンニ・ドローゴは、輝かしいキャリアを作ることに夢中になっていました。ジョヴァンニが勤める砦には、「北の砂漠を越えて、いつかタタール人が攻め入ってくる」という昔からの言い伝えがありました。タタール人の襲撃を待つ中で、砦に住む人が様々なことで困ります。その時、ドローゴは周りの人に共感しながら軍隊生活を送りました。それでも、毎日何も起きず、やがてタタールと戦うことがドローゴの人生の意味になってしまいました。時間が流れ、ついにタタールが攻めて来た時、ドローゴは病に倒れていました。そして家に帰る途中、一人で死んでしまいました。結局、唯一の戦いは自分自身との闘いでした。
この作品の中で作者は人は孤独であることを強調します。私達は経験を共有できたら、相互理解でき、人間は一人ぼっちではなくなるのでしょうか?しかし、今の自分の苦しさを深いところまで、だれか理解できるのでしょうか。まだ分かり合えるとは思えないです。明るい結論は出せませんでしたが、じっくり腰を据えて仕事や勉強に取り掛かろうと思います。
因みに、最近完成させた刺繡です。このフラミンゴは共感できるかな?![]()
