前回の続きです。

 

何故日本のアニメでは「ロボット」は「友達」として描かれることが多いのか。

 

一例として、この背景に「神道」や日本的な「アニミズム」があるという考えがあります。例えば、Christopher Mims氏など、日本に関心のある外国人はそのように見る人が結構いるようです。

 

ですが正直、私はこの意見全然納得できません。そもそも、「何故日本(人)は~なのか」という問いに対して、「神道の影響だ」というのは循環論法だと思います。なぜなら、「神道」の具体的な教義なんて存在しないからです。

 

事実上、「神道」とは「日本人の宗教的心性」という程度の意味で使われているのが実情ではないでしょうか。例えば、日本人は先祖を神としてあがめ感謝するが、それは何故か。神道の影響である。と言っても、何の説得力もないでしょう。

 

同じように、「ロボット」を「友達」だと考えることもそれ自体が「日本的心性」の表現すなわち「神道」なのであって、何故そう考えるのかという問いの答えにはなりません。問われるべきは「神道」あるいは「日本的心性」そのものの原因であるはずです。あるいは、「神道」をもっと具体的に定義し「日本人の宗教的心性」以上の何かであると示す必要があるでしょう。

 

私の見解はこうです。日本人が「ロボット」さえも「友達」だと簡単に思えるのは、宗教観やアニミズムというよりもむしろ日本人は絶対的な「悪」である「敵」という概念を持っていないからである。つまり、日本人はロボットに限らず何に対してもどこかで「わかり合える」はず、だという考えをどこかに持っているということです。

 

これは歴史上外国との戦争や侵略を明治時代になるまで全くといっていいほど経験しなかったことに由来すると思います。さらに、第二次世界大戦時もアメリカに敗戦しながらアメリカは少なくとも建前上は日本の復興を支援し日本人に自己を「トモダチ」として認識させようと努力しました。そういう意味で、日本に対して絶対的な「悪」である「敵」として立ちはだかった存在は未だかつてないのです。

 

日本人は「白黒をはっきりつけたがらない」などとも言われますが、これもやはり誰かを「黒」と認定して徹底的に殲滅するということを躊躇するからのように思われます。

 

では、これに対して「ターミネーター」に見られるような西洋のロボット観の背景にはなにがあるのでしょうか。

 

次回はその点を考察します。