遅くなってごめんなさい。めっちゃ長いです。
「それで、どうなったの?」
「どうもこうもないよ……」
レッスン後、根掘り葉掘りふーちゃんに尋問されるのも慣れてきた頃。あの一件、こばにキスされてから、早一ヶ月。私たちの関係は所謂、人には言えない何か、に姿を変えていた。
こうしてふーちゃんに愚痴?を聞いて貰って、すっきりするのはその一瞬だけ。なんだかわからないもやもやを心のうちに秘めたまま、きっと明日も、私はこばに心をかき乱されることになる。
「しかし……ゆいぽんも、ヘタレだね」
「どこがへタレなの、涼しい顔して平気であんなことするんだから」
「でも、肝心なところでヘタレてるじゃん」
「……肝心なところって、」
何?、そう言葉を続けた瞬間、がらりと部室のドアが開いた。
「こ、こば……」
「……なに、その顔」
私が思わず椅子から立ち上がってぱくぱくと口を開くと、こばの表情がむすりと曇った。ああ、なんか機嫌悪いみたい。
「どうした、忘れ物でもした?」
「うん、上着忘れた。」
こういうとき、ふーちゃんは本当に上手い。先ほどまで、こばに聞かれたらマズイような話をしていたのにも関わらず全くそんな素振りを見せずに誤魔化すことができるのだから。
平然としているこばとふーちゃんに置いてけぼりにされたような気持ちで、私はゆっくりと椅子に座った。よかった、とりあえず話は聞かれてなかった。こばは忘れ物を取りに来ただけらしいし、なんてことはない。
そう思って一息つくと、つかつかつか。こばが私の目の前までやってくる。
「な、何?」
じっと見下ろされて、居心地が悪い。何か言われるのかと身を固めた瞬間、ぐいっと腕をつかまれて立たされた。
「えっ? ちょ、こば?」
そして、机の上においていた私のバッグを乱雑に掴んで、一言。
「帰るよ」
「ちょ、ちょっと…急にどうしたの?」
な、何?!いきなり!
ふーちゃんも止めてよ!藁をも縋る気持ちでふーちゃんを見ると、にっこり。
「お気をつけて〜」
ずりずり、引きずられるように部室から出て、やっと、手を離される。それから、無言で先を行くこばにしぶしぶついて歩いた。
「こば、」
後ろから恐る恐る名前を呼ぶと足を止め、くるりと振り返った。自分から呼んでおいてなんだけど、びくぅ、と思い切り体を強張らせてしまった。
「何」
「何って……。私、まだふーちゃんと話したいことあったんだけど」
「ふーん」
くるくる、毛先を弄る指先。あの一件からずっと、こばはこんな感じで、私にはいったい何を考えているのか全然わからない。怒ってるっていうか、ずっと不機嫌な感じがする。
「何、話してたの?」
「えっ」
「ふーちゃんと、何話してたの?」
じろり。訝しげな瞳に、あぁ、本当に何も聴こえてなかったんだなとどこかほっとしたのと同時に、これはまずい。私は、はぐらかすのが得意じゃない。
「べ、つに、こばには関係ないことだよ」
目をあわせられなくて、自然と視線が左右に動く。あぁ、もう。どくん、どくんと鳴る心臓が更に、私を追い詰める。こばがこんなことを聞いたり、こんな風に強引に連れ出したりすることなんて今までになくて。あの一件から、やっぱり私たちの関係はおかしくなった。
「……そっか」
小さく、諦めの色を浮かべた声が聞こえて、やっと顔をあげると、同時にするりと首筋に手が触れた。白くて、細くて、綺麗な指先。
「っ、!」
詰められた距離に息を呑む。そう、あの事件から、私たちの関係が大きく変わった。それは、
「こば.....」
首筋から、頬を撫でる指。そのまま、唇を親指でなぞられる。その動作に、私は拒否の言葉を吐くことすら出来ずに、硬直してしまう。
「ん、……」
その目に見つめられると、いとも簡単に唇を許してしまうのだ――。
そう、あれからこばは私と二人きりになるとキスをしてくるようになった。こういうことは、女の子同士ですることだ、とか。付き合ってない人としちゃいけないことだ、とか。拒否するための言葉ならたぶんいくらでも用意できる。それなのに拒否することができないのは、どうしてなのか。
結論から言ってしまえば、嫌じゃない、から。でも、何故、嫌じゃないのかがわからない。だって、私はこば以外の人とキスをした経験なんてないから、わかるはずもない。友達だから嫌じゃないのか、それとも――。頭の中に浮かんだことを振り払うように左右に首を振る。どうしたってひとりでは、結論は出せないから。
結局そうしてうだうだ時間を使うことがよくないことだとわかっていても。しっかり練習もこなして、何気ない日常に戻ったつもりでいても――胸のうちにあるもやもやは、どうしたって取れてはくれそうになかった。
「理佐、最近心ここにあらず、って感じだね」
屋上に吹く風は、汗を流した体には心地いい。休憩中に座り込んでため息をつくと、やっぱり、隣にやってくるのはふーちゃんで。
「……何、急に」
「練習にも身が入らないなんて、相当じゃん?」
なんとも返事を返すことができなかった。私はここ最近ずっと悩んでいる。その原因たるあの子は、いつもと変わらない態度を取っているんだからタチが悪い。私とこのまま変な関係でいていいと思ってるの、なんて。言えるはずもないから。
「ねぇ、理佐」
「ん?」
「気付いてる?」
ひっそりと耳打ちされて、ふーちゃんの顔を見ると、にやりと不敵に彼女は笑った。こういう笑顔を浮かべるときは、大抵面白がっているとき。
「ゆいぽん、ずっとこっち見てるよ」
どきっ、胸がきゅうに締め付けられたように高鳴る。恐る恐る、ふーちゃんの肩越しにこばを見ると、あの透き通った瞳が、不満げにこちらを見詰めているのがわかった。思わず息を呑むと、ふい、とその視線がそらされる。
「理佐、愛されてるじゃん」
「どうしたらそうなんの……」
「昨日だってラブラブだったじゃん? わざわざ理佐に会いに戻ったんだから」
「あのねえ、こばは忘れ物を取りに来てただけだから」
呆れてため息をつく。どうしてそんな呑気に笑ってられるの。
「ホント……何考えてるのかわかんないんだよね、」
「そんな難しく考えなくていいんだよ。私からすれば、十分わかりやすいよ、ゆいぽんは」
「そりゃ、ふーちゃんからしてみたら誰だってそうでしょう……」
でも、私にとってはわからない。どうしてあんなことするのか、なんであんな目で見るのか。あの日言ったこばの“好き”が、どういう意味なのか……私は測りかねている。
あれ以来、こばは何も言わないから。もし私が思うとおりの意味なら、そしてその答えを急かされてしまったら。正直、自分がどう答えるのか、まだわからないから。
レッスンが終わり、マネージャーさんとスタッフさんと話していたらいつの間にか皆帰ってしまっていた。早く着替えて帰ろうと思い、更衣室でいそいそと支度をしていく。
「理佐」
後ろから声が聞こえてビクッと体が跳ねた。声でこばだと分かった。しまった、気抜いてた。こばと二人きりになってしまっていた。これは、まずいんじゃない、変な汗が背を伝う。ブラウスのボタンを留めていた手が少し震える。
「な、どうしたの?」
どくん、どくん。心臓が高鳴る。まるで条件反射のように。
こばの足音が聞こえる。
震える指。早く着替えて、部室から出なきゃ。そう思った瞬間、あまりにも優しく後ろから抱きしめられた。
ひゅ、っと喉の奥が小さくなる。
「……理佐」
名前を呼ぶ声は弱々しく。抱きしめてくる腕も、振り払えば簡単に解けてしまいそうで。肩に額を当てられていた。それだけでビクッと、背筋が震えてしまう。
「理佐は、ふーちゃんが好きなの?……?」
「……え?」
何、それ。思わず振り返ると、緩く抱きしめられていた腕が解けて。正面から、そっと。肩を押されて壁に背中を押し付けられる。そこで、はっとした。まだ、ブラウスのボタンは2つほどしか留められていなくて。こばの視線が明らかに体に向けられる。何か、されるかもしれない。ふと頭に過ぎった想像に、急にがっと頭に血が上った。
「理佐……顔、まっか。」
指摘されて、ますます顔が熱くなるのがわかる。思わず顔を逸らすと、くすっとこばが笑ったのがわかって。え、何、今までずっと不機嫌で、あれからずっと笑ってもくれなかったくせに。こんなことで笑うの?
そう思ってると、また。こばの手が私の頬を撫でて。まるで愛おしいものをみるかのように、目を優しく細めるものだから。何も言えなくなってしまう。そうして、ほら。
「こば……」
触れる、唇。優しくて、体中がとろけてしまいそうで。ぺろり、唇を舐められる、それは口をあけて、の合図。だめだ、流されちゃいけない、そう思ってぎゅっと瞑っていた目をあける。
「っ…私、全然わかんないよ。こばの、考えてる、こと」
ぐ、と肩を押し返す。その力は弱々しくて、こばがびくともしないことも知っていて。だけど。
「どうしてこんなこと、するのか、とかも……わかんないの」
だから、教えて欲しいの。ちゃんと、もっと言葉にして、私にもわかるように教えてよ。吐き出すように言えば、こばの瞳が揺れた。
「……私だって、わかんない」
「な、に、それ、」
「どうして理佐、嫌がらないの」
「そ……そんなの、わかんないよ。こばが、こんなことするから、私は……」
一番、聞かれて困ることを聞いてくるこばの瞳は、怯えと、困惑と。そしてわずかな期待を湛えているようにも見えた。
「じゃあ……理佐は、誰にでもこんなこと許すの?」
なんで、そんなこと、言うの。そんなの、そんなの。
「誰とでも、こういうこと、出来るの?」
問いただす声と、私の腕を掴む手に力が篭ったのがわかった。それは――嫉妬?
「ねえ理佐、私……あのとき、ちゃんと、言ったよ」
「え……?」
「理佐が、全部悪いんだよ。理佐が、嫌じゃないっていうから、私は」
弱々しい声とは裏腹に、その手は私を離さない。その目はまっすぐに私を見つめてくる。その瞳は、きっとキス以上のことを求めていて。勘違いじゃない。現にその、白くて綺麗な手のひらが、腹部を辿ってブラウスの中に入ってくる。
「こばっ……恋人でもない人と、こういうことをするのは、絶対、よくないよ……!」
搾り出すように言った言葉。ぴたり、とその手が止まって。見上げた表情が……唇をかみ締めて、今にも泣き出しそうだったから。私はもう、何も言えなくなってしまって。
「ねえ、こば…どうしてそんな顔するのか、私、わからないよ……」
ふざけているわけじゃない。愛を囁くわけじゃない。このキスにはどんな意味があるのかなんて、わからない。もし、その意味を知ってしまったら、私はどうするんだろう。知りたくない、だけど知りたい。どうするのかなんて、わからない。だけど。
「……私だから……嫌じゃないって言ってよ……」
「え?」
小さな声が聞き取れず、私はこばを見上げることしかできない。ふと、指先が頬を撫でたと思ったら、こばが悲しげに笑った。ちゅ、と軽いキスが首筋に落ちる。
「こば……?」
「……ごめんね、理佐」
小さくそう呟いて、こばが私から離れた。そのまま、部屋を出て行く。ぱたり。閉じられたドアの音と同時に私はずるずると座り込んだ。
「もう、なんなのぉ……」
決して理由はいわないくせに。絶対に離そうとしないその手を、心地いいと感じてしまうほどまで、私は、きっと。
きっと、こばの事を好きになった。
触れた唇の柔らかさ、とか。絡み合った舌の熱さも。まるで獲物を狙う肉食獣のような瞳も。思い出すだけで私の心臓はぎゅうと縮まるように痛む。
あの日から。もやもや膨れていく感情の影に、わずかに期待が顔を覗かせて。2人きりのときだけ縮まる距離が私の胸を焦がした。たぶん、気付いていなかっただけで、本当はずっと胸の奥に潜んでいた。こばは、どうなのかな。私のことを、どう思ってるのかな。
あの日、私に言った“好き”が、どういう意味を持つのか――もし、私の気持ちとそれが同じなら、ふたりの関係は、これから――どうなるのだろう。
「理佐ぁ、いい加減呆れるよー。ほんっと、こじれすぎ!」
こばが好きだ、と自覚した私と、こばの関係はまた微妙に変化していた。今までよりも大きな亀裂を生んでしまったのだ。
「……どうして、急に何もしてこなくなったんだろ。私のこと、嫌いになったのかな……?」
あれから、こばは二人きりでいても、私にキスをしてこなくなった。寂しいような、もどかしいような。今まで、こばは私と二人きりになれば必ずと言っていいほどキスをしてきたのに、急にしてこなくなったんだから気になってしょーがない。
折角好きだって、気がついたのに。これじゃあ、何も言えないじゃない。
「それ、こばに直接聞いてみたら?」
「はぁっ!? そんなことっ、聞けるわけないでしょうが! そんなこと聞いたら、私がこばに、キスして欲しいみたいじゃん」
「……して欲しいんじゃないの?」
直球に投げかけられた意地悪な質問に、私はぐっと押し黙る。実際のところ、キスして欲しいなんてそんな理由でもやもやしているわけじゃないのに、言い返すことができない。
「理佐、もういっそのことゆいぽんに告白するっていうのはどう……」
「絶対無理」
「無理って言ってもねえ、理佐から言わなきゃ、このままずっと平行線だと思うよ。ゆいぽん、理佐に好きなんて言えないんじゃないかな」
「そもそも……私のこと、こばが好きだっていう確証なんてないのよ」
「そこは心配する必要ないじゃん。嫌いな相手にキスしたりしないって」
「そうかもしれないけど……」
結局のところ、本人に気持ちを聞かなければ何もわからないままだということぐらいわかっている。いつかは向き合わなきゃいけないんだから。
「しっかし、ゆいぽんもやるね。ヘタレだと思ってたけど、見直したわ」
「え?」
「理佐のこと、キスひとつで落とせるなんて」
よっぽど上手なんやね、なんて意地悪くふーちゃん笑うから。私は顔を真っ赤にするはめになった。
こばが私に何もしてこなくなったからと言って、やはり習慣というものがそう簡単に抜けるわけでもなく。練習が終わって2人きりのタイミングが出来ると何度かキスをされて。そして何食わぬ顔で帰る。そんな日々が続いていたから、今の生活に耐えられなくて。
「理佐、また明日」
「待って、こば」
勇気を出してそうこばを呼び止めた瞬間、部屋のドアノブを握っていたこばの肩が揺れた。ゆっくり振り向いたその表情は、少し困っているようだった。ごくりと息を飲んで、まっすぐこばを見つめる。今日は、今日こそは。こばの気持ち確かめたいと強く思う。
「……どうしたの?」
「こば。その、聞きたいことがあるんだけど」
「……なに?」
ドアから離れて、こばがこちらへ近づくと、一層どくどくと心臓が高鳴る。今まで意識したことがなかったのに、急に。好きと自覚してしまってから、こばに対する耐性が根こそぎ奪われたかのような気がしていた。だって。近づけば香るこばの柔らかくて甘い匂い、とか。透き通る声とか。その瞳の熱とか。
もっともっと私に、向いて欲しくて。欲張りが止まらない。気付いたときには好きになっていた。すごく、すごく。だから。このままじゃいやだから。
「こば、私のこと、嫌いになったわけじゃない、よね……?」
じっと、見つめる。傍まで来ていたこばの瞳が揺れた。欲しいの、こばが。こばに、好きって言って欲しいの。
「何、急に……」
「だって、こば、最近なんか変じゃない。私に、触ろうとしてこないし、私のこと、避けてない?」
キスだけじゃない。極端に触れ合うことを避けるようになった。いつも一緒にいたから、そのぐらいの変化、すぐにわかるのに。聞けば、こばは、ばつが悪そうな顔をして私から視線を逸らした。
「そんなことないよ」
「じゃあどうして……!」
キスしてくれないの、そう言いかけてぐっとこらえた。私はこばにキスして欲しいわけじゃなくって、いやしてほしいけど、でもその前に……恋人になりたい。
ねえ、こば、好きだよ。だから、こばも好きって言ってよ。
「理佐」
「……何」
「そんな顔されても、困る」
そんな顔って、どんな顔よ。そう言おうとした瞬間、こばの手のひらが頬に触れた。どくり、どくり。嫌でも高鳴る心臓に、ああ、本当に私はこの子に心を奪われたんだなと改めて自覚する。
「こば、」
「こういうことは、恋人同士じゃないとしちゃいけないって言ったの、理佐でしょう?」
親指が唇に触れる。くらくらする思考を奮い立たせて、まっすぐにこばの瞳を見つめた。そう、だから、私と、恋人に……。
言いかけた瞬間、するりと指先が離れた。ふいと視線を逸らされて、胸の奥が痛む。どうして、やめるの。どうして。
「勝手だけど……しばらくは、距離をおきたい」
「え? な、なんで?」
「頭、冷やしたいから」
冷やすって、どうして。おもむろに私から離れて、視線も合わせずに部屋から出ようとするこばを、私は止めることができなかった。ぱたり、静かにドアが閉じて、ひとり残される。
その日の帰りの足取りはいつになく、重かった。
結局、その後もこばは私を避け続けて?普通のメンバー、ただの友達。そういう風に落ち着いたのかもしれない。だけど私の中でこの感情は燻り続けて、ふいに感じるこばの匂いとか。指先とか。些細なことですら胸の奥がちりちりと痛かった。
ただ、時間だけが過ぎていく。
こばはヒドイ。あんなことをして、こばのこと好きにさせておいて、結局、私から逃げてしまった。私と向き合うことなく、遠くへ。
「あれ、理佐さん早いですね!」
ふいに声をかけられた。今日はたまたま早く着いてしまい、肘をついてぼーっとしていた私は視線をあげる。そこには、きらきらまぶしい笑顔が私の顔を覗き込んでいた。
「……保乃ちゃんか、なんか早く着いちゃった」
「珍しいですね。そういえば、最近はゆいぽんさんと一緒にいないですよね。」
「……保乃ちゃんには関係ないよ」
「そうですねぇ。でも、最近までずっとべったりだったのに、急に余所余所しくなってるので気になっちゃって。」
まるで楽しんでますっていう風に細められた目を見るとああ、もう。揃いも揃ってふーちゃんも保乃ちゃんも、意地が悪いな。
「あっ、そうだ。保乃のビブス知りません?」
「あー、なんかスタッフさんが忘れ物入れに入れてたよ。その上にあるダンボールのやつ。」
「んーと、あ、あれですか?」
「そうそう。私が取るよ。」
対して身長は変わらないけど私の方が少し高いから、パイプ椅子を引っ張って、その上に乗り、うーんと手を伸ばす。ダンボールはぎりぎりのところで指先に引っかかった。それでも少し高さが足りないせいか、下ろすことができない。
一層うんと背伸びした瞬間だった。
あ。
ぐらり、揺れる足元。引っかかって落ちてくるダンボール。
「ちょ、っ理佐さん!」
スローモーションになる映像。ああ、この感覚、どこかで。そうだ、あのとき、初めてこばと、キスしたときも、こんな感じだった。
「っわぁ!!!」
なーんて、毎回そんな甘い展開が待っているわけもなく。盛大に椅子から落ちた私を正面から抱きかかえてキャッチしてくれた保乃ちゃんはそのまま後ろに尻餅をついた。
「ったた……理佐さん、大丈夫ですか……?」
大丈夫、そういいかけた瞬間。ふと、嫌な予感がした。大抵、こういう展開があった後には、お約束のパターンと相場は決まっているんでしょ。わかってるよ!
ガチャ。
ほーら、やっぱり。たらりと冷や汗が背筋を這う。誰、誰なの。音が出るほどぎこちなく、振り返った先には、今一番会いたくないセンター分けの彼女が立ちすくんでいた――。
その瞳は一瞬、見開かれて。そうだよね、保乃ちゃん膝の上に乗って、抱き合ってるように見えるもん。この体勢じゃ……。椅子から落っこちたせいか、カーディガンがずれて肩まで見えていて、これじゃもう弁解の仕様がない。
「……なに、してるの」
第一声はこばだった。その瞳に一瞬影が差し、強く睨みつけられる。な、何。なんでそんな顔するの。あのね、と言いかけたところで、ぐっと。背中に回っていた手が腰に移動して体を強く引き寄せた。
「うぁ!」
体勢が揺らいで、保乃ちゃんの胸元にぱふりと抱きとめられる。ふわりと保乃ちゃんやわらかい香りがした。
「まずいところ見られましたね。どうしますか、理佐さん?」
そう言って私の顔を覗き込む。まっすぐ顔を見つめてくる保乃ちゃんの瞳は――笑っていた。
「ほ、保乃ちゃんっ」
こういう冗談は通じないの、こばはっ!確かに、こばは今更私が誰とどうなろうが関係ないのかもしれないけど――、と思った瞬間、ぐっと腕をつかまれて、力任せに引っ張り上げられる。
「い、っ」
強引に保乃ちゃんから引き剥がされてじろりと保乃ちゃんを睨みつける。何でそんな顔してるのよっ!
保乃ちゃんはふふっと柔らかく笑っているけれど、こばの目、マジなんですけどどうしてそんな余裕で居られるわけ?保乃ちゃんのバカ、保乃ちゃんは遊びのつもりでも、全然笑えないからっ!
「……保乃」
「はい?」
「私たち、今日、練習休むから」
そう短く告げると、ぐいぐいと腕を引っ張られて、私は強制連行される。バンッと強く部室のドアを閉めたこばの横顔は、今まで見たことがないくらい強い感情を露にしていた。
「い、痛い、こばっ」
腕を掴む力は強く、あの日のことを思い出させた。どうして怒ってるの、こば。最近までずっと、こばのこと、避けてたのに――。
「ちゃんと歩くから、そんなに強く掴まないで。こば、練習休むって、どこ行くつもり?」
「家」
「え?」
「私の、家」
小さく振り返った瞳は揺れていて。どうして、とか。なんで。とか。そんな言葉を投げかける余裕すらなくて。
「いいよね?」
だから――まるで拒否を許さないその物言いに、私は素直に頷くことしかできなかった。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します🙇♀️
また、続き投稿します!