毎月旅行をしていますが、6月、7月は、近場で一泊としました。6月は梅雨に入り、天候が思わしくないため、旅行が楽しめなくなる可能性があるからです。6月は、先日9,10日に、毎年宿泊すると決めている妙義グリーンホテルに向かいました。部屋からも、日本三大奇景の一つとして知られる、荒々しい山容の妙義山が見られ、朝食時には、11階の会場で、妙義山の展望を楽しめる(いや、心の癒しになると言うべきか)からです。夕食はバイキング形式で、牛肉と豚肉のしゃぶしゃぶ(食べ放題)で、お寿司も同じく食べ放題(大好物のマグロの握りずしも中トロです。アルコール類ももちろん飲み放題です(嬉しいのは、ビールジョッキもきんきんに冷やされていることです)。僕は、美食家では全然ないので、大いに満足しています。ホテルの従業員の応対もとてもいいです。隣にゴルフ場があるので、ゴルフパックも用意され、非常に良心的な価格で利用できます(残念ながら、僕はゴルフができないので利用できません)。1年に一回、こうして宿泊だけを目的とするのもいいものです。とはいっても、チェックインまで時間の余裕があるので、必ずその前に富岡市(世界遺産「富岡製糸場」がある)にある群馬県立自然史博物館を訪れることにしています。ここも、僕のような古生物学、地質学に関心のある者には、素晴らしい施設です。このところ、古生物学の学びがおろそかになっていたので、目は疲れましたが、知識を深められました。展示物を説明する女性ガイドスタッフも何人もいるのも博物館のポリシーの高さを感じさせます。ブナ林の大規模なジオラマも国内屈指ということで、特筆に値します。
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式子内親王が、さまざまな鳥について、多くの歌を詠み、鳥全般が好きだったと気が付いたのは、比較的最近のことだ。三度すべて読み通した時でさえも思い至らなかったから、つくづく自分の迂闊さを思い知らされる。
よくよく考えてみれば恋の部の後には、A、B百首のように、ふつう雑の部が続くのであるが、晩年の作である「正治百首」では、「旅」「山家」「鳥」「祝」が五首づつ続いている。最後に祝歌が置かれるには通常であるが、その前の3つの題は、近づく死を予感していた式子にとって、最後に是非とも取り上げたい大切なテーマだったのであろう。
「ながむれば」という詞を初句だけでも12例あることからもよくわかるように、式子内親王は、軒先で、空を眺めることがしばしばだったに相違ない。大空を自由に飛ぶ鳥は、当然、内親王の気を引いたし、その鳴き声は、想像力を大いにかき立てただろう。また、渡り鳥は、季節ごとに変わるから、季節の巡りを知らせてくれる意味でも、室内で過ごすことの多かった内親王にとっては、樹木や花と同様、大切な存在であったに違いない。
鳥は、式子にとって人間よりも親しく「交流」できる存在であったかもしれない。生き物との一体感が強く表われている和歌が少なくないが、鳥の中でもとりわけ、ほととぎすには、最も愛着の念を示して、かけがいのないと言っても良い存在で、別格的な地位にあった。初夏に遠くからやってくる旧友のような存在であり、五月に咲く花橘の枝にとまる「昔を忘れぬ」、懐旧の象徴的存在であり、万葉集(156首詠まれ、鶯の約3倍)の頃から盛んに和歌に詠まれた、和歌でも重要な存在だった。しかし僕は、初めて賀茂祭に斎王として出る暁方に、この鳥が鳴くのを聴いたことがけっして忘れられない思い出として、ほととぎすをこよなく愛着した最大の理由と考えている。まず、その回想の和歌を読解していこう。式子内親王の秀歌の中でも、とりわけ抜きんでた出来栄えであり、後で紹介するが、新古今集歌人のついて鋭い論考を著している現代前衛短歌の旗手、塚本邦雄氏(故人)も激賞している作品である。
郭公(ほととぎす) その神山(かみやま)の 旅枕 ほのかたらひし 空ぞ忘れぬ
《歌意》ほととぎすよ、その昔、賀茂の神山で旅寝をした時に、ほのかに鳴いた空の思い出を決して忘れない
・神山 上賀茂神社の後方にある円錐形の山で、神社の御神体。なお現在「こうやま」と称する。
・かたらひし ほととぎすが鳴くことを「かたらふ」と擬人的に表現するのは慣用だった。
新古今集(雑上・1486)に詞書として「斎院(いつき)の昔を思ひ出でて」とある。賀茂祭の前日を神山にある神館(かんだち、仮屋)で、潔斎のため一夜を過ごしたことを「旅枕」と詠み、おそらく緊張して眠れずに暁方を迎えた時に、ほととぎすが鳴いたことを追想している。
この歌に初めて接したとき、「ほのかたらひし」という言葉が印象的で、僕は、式子内親王が「ほの」と同義である「ほのかに」という詞をしばしば用いるので、これも式子の独創的な詞かな、と思っていたが、実は『源氏物語』「花散里」巻に、光源氏が、たまたま、昔付き合った女に宛てて詠んだ歌の中に出てくる。
をち返り えぞ忍ばれぬ ほととぎす ほの語らひし 宿の垣根に
《歌意》昔ちょっと尋ねた宿の垣根に、ほととぎすがきて、恋しさに耐えかねて鳴いたよ
内親王が、『源氏物語』を愛読していたことは無論であるが、物語中の歌を本歌[本説]とすることもかなり多いので、この歌を踏まえて詠んだものと思って間違いないと思う。源氏の歌では、ほととぎすは、恋心に耐えかねて鳴いたという恋歌の文脈で詠まれているが、内親王の歌では、ほととぎすが夜が明ける曙のころにほのかに鳴いたと、回想の歌に大きく変えることで、より詩的感興が深まっているように僕には感じられる。恋歌を抒情歌に変えることは本歌取りのきまりともいえる。
沓掛良彦氏は、「ほの語らひし」の主語がほととぎすであると同時に、「それに心を重ね合わせた若き日の式子自身でもあったとの考えを、捨てきれないのである」(*)という傾聴に値する感想をもらしている。僕もこの鑑賞に全く同感である。この歌は、結句の「空ぞ忘れぬ」が眼目であるが、この歌を我々の琴線にふれる抒情歌にさせているのはこの「ほの語らひし」の措辞で、源氏歌には感じられないものである。どうしてそう言えるかというと、沓掛氏が述べるように「『ほの語らひし』という表現によって、作者とほととぎすとの間に一種の交感のように存在したことが感じられるのである」(*)。まさに卓見と言ってよいだろう。これから僕が述べたいと望んでいることを言われてしまったという気になる。
思い出は美しい、とよく言われるが、まさに、良き昔日を回想した歌で、斎院を退下後、内親王に不幸が相次いだことを思い起こすとなおさら、この美しい調べがより深く味わえる。「その神(かみ)」(その昔)と「神(かみ)山」の巧みな掛詞、句頭の「ほ」と「そ」(いずれも[o]音)の反復ともの柔らかい響きによる、式子の歌の特長である流麗な調べにも注目したい。なお、「旅枕」は新古今時代から使われた清新な詞で、式子だけでなく、定家も多く詠んだ詞だそうである。
塚本邦雄氏は、この和歌を「空前絶後の名歌」とし、実作者らしい、音感にこだわった評言をしている。
この歌の場合には、初句の体言切れと、最後の「ぬ」とが実に美しく呼び合っています。それから計算の他だろうと思いますが、「ほととぎす」の「ほ」、「そのかみ山」の「そ」、「ほの語らひし」の「ほ」が「ほ・そ・た・ほ・そ」にリズミカルに繰り返されています。たくらんでやれることではなく、結果的にこうしたほのかな、しかもふくよかでたおやかな頭韻が生まれるのは、天性の詩人である所以だと思います。余談ですが、『新古今和歌集』のどの注釈本にも、この頭韻については触れてありません。これが他の音でしたら、これほど美しい印象は受けない筈です。
「式子内親王と当代歌人」(『新古今新考―断崖の美学―』(花曜社)139頁
* 沓掛良彦著『式子内親王私抄―清冽・ほのかな美の世界』(ミネルヴァ書房 2011)110頁























