今日チナリィは学校を休んだ。
行ってきます!と出ていき、家に戻り、また学校に向かい、帰ってきた。
暗い表情での帰宅だった。
学校にはなんて伝える?
そんな打ち合わせをしているうちに、
学校から電話が入った。
先生には正直に朝の出来事を話し、
自分軸と他人軸の話をした。
我が家にとっての
自分軸とは、自分の心の響きだけを中心軸にすること。
他人軸とは、社会や他人や外側に存在するもの。ルールや基準に当てはまったり、決定付けられる軸のこと。時間やシステムや音楽などもそう。評価やジャッジもそう。
自分軸は自分の内側の声によって根を広げて、太陽に向かって枝を伸ばしてゆく木の幹のようなものだ。
他人軸でい続けるのは、リンゴの木に桜の花を咲かせようとしてるようなものだ。
頑張れ!君ならできる!って。
全く気持ち悪い話しだ

自分軸に徹底的にチューニングして生きてる子にとって、チューニングから大きく外れると違和感で気持ち悪くなる。
これ以上このまま学校行くと、自分軸から外れる(自分の本音、自分の喜び、自分の本当に望むことがわからなくなる)から行くわけに行かない。
彼らなりにそれを自分の体感でジャッジする。
そのジャッジ方法も基準も母親にはわからない。本人だけがわかる唯一無二のもの。
ってことをここまで詳しくはなく簡単に伝えた。
(授業始まっちゃうから、時間をあらためて対話する予定)
先生がどこまで理解してくれたかはわからないけど、彼らの想いをできる限り忠実に伝えられた気がする。
こんな風に(上に書いたこと)伝えたよー!
とチナリィに言うと
『うんうん!そうそうそう!よく僕の心の声聴こえてるねー!』
(そりゃそうだ。君の心の声はかなり大きい。大声で聞こえるよ、お腹にいた頃から。
けどここ地球だから、声に出して直接聞いてるのだよ息子よ。)
そして、暗い顔のチナリィに質問をした。
ちーくんの心に何があったの?
何を感じたから帰ってきたの?
『学校行くと忘れちゃうから。』
何を?
『龍がみえなくなっちゃう』
見えなくなっちゃうとどうなるの?
『見えなくなってきて悲しい』
どんな風に悲しいの?
『本当はいつも会いたいし
龍と話したいのに
学校行くと見えなくなってきちゃうの。
勉強すると気持ち悪くなる。
そうなると忘れていっちゃう。
忘れたくない。
もっと龍と会って話したいのに。』
そう言って泣き出した。
(自宅のアトリエの壁画。チナリィとアスワンとNOJI作。遊びに来た子ども大人の友達が描き加えていっている育んでゆく絵画。)
最近ずっと彼は龍神が見えないことを、静かにずっと悲しんでいた。時々そのことを口にしてはいたけど、私が思っている以上に深く傷ついてたんだ。
彼に限らず、多くの子どもがこの学校というエネルギーに対しての違和感に苦しんでる。
先生やクラスの子たちとの人間関係とか、勉強うんぬんとか、そんなものじゃない。
自分がどうしたいのかも判断できなくなってくことに怯えてる。
直感や体感的になんとなく。
だから、我が家に遊びに来る子どもたちは《お母さんには言えないけど、思ってる学校のこと社会のこと親の言い分と自分について》などを語ってくれ、よくディスカッションになる。
でもこの直感や体感は『なんとなく』過ぎて、うまく説明できず、説明できないからこそ、休むことに罪悪感の濡れ衣を着させられたりもする。
ズル休みって
ズル=悪い休みかた、ではなく
【ズルーイ!いいなー僕も休みたいのにーそんな勇気ないよーズルーイうらやましーな休み】
である。
そう、だから堂々とズル休みして、羨ましがられればいい。
なんか言われれば、『じゃ自分も休めば?』って言ってやれー!!
君の学校生活も変わるかもしれない。
行くところなければ、emy家にくればいい。
私といると、何がしたいのかって自分軸がチューニングされるはず♫
(近所の大好きなカフェ 旭荘。ピザやパスタなどどれも美味しい)
そんな訳で、emyは母親をズル休み中💖
子どもたちが学校を休んでようと、私は1人でカフェでくつろぐ。やつらの軸に乗っ取られると、楽しいシゴトのアイディア💡溢れ出してるのに見逃しちゃうから。
さて、
彼は大好きな龍と自分のために絵本を出版する。
自分で決めて、自分で動き出した。
iPadをお小遣いで購入し、
大親友の画家NOJIに電話して(母も知らぬ間に)
何日も打ち合わせして
製作している。
最近はじめてチナリィの文章を読んだ。
【龍がみえなくなってきていること】
を勇気を出して正直に綴っていたものだった。
私たちサイキッカーは、見えなくなったり、能力を使えなくなったりすることもある。
それを誤魔化しながら、見えてないのに見えてると言ってしまうと、元もこうも無いのである。
「見えてたものが、見えなくなる」
というのは結構怖い。
「見えないってことは、お前ずっと嘘ついてたんだろ!」
って集中攻撃にだってあうかもしれない。
そんな恐れに向き合い続ける。
でもそんな恐れを心に持ってたって仕方ない。
ただの大荷物だ。
見えなくなるときは、見えなくなる。
つまりは
『見えるときは見える』のだ。
そこだけは正直に生きようと約束してる。
『見えなくなることも在る』と
肚をくくっていれば全く怖くない話なのだ。
それを彼は実践することにしたようだ。
そうして自覚したのが、
やっぱり龍と一緒に生きたい!
だったみたい。
チナリィは画家NOJI と絵本を出版します。
是非応援してもらえると嬉しいです😊
さて、資金とか色々どうするかしらねー
アイディアとか、応援とかありましたら
大歓迎なので与えて頂けるとありがたいです。
この絵本、苦しんでる子どもたちの心にも勇気のタネ🌱になるかもしれない✨祈