続き…
救急病院に1ヶ月、回復期リハビリ病院に5ヶ月、その後、在宅か施設になると言われたけど、私も病院に勤務していたので、職場に話して、入院させてもらい、現在に至ります
口から食べれないでしょう。
歩ける事はないでしょう。
1日がボーっとして過ぎるでしょう。
と言われた母でしたが、今では普通食を食べ、杖をついて歩き(見守り必要ですが)、冗談を言い、笑って日々を過ごせるまで回復できました
医療、介護制度を日々勉強しながら、明るく前向きに母を支えています
今後も、母との日々を綴っていきたいと思います

口から食べれないでしょう。
歩ける事はないでしょう。
1日がボーっとして過ぎるでしょう。
と言われた母でしたが、今では普通食を食べ、杖をついて歩き(見守り必要ですが)、冗談を言い、笑って日々を過ごせるまで回復できました

医療、介護制度を日々勉強しながら、明るく前向きに母を支えています

今後も、母との日々を綴っていきたいと思います

平成22年2月22日のこと
今日は2が揃った日だなぁ

記念にプリクラでも撮りに行くかな
なんて考えながら残業をしていた、そんな日の午後7時前。
父より、母がお風呂上がりに倒れたと電話がくる
状況が解らないまま、病院に向かい


まさか、お母さんが倒れるだなんて。お風呂あがりなら、目眩じゃないのかなぁ…
そんなので救急車呼んだのかな…と、そんな思いで。
病院に着くと、処置室の前で、力の抜けた父が座っていて。
処置室から担架に乗って運ばれてきた母を見て、とんでもないことが起きてしまったと思った。
戸惑う父を目にしたその時、
『私がしっかりしなくちゃ』
と、強く思った。
検査の後、先生から説明があり、
高血圧性脳出血。
視床下部から脳幹にかけて大きな範囲での出血。
手術の出来ない部位で、処置して様子を見るしかできず、血が止まらなければ命も危ないと。
それまで、元気で明るい事が取り柄の母だったのに、命が危ないなんて信じられなかった。
ずっと母の近くで祈り続けました。
入院3日目に、血が止まり、命は大丈夫と言われ、それからが、私たちの母の介護の始まりでした


記念にプリクラでも撮りに行くかな

なんて考えながら残業をしていた、そんな日の午後7時前。
父より、母がお風呂上がりに倒れたと電話がくる
状況が解らないまま、病院に向かい



まさか、お母さんが倒れるだなんて。お風呂あがりなら、目眩じゃないのかなぁ…
そんなので救急車呼んだのかな…と、そんな思いで。
病院に着くと、処置室の前で、力の抜けた父が座っていて。
処置室から担架に乗って運ばれてきた母を見て、とんでもないことが起きてしまったと思った。
戸惑う父を目にしたその時、
『私がしっかりしなくちゃ』
と、強く思った。
検査の後、先生から説明があり、
高血圧性脳出血。
視床下部から脳幹にかけて大きな範囲での出血。
手術の出来ない部位で、処置して様子を見るしかできず、血が止まらなければ命も危ないと。
それまで、元気で明るい事が取り柄の母だったのに、命が危ないなんて信じられなかった。
ずっと母の近くで祈り続けました。
入院3日目に、血が止まり、命は大丈夫と言われ、それからが、私たちの母の介護の始まりでした

